第5話:武門・源満仲

5、


「ここか……」


 朱雀大路と八条大路が交わる角、そのうちの北東部分にその屋敷は存在している。

 板塀いたべいで覆われているために中を覗くことは出来ないが、周りの塀の長さから相当な広さを誇るだろう屋敷だ。

 ここが、話に聞いた源邸だという。貴族の家としては決して華美ではないものの、質素剛健な印象が感じられる館の造りとなっている。いかにも武に長じた者たちが住む大屋敷といった感じが漂ってくる場所であり、ただの中級貴族の家とは気風が異なっていた。

 少し来訪者を威圧するような感じのするその館に、晴明は深呼吸を付いて近づくと、その門戸を叩こうと手を持ち上げる。


「おい。何をしている?」


 門を叩こうとした晴明に、ふと横手から声がかかった。急な声に内心ぎょっとしつつ、それを面には浮かべないようにしながら、晴明は振り向く。

 そこには、晴明より頭一つ分高い、巨漢が立っていた。

 烏帽子を被った下に、濃い眉と鋭い双眸といった精悍な面立ちに、整った口髭を蓄えた大男で、その身には濃色こきいろの狩衣を纏っている。齢の頃は三十半ばぐらいか、見るからに迫力ある武人面をしており、腰には一振りの太刀を吊り下げていた。

 男は眉根を寄せて腕を組み、晴明を見ている。不審の色であるが、そこからは不思議と相手を怯えさせるような威圧的な圧力は存在していなかった。


「何か、この屋敷に用か?」

「あ、はい。少し、ここに住んでらっしゃる源満仲みなもとのみつなかという方にお頼みしたい仕事がありまして」

「仕事? お前、どこの雑人だ?」


 巨漢は、不審そうな顔色のまま、晴明に問う。

 それに対し、晴明は頬を掻く。


「えっと……職場は大舎人おおとねり寮です。けど、仕事の内容はそことは関係なくて……」

「急な案件か?」

「はい。あまり時間をかけたくはない内容です」


 晴明が答えると、それを聞いた巨漢は「ふむ」と顎に指を馳せる。何か考えている様子で、彼は視線を一瞬横に外してから、目を戻す。


「分かった、入れ。応接間まで案内してやる」


 そう言うと、巨漢は晴明の前に割って入って、門戸を叩く。どうやら巨漢はここの屋敷の住民のようだ。

 巨漢が門を叩いて声をかけると、やがて門は開かれ、中から数人の家人が巨漢に対して頭を下げた。


「お帰りなさいませ、み――」

「あぁ、挨拶はいい。それより、客人だ。応対の用意を」

饗応きょうおうですか?」

「いいや。軽く話すだけだ」


 家人が恭しく問うと、巨漢は言葉短かに言う。その言葉に、家人たちは「分かりました」と言って、開いた門を閉じる役と屋敷の母屋おもやに向かう役に分かれて動き出した。

 その家人たちの反応に、門をくぐった晴明は不審を覚える。見たところ、巨漢はこの屋敷の住人の中でも有力者のようだ。


「……あの、貴方は?」

「ん。俺か? 俺は……っと、屋敷の入口はこちらだ」


 正体を問う晴明の言葉に応じかけて、巨漢は屋敷の玄関を指差す。彼が先導して案内するのを、晴明は返答が返ってきていないことに口を結びつつ、その導きに従って屋敷の中へと進んでいく。

 屋敷に上がると、彼らは縁側の簀子すのこの上を進む。巨漢の誘導に付き従いながら、晴明は屋敷の庭に目を向ける。庭は一般的な貴族の家のような池や庭園にはなっておらず、更地さらちとなっている。広々として清掃が行き届いた庭であり、庭の向こう側には馬小屋と、反対側に射的のものと思われる的が設置されていた。


 いかにも武人の家らしい物の影を確認していると、前を進んでいた巨漢は、とある部屋の妻戸つまどを開く。部屋の入口が開かれると、巨漢は中に入って、晴明を招き入れる。どうやらここが客の応対を行なう一室のようだ。


「ところで、名前を聞いていなかったな。名はなんて言う」

「安倍晴明です」

「そうか。では晴明殿、よくぞお越しになられた。話を聞こう。座られよ」


 そう言うと、巨漢は晴明を上座に座らせつつ、自らは部屋の奥に向かう。そこに置いてあった円座わろうだを取ると、それを晴明に向けて差し出し、自らもそれを持って部屋の奥に敷き、その上に腰をかけた。

 奥で腰を下ろす巨漢に、晴明はその姿を見て、躊躇いを覚える。さも当然のように自分への応対に当たってきた巨漢に対し、晴明は言葉に迷う。

 なんとなく、ここまで来ると察しはついていたが、しかし晴明にはまだ疑念が残っていた。

 一応、訊ねる。


「あの……満仲殿に直接掛け合うことは出来ないのでしょうか?」

「だから、こうして話に乗っているのではないか」


 部屋の最奥から脇息きょうそくを取り出し、それに腕を乗せてから巨漢はもたれかかる。全身を脱力させて晴明を見る男は、その口元に淡い微笑を浮かべていた。

 その言動に、晴明は確信を得る。


「ひょっとして、貴方が……」

「おう。俺が満仲だ」


 肯きながら、巨漢は笑みを広げる。精悍な顔つきであるが、笑うと自然と愛嬌を感じることが出来る顔であった。

 彼の言葉に、晴明はすぐに納得をする。会った時から、その言葉といい、すれ違う家人たちの態度といい、どうにもこの屋敷の上位の人間であることは想像がついていた。その悠然とした自然な振舞いから、この部屋に来る途中の時点で、もしかして満仲本人かもという予感はあった。


「黙っていてすまんな。どうしても、初対面の人間はからかいたくなってしまってな」


 正体をここまで隠していたことについてわるびれなく言う満仲に、晴明はぎこちなく失笑する。黙っていたのは別に構わないが、その理由というのが少し悪質で、からかわれたことへの不満を感じなくもなかった。

 相手の悪戯いたずらに晴明は笑って気持ちを落ち着かせると、息をつく。その態度に、満仲は笑ったまま首を傾げた。


「その様子を見ると、あらかじめ察しはついていたようだが」

「まぁ、一応。とりあえずただの家人ではないことぐらいは」

「そうか。非礼は詫びる。代わりに、直接話とやらを聞こう」


 そう謝りを入れてから、満仲は目を細める。

 面会は、本来であれば家人を通じて話を通してから、それで許可を得ることでようやく叶うものだ。本人がいきなりよそから来た客人の話を聞くというのは実は破格の対応ともいえ、余程あることではなかった。

 正体を隠してからかわれた事実は、この際不問にしても充分なほどだ。


「で、用件は?」


 話を聞くと言った直後、満仲はいきなり本題へ入るよう催促さいそくする。その求めに、晴明は少し迷う。


「その……あまり軽々しく口にできるような依頼ではないのですが」

「なんだ。どこかの誰かを殺して欲しいとか、そんな話か?」

「そこまで乱暴なことではありません」


 笑顔を浮かべたまま物騒なことを言ってくる満仲に、晴明は即座に首を振る。

 そんなやばいことをいきなり頼みにくるものか、と思う晴明であったが、目の前の人物の立場を思い出して考え直す。人によっては、そんな危ない依頼をしてくることがあるのかもしれない。この時代の武人は、武人といっても武士ではなく、現代で言うところの暴力団と大差はない。「殺人さつじん上手じょうず」と言われる者も含まれていることも多く、人殺しも安易に行なえてしまう、そんな人種である。


 現に満仲も、後年とある貴族から「殺生放免せっしょうほうめんの者」と言われて忌避された人物だ。人殺しなど、さほど抵抗なく行えるような人種であることに違いなかった。

 ただ、今回の晴明の依頼はそのようなものではない。

 晴明の頼みに、満仲は首を傾げる。


「では、なんだ?」

「……ここ最近、右京の方で鬼によるものと嫌疑されている民への被害がある事は御存じでしょうか?」


 問う形で、晴明は依頼話を開始する。

 彼は、市井から陰陽寮に対して鬼による被害と思しき事件が頻発しているため助けを求める依頼が舞い込んだこと、それに対して陰陽寮は動こうとしたが上の貴族から許可が下りないために待機を命じられてしまっていること、そのために保憲から晴明に調査の依頼が来たことなどを順序良く語る。

 それに対して、満仲は小さく顎を引きながら耳を傾けていた。相手がよく話を聞いているのを見て、晴明は説明のまとめに入る。


「――という事です。その調査にあたり、保憲殿からは満仲殿に協力を仰げと勧められました。今回訪ねたのは今話したその鬼の調査と、場合によっては退治するに協力してほしいからです」

「分かった。いいぞ、協力しても」


 晴明が説明を締めくくった直後、満仲は快諾の返事を返す。

 あっさりと返ってきた了承の声に、晴明は固まる。


「……え?」

「なんだ、その意外そうな目は。鬼退治に人手がいるのだろう?」

「ま、まぁそうですが……。そうあっさりとお引き受け下さるとは、思ってなくて……」


 あまりに素早い快諾に、晴明は完全に虚を突かれていた。彼の想定では、満仲は晴明からの依頼に多少なり難色を示す、或いは拒絶されるものとして、そんな反応がくるのを覚悟していた。何せ、鬼退治といえば命懸けの仕事である。それを二つ返事で引き受けてくれる予想などしていなかった。

 しかも、まだ依頼の内容は話したが報酬などの話もまだしていない。どういった見返りがあるのかも知らない内に了承されるのは想定外だった。

 少し面食らう晴明に、満仲は朗らかに笑う。


「ははは。ちょうど、最近その手の仕事が舞い込んでこなくて退屈していたところだったからな。それに、賀茂家といえば忠行殿や保憲殿――あの二人とは何度も共闘した間柄だ。彼らからのご指名とあらば、それだけで受けない理由はない」


 そういう満仲の言葉に、晴明は半ば茫然とした。

 保憲から、満仲という人物は豪快磊落ごうかいらいらくであるとは聞いていたが、まさかここまで豪放だとは思っていなかった。言い換えれば、彼は細かい理屈など気にしない性質たちといってもいい。危険な仕事に対しても、その危険性は度外視して、他者との関係を優先するといったあたりが、彼の大雑把さ、あるいは懐の深さを感じさせた。

 呆気に取られる晴明に、満仲はその顔を見ておかしそうに笑みを深める。

 その視線が、不意に晴明の後方に向けられた。そこから、笑みが少し薄まる。


「誰だ? 家人の誰かか?」

満政みつまさです。兄上、お帰りなさいませ」


 満仲が声をかけたのと、気配が廊下から部屋の入口に現れたのは同時だった。その声に、晴明が振り向くと、部屋の入口の端からすっと人影が顔を出す。

 現れたのは、満仲によく似た男性であった。彼にそっくりな長身と容姿で、しかし僅かながら満仲より理知的な印象を覚える風貌と雰囲気を醸し出している人物だ。

 彼は縁側で片膝をつきながら、視線を満仲に直接向けずに目を伏せている。そして、少しすまなそうに口を開く。


「来客中に申し訳ありません。例の一座の方が、至急兄上にお会いしたいとやって来たのですが」

「例の一座……昨日来た彼女か?」

「はい、そうです。御帰りになったと知り、しかし来客中とは知らず、既にここまで招いてしまったのですが……」

「分かった。すまぬ晴明殿。少しの間席を外してくれないか? 先に予約していた客人が来てしまったようだ」


 相手の男性、名を満政と言うらしい人物の注進を聞くと、満仲は晴明に少し申し訳なさそうに言う。その言葉を聞くと、晴明は顎を引く。

 どうやら自分より先に、どうしても会わなければならない別の客がいるようだ。会話から察するに急ぎの用件なのだろう、そう理解した晴明はすぐに引きさがる。満仲の言葉を聞くに、話の続きは後でやってくれそうだ。


「分かりました。続きは後ほど……」

「うむ。満政、この客人を別の間へ案内して応対せよ。非礼のないようにな」

「かしこまりました」


 満仲の指示に、男性・満政は頭を下げて扉の角から下がる。その動きを見て、晴明も立ち上がり、一度退室しようと部屋の外に向かって歩き出した。

 部屋から縁側に出て、晴明は満政の方に振り返る。そこでは、ちょうど満政が晴明以外の別の客人を部屋へ案内しようとしているところだった。

 その客人に、晴明は何となく目を向ける。そして直後、動きを止めた。

 彼が視線を向けたところ、相手側も晴明に気付いたのか顔を上げ、そして目が合うやぴたりと動きを止める。浮かぶ感情は、驚きだ。


「え?」

「……あら」


 目を点にした晴明に、相手は口元に手を持ち上げる。

 晴明の前に立っていたのは、つい先程出会ったばかり、別れたばかりの女性・樹神こだまであった。

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