第4話:美女主人・樹神

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 東市ひがしいちから西に進むこと一刻いっこく(約三十分)、右京の中へと晴明と少女たちは足を運んでいる。山吹やまぶきを先導にして進む四人は、平屋ひらやが並ぶ一帯を通り過ぎていた。


「すみません。わざわざご足労をおかけして」

「なに、気にしなくていい。これも仕事だからな」


 謝る山吹に、晴明は首を振った。彼はその顔に不快の色は映さず、平然とした態度を装っている。

 盗難の被害に遭ったことを少女たちと共に東市の役人へ訴えた晴明へ、役人からは盗人の捜索は必ず行なうという確約を受け、それまでの間少女たちは、自宅で待機して報せを待つように命じられたのである。

 また役人たちは、晴明が大内裏に住む雑人ぞうにんであることを知ると、その見送りの任を彼に任せた。任せる、というより押しつけたと言った方が適切か。一応は丁重に対応してくれたものの、役人たちは職務の一部を晴明に任せ、自分たちは捜査に専念するとのことだ。

 何とも粗い人使いであるが、晴明はいつものことだと思って気にはしなかった。

 少女たちを送る道中につきながら、晴明は彼女たちに言う。


「それに、お前さん方らの主人とやらに、俺も謝らないとな。盗人を取り逃がした一因は俺にあるわけだし」

「もう、その事は気にしないでください。確かに、私も最初は怒りましたけど……」


 一抹の罪悪感を口にする晴明に、少し気まずそうに言葉を返したのは梨花りかだ。彼女は先の、当初までの態度とはうってかわって、晴明に申し訳なさそうに眉を顰めた。

 腰の低いその態度に、晴明は微苦笑を漏らしながら、先を進む山吹の後に続いていく。

 そんな会話を交えながら、右京に入ってしばらく経ったところ、山吹はやがてある一軒家の前で足を止める。


「ここです。少し待っていてください。主を呼んできます」


 そう断りを入れると、山吹はその平屋の入口へと入っていく。

 彼女が玄関をくぐっていくと、晴明はその一軒家を観察する。前に建った家は、普通の庶民が暮らすにしてはやや大きめの広さを持った場所であった。庭はなさそうだが外塀そとべいがあり、敷地を厳重に囲ったその屋敷は、ただの人間の家とは違う印象がある。

 大きめのその家を見てから、晴明は外で待つ梨花や桃花とうかに目を下ろす。


「ここに、お前さん方は住んでいるのか?」

「いえ。住んでいるのではなく、泊めさせてもらっているんです。実は私たち、京の人間ではなくて、旅の一座なんです」

「旅の?」


 少し疑問形の晴明の声に、梨花は頷く。


「はい。ここは、本来近くのお寺の所有物なんだそうですが、宿がない私たちにお寺の僧侶の方が宿代わりに貸してくれているんです。まだ泊まり始めて、二日と経っていません」

「へぇ……お前さん方、京の人間じゃないんだな」

「もっと、西の方から旅して来たんです。京に来るのは、これが初めてです」


 梨花に続いて桃花がそう答える。盗みに遭ってからしばらく泣きじゃくっていた彼女もようやく気持ちが落ち着いたのか、目を腫らしながらもはっきりと口を利いていた。

 その回答に、晴明は敏く少女たちの身の上を悟る。


「一座、ということは、何か芸能をする人間なのか、お前さん方は」

「はい。やるのは大体――」

「お待たせしました、晴明様。主人が参ります」


 梨花が返答の説明をしかける中、門から山吹が戻ってきた。

 その呼び声に、晴明たちは家の方に目を向ける。ちょうどその時、家の玄関から、山吹に続いて新たな人影が姿を見せるところだった。


 奥から現れた人物は、少女たち同様に薄い色彩の小袖に身を包んでいた。女性である。やや小柄で、まだ二十歳を過ぎたばかりではないかという若い女性であり、少女たちの主人ということで勝手に齢のいった年輩男の像を想像していた晴明は目を丸めた。

 だが、晴明を驚かせたのは単にそれだけではない。

 晴明の前に現れたのは、絶世と形容してよい美女であったからだ。長く艶のある黒髪を腰元まで垂らし、その合間から露わになった容貌は人間離れしている。白磁はくじの肌に形の良い柳眉りゅうびと涼しげな双眸、整った鼻梁びりょうに朱を差した妖艶な唇――高名な絵師が魂を込めて書き上げた美人画の如き美貌を持った女性であった。あまりの美しさは、人間離れした神々しさ、あるいは妖のような蠱惑こわく的な雰囲気を醸し出している。


 その美容に思わず晴明が息を呑む中、美女は晴明と目が合うと淡く頬を緩め、彼の前までするりと歩みよってきた。その動きも洗練されており、存在そのものが浮世離れしている。

 美女は、晴明の前へ出ると、軽く頭を下げた。


「初めまして、お役人様。山吹たちがお世話になったそうで、大変ご迷惑をおかけしました」

「い、いえ。そんなことは……」


 軽く感謝の言葉を寄越してきた美女に、晴明は思わずまごつく。容姿もそうだが声も美しく、その完璧さは相手が思わず緊張して尻込みするほどであった。

 そんな晴明の反応が可笑しかったのか、横では梨花がくすりと笑みを溢す。

 彼女のその反応を尻目に、顔を上げた女性は笑みを深める。


「私は、彼女たちのまとめ役をしております、樹神こだまと申します。どうかお見知りおきください」

「は、はい。自分は内裏で大舎人おおとねりの職に就いている安倍晴明あべのはるあきらといいます。御丁寧にどうも」


 丁寧な挨拶に晴明は頭を下げながら言葉を返し、上目で彼女の反応を見る。それに対し、樹神は再びお辞儀を返していた。

 長い髪を揺らしながら顔を上下させた樹神は、顔を持ち上げてから首を傾げる。


「それで、一体何があったのでしょう? 詳しい事情を、まだ聞いていないのですが?」


 訊きながら、樹神は少し不安の色を浮かべる。心配を見せるその顔もまた美しく、晴明は思わず思考を停止させられそうになった。

 その失念を慌てて取り払い、晴明は口を開く。おそらく山吹は、まだ盗難の件を詳しくは語っていないと思われた。


「実は先ほど、東市の近くで彼女たちが盗賊から盗みの被害を受けまして。被害に遭った彼女たちを、私が市の役人たちの命で送り届けに参りました」

「……盗み、ですか?」


 すっと、樹神は目を細める。

 晴明は頷く。


「はい。彼女たちの持ち物だったものが盗まれたようです」

「ごめんなさい、樹神様。私たちが悪いんです」


 晴明が説明を開始しようとする中で、梨花が口を挟んだ。彼女は桃花を庇うように前へ進み出ながら、申し訳なさそうに眉を顰める。


「私たちが油断していたんです。いきなり背後から襲われて、持っていかれて……」


 目を伏せながら梨花が言うと、それを聞いた樹神はしばし沈黙する。何か考えているようだが、その表情からはあまり感情は漏れてこない。

 まだ説明が少ない中であったが、樹神は敏く大体の事情を把握したのか、晴明に目を戻す。


「そうでしたか。わざわざこの子たちを送り届けてくれてありがとうございます」

「いえ……。自分も、盗人の逃走を許してしまう原因を作ったようなものなので」

「? どういう意味です?」

「実は――」


 怪訝そうな樹神に、晴明は盗賊たちが刀を抜いたのを見て、梨花たちを守るべく彼らを逃がしてしまったことを説明する。その細かな説明に、樹神は黙したまま耳を傾ける。大体のことを晴明は語った後に、樹神に対して軽く頭を下げた。


「すみません。もっと自分がしっかりしていれば、もしかしたら盗賊を逃がすようなことにはならなかったかもしれません」


 謝る晴明に、樹神はしばし沈黙していた。

 が、やがて小さく首を振る。


「謝られずに結構です。貴方はうちの梨花を助けるためにそうなさったのでしょう? むしろ感謝したいぐらいです。彼女を守ってくださり、ありがとうございます」


 微笑みながら、樹神は晴明に対して頭を下げる。そこに、晴明を責めるような色は一切ない。

 ここまでのやりとりから、晴明は樹神に対し、非常に温和で慇懃いんぎんな女性であるという印象を覚えた。

 そんな中で、樹神はふと気づいた様子で目を瞬かせる。


「そういえば、立ち話も失礼でしたね。どうかお上がり下さい。何かお出しします」

「いえ。お気遣い結構です。ゆっくりしたいところですが、自分にも野暮用やぼようがありまして」


 相手の好意に、晴明は頬を掻きながら辞退する。

 役人たちの指示で梨花たちをここまで送り届けた晴明であるが、彼には本来別の用事が待っている。保憲からの依頼の件だ。晴明はこれから左京に戻って、その一角に住む源満仲を訪ねなければならなかった。

 最低限の仕事はこなした以上、長居は無用だ。


「自分は、この辺で失礼いたします。あまり力になれずに申し訳ありません」

「いいえ、お気になさらず。この子たちを送り届けてくださり感謝いたします」


 晴明の言葉に、樹神は再び感謝の言葉を返す。それを聞いて、晴明は目を斜め下に伏せてから、樹神に戻した。


「盗みの件で何か進展があるかもしれないので、後でまた東市までお向かいになるのがよろしいかと思います。自分も後で、市の役人に今回の被害について何とかならないか掛け合ってみます」

「それはありがたい。なんとお礼を言ったらいいか……ありがとうございます」

「いえいえ――では、自分はこれにて」


 頭を下げてから、晴明はゆっくりと後ろへ下がる。

 持ち上げた視線で、再び樹神が穏やかな顔で頭を下げるのを確認すると、晴明はきびすを返す。

 そのまま屋敷の門から離脱して、晴明は樹神や少女たちの前からも離れていく。

 そうやってしばらく進んだ所で、一軒家から充分距離を取ったことと近くに人がいないことを確認し、彼は息をついた。


「なんだあの美人は……。すごいな」


 思わず、晴明はそう呟く。

 樹神の美貌は、晴明がこれまで生きてきて見た中でも群を抜いて美麗なものだった。見たこともない美女とはまさにこのことで、美しさのあまり緊張すらさせられた。彼の緊張具合は、思いがけずに東の役人と掛け合うことまで約束してしまったほどだ。一度言った以上は、実際にしなければならないだろう。


 やや迂闊だった自分の発言に、晴明は微苦笑して内心自嘲する。

 そうして己を省みた後、彼は再び東に向けて歩き始めた。当初の予定とは違い、少女たちと関わってしまったことで、かなり時間を費やしてしまった。そのため、急ぎ本来の用事を済ませるべく動く必要がある。

 待ち合わせをしていなかったのは幸いだと思いつつ、晴明は東へ歩き出す。

 そうして彼は、朱雀大路と八条大路の角にあるという源邸へと急ぎ始めた。

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