第6話:樹神たちの事情

6、


 縁の簀子すのこの上で立ち止まり、晴明と樹神は視線を合わせる。

 思わぬ再会に驚く二人に対し、それに気づいた満政みつまさが不審そうな顔を作った。


「どういたしました?」

「……あ、はい。先客の方が、顔見知りだったので驚いただけです」


 樹神がそう答えると、それを聞いた満政は瞬きの後で晴明に目を向ける。


「そうなのですか?」

「まぁ、はい。といっても、知り合ったのはついさっきですが……」

「なんだ。知り合いなのか?」


 晴明が受け答えていると、部屋の中から満仲が意外そうに声を寄越してくる。そちらに振り向き、晴明は顎を引いた。

 それを聞くと、満仲は僅かに目を細める。


「そうか。では、別段下がられるようなことはないか。お二人とも、部屋に入られよ」


 そう言って満仲が晴明を部屋へ呼び戻すと、その言葉に晴明は少し驚く。


「ですが、今から貴方は彼女と……」

「なに。別に怪しい話をするわけではない。聞かれて困る話ではないし、知り合いということなら一緒に聞いて貰ってもかまうまい」


 満仲がそう言うと、その言葉に晴明は樹神の反応を一瞥する。見たところ、樹神は満仲の言葉に難色も不快そうな様子も示さない。彼女も特段、同室されて嫌そうではなかった。

 それを見た後と、晴明は満仲の指示に従って再度部屋の中へ入っていく。

 彼と満政と樹神の三人が入室すると、満仲は円座わろうだを用意してから部屋の奥に戻り、三人に対して笑みを浮かべた


「樹神殿、よく参られた。ここに来たということは、例の進上物を持ってこられたということかな?」


 樹神に対して笑みを向けながら、満仲は問う。おそらく既に本題に入っているのだろう、晴明が推察する中で、満仲は小首を傾げた。


「いいものは見つかりましたか? 今日は東市で、それなりにいろいろなものが出回っていたと思いますが」

「……実は、そのことで今日は相談に参りました」


 朗らかな様子の満仲に対し、樹神の方はそのような喜色は浮かべず、憂いを帯びた目を伏せる。思わず吸い込まれそうな魅力のある顔に、晴明は言葉を聞くのもそこそこに静かに息を呑んだ。


「東市の市司いちのつかさへの進上物の提出ですが、今しばらく待ってもらえないでしょうか? 少し、困ったことに巻き込まれまして」

「困ったこと?」


 言い辛そうな樹神の口振りに、満仲は疑問符を浮かべる。

 樹神は、少し迷った後で顎を引く。


「はい。実は、進上しようとしていた品が、盗賊たちに盗まれてしまったのです。現在、賊の行方は役人様がたにお願いして捜索中ですが、いつ取り返すことが出来るか目星がつきません」

「盗まれた? 品が、ですか?」


 笑みを消して、満仲はやや真面目な顔をして問う。笑みを消すと愛嬌は消え、精悍かつ鋭い眼差しが印象的になる相貌である。

 そんな迫力を有す満仲に、こちらは偏に美しさが際立つ樹神が頷く。


「はい。ですので、私たちの落ち度ではありますが、品の進上はもうしばらく待ってくださいませ。今の手持ちでは、新しい品を用意する余裕も到底ございません」

「……なるほど。大体の話は分かりました。満政、満季みつすえを呼んで来い」


 申し訳なさそうに詫びる樹神に、満仲は満政に顔を向けて命じる。その言葉に、満政は無言で頷くと立ち上がって一旦退室する。

 彼が去っていくのを見送り、満仲は樹神に目を戻す。その相貌には、先ほどまでの鋭さは消えており、ただ穏やかな柔らかさがあった。


「樹神殿、それは災難でしたな。よりにもよって盗人の被害に遭われるとは」

「……申し訳ありません。せっかく満仲殿の温情を受けたというのに」

「なに。お気になさらず。しかし、これは困ったことになりましたな」


 言って、満仲は視線を樹神から外すと、やや険しい顔で腕を組む。表情をころころ変える彼だが、不思議とどの顔も落ち着きがあった。


「遊芸の興行を行なうには、市司から許可を取らないといけません。そのためには、やはり進上物を用意しないといけない。このままでは、明日以降からの興行は、認可が下りぬかもしれないでしょう」

「あの、少しよろしいですか?」


 何やら思案気な満仲の言葉の中で、彼と樹神の会話を静観していた晴明が口を開いた。彼の声に、満仲と樹神がそれぞれ振り向く。


「先から、一体何の話ですか? 進上物だの、遊芸の興行だの。何のことか、教えてくださりませんか?」

「……そうだな。満季が来るまでに説明しておこう。樹神殿、よろしいか?」

「えぇ。構いません」


 樹神が頷くのを確認すると、満仲は晴明に対して説明を開始した。

 曰く、そもそも樹神たちというのは、各地で遊芸の興行を行ないながら旅をしている一座なのだという。彼女らはそうやって各地方を渡り歩きながら生計を立てており、その一方で人々を楽しませてきた集団だということだ。

 そんな彼女たちであるが、今回は京へ訪れ、京の往来においてその興行を行なおうと考えていた。ただ、そのような活動をしようと思ってはいるものの、興行の許可を役人から取ることが出来ずに難渋しているという。彼女らは、往来の多い東市の付近でその興行を行なおうと考えているのだが、それにはまず役人たちから許しを得る必要があるのだ。

 出来るだけ多くの人間がいる場所で興行を行ないたい――そう考えた樹神たちは、どうすれば許可が取れるか考えた。


「そこで、彼女たちは俺の許に訊ねて来てな。どうにか市司を説得できないかと思ったらしい」

「何故、そこで満仲殿が出てきたのですか? 満仲殿は市の役人ではないのでしょう?」

「そうなんだがな。どうやら京のある人間から、俺と市司である藤原為忠ふじわらのためただ殿が懇意を通じていることを聞きつけたらしい。そこで、俺に仲介を求めて来たわけだ」


 晴明のもっともな疑問に、満仲はそう説明を続ける。

 彼女から相談を受けた満仲は、そこで市司に対して進上物を提出することを提案したのだ。いわゆる賄賂わいろのようなもので、それを出して許可を求めれば、興行の許可に腰の重い市司の態度も変わるだろうと満仲は見ていた。

 賄賂と聞くとあまり気持ちいい話ではないように思えるかもしれないが、この時代、進上物と称してそれらを贈って種々の許可や懇願を行なうことは珍しいことではなかった。貴族社会では当然の根回しの一つで、特に中級貴族たちは上流貴族に対して品を献上して役職を得る売官行為・成功じょうこうが少なからず行われていたのである。

 その一種である行動を、満仲は樹神に勧めたのだ。


「とりあえず、ころもを送るのがいいだろうと俺は提案して、樹神殿もそれを了承したわけだ。それで、本来なら今日のうちにそれを俺が預かり、市司へ出して仲介する手筈だったわけだ」

「ですがその品を、先ほど盗人によって奪われてしまった、というわけです」


 満仲の説明に、樹神が言葉を付け加える。

 それを聞いて、晴明は理解した。つい先ほど、樹神の仲間である梨花たちが被害にあったのを晴明は目撃している。ちょうどあの時盗まれた品が、市司に進上する予定であった物であったということだ。


「なるほど。盗まれたあれが、そうだったわけか」

「えぇ、そうなりますね」

「ん? 何か事情を知っているのか?」


 二人のやりとりに満仲が不審そうな顔をする。何故二人の間で話が通じるのか、彼には不審だったのだろう。

 それに対して、二人は満仲に振り向く。


「えぇ、まぁ。ちょうど品物が盗まれた、その現場にいたので」

「晴明殿にはうちの子たちが助けられたのです。知り合ったのもその子たちを宿まで送って下さったからで、ついさっきのことなのですよ」


 晴明の言葉を受けて樹神が軽く説明すると、それを聞いた満仲は納得の面持ちを浮かべる。


「へぇ、そうかい。じゃあ少しは賊について知っている、と」

「まぁ、盗んだ人数と逃げた方向ぐらいは……」


 頬を掻きながら、晴明は首肯する。

 それを見て、満仲はすっと目を細めた。


「具体的には?」

「盗みを働いていたのは三・四人で、そのうち一人は刀を持っていました。逃げたのは、おそらく羅城門らじょうもんの方角だと思います」

「顔に特徴は?」

「これといったものは……。見るからに無頼ぶらいっぽい浅黒い顔だったぐらいしか覚えていません」


 満仲の問いに晴明は曖昧な記憶を呼び起こして答える。

 ちょうどその時、縁側の方から複数の足音が聞こえてきた。その音に、満仲と晴明は目だけ向ける。縁の簀子に、人影が差した。


「兄上。満季みつすえを連れて参りました」


 顔を向けると、そこには満政と新たに見る青年が片膝立ちで控えていた。

 その青年は、晴明と同年代の人物のようだ。その顔つきは満仲や満政と似通っており、まだ若々しくもどこか落ち着いた、理知的ながらも雄々しい感じを受ける。

 彼を見て、満仲は脇息から身体を正して、穏やかながら鋭い目を浮かべた。


「来たか満季。早速だが、仕事だ」

「はっ……」

「先刻、東市近くで起きた盗難事件の解決にお前も協力して来い。おそらく賊は羅城門を通って京の外へ逃げていったはずだ。急ぎ足取りを追って、検非違使どもと共に見つけて来い」

「……生死は?」

「検非違使に聞け。俺としてはどちらでもいい。が、うちの関係者に手を出したことを後悔させてやれ。二度と盗みが出来なくなるほどにな」

「つまりは問わない、と。承知した」


 言葉少なく、青年・満季は顎を引いた。そして、最低限の説明を受けてそれで充分だというかのように、ついていた膝を伸ばして立ち上がると、部屋の前からそそくさ立ち去って行く。

 あっという間に去っていく彼を見送ると、満仲は視線を満政に戻す。


「満政。お前はこれから倉庫を開いて適当に衣類を選別してこい。為忠殿に進上するためにな」

「と、いうと?」

「不慮の事故だ。この度は貸しにしておく」


 満仲がそう指示を出すと、満政も「かしこまりました」と言って早速部屋の前から姿を消す。

 それを見送り、満仲は樹神に目を戻した。


「そういうことでよろしいな、樹神殿。無事盗難品が返って来るか、あるいは興行が無事成功した後、貸した分のものを返して貰うということで」


 そのように満仲が言うと、樹神は驚いた様子で目を丸める。

 要するに、満仲は進上物が盗まれたという樹神たちに変わり、進上の品を用意して市司に渡しておくと言っているのだ。一時的な貸しであるが、つまり肩代わりしてくれるということだ。

 この温情、寛大な処置に、樹神は嬉しさよりも驚きで視線を揺らす。


「それで、よろしいのですか? 本当に?」

「あぁ。勿論、不満や嫌気があるのなら取りやめるが……」

「滅相もない。御温情、感謝いたします」


 そう言って、樹神は満仲に頭を下げる。恭しく感謝の意を深く込めた礼に、満仲は微笑み、目の光を柔らかくする。穏やかで慈悲深いその顔は、思わず見入ってしまうような魅力があった。

 そんな顔つきだった満仲は、その穏やかな色を一旦消して、今度は晴明に目を向ける。


「――で、晴明殿。貴方の依頼についてだが……これも早い方がいいだろう? 早速今夜、動きたいのだがいいか?」

「今夜、ですか?」


 話変わって、樹神の話の前に晴明が依頼した仕事の話に移る。

 晴明が持ってきた鬼退治の依頼に、満仲は今日中にも早速動き出すことを提案してきた。その足の軽さ、行動力と早さに、晴明はまたも驚く。早く動くことに越したことはないが、こうも早々に動こうと逆に提言されるのはあまり想定していなかった。


「何か不都合でも?」

「……いや。ございません。よろしくお願いします」


 満仲に問われ、晴明は頭を下げる。相手の即決即断の勢いに押される心地になりながら、晴明は仕事の依頼が無事済んだことに胸を撫で下ろす。

 そんな彼に、満仲は笑みを浮かべる。その表情は相変わらず人に好感を与える不思議な魅力が宿っており、晴明とて魅かれるものを感じながら口を引き結ぶのだった。

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