第3話:盗人と少女たち

3、


 保憲から依頼を受けた翌日、晴明は平安京の南部の大路を進んでいた。保憲の依頼を果たす上で、その任務の協力者とすべき武人に会うためである。その者が住むという京の南部の館へ向かい、晴明は歩を進めていた。


 平安京には、数々の大路が碁盤目状に張り巡らさられている。中心にあるのは、大内裏と羅城門らじょうもんを南北に結ぶ朱雀大路すざくおおじという大通りで、それを境にして京は東西に二分される。

 西側は右京うきょう、東側は左京さきょうとそれぞれ呼ばれ、そこを縦横断するように数多の大路が南北・東西に通っている。聡いものなら、何故西が「右」京で東が「左」京なのかと思うところであろうが、それは大内裏から南側を向いた時の方向を示すからだ。大内裏から見れば西側は右、東側が左となるため、それぞれが右京・左京と呼ばれるのである。


 そのうちで、晴明が向かう先は左京と右京の境界、先に話した南北を結ぶ朱雀大路と、東西に伸びる八条大路が交わる角にあたる館であった。

 館には源経基みなもとのつねもと満仲みつなか父子が住んでいる。今回の依頼で協力を仰ぐのは、その親子のうち息子である満仲の側であった。

 彼について、その人物評や噂を晴明はあまり聞き及んでいない。ただ、彼の父である源経基については、なかなか有名でいくらか聞き知っていた。


 源経基といえば、八・九十年ほど前に時の帝であった清和せいわ天皇の孫にあたり、臣籍降下――天皇家の一族から籍を臣下に下ろして、姓を賜って家をおこすこと――をして源の姓を賜った、通称「清和源氏せいわげんじ」の始祖にあたる人物である。

 また、数年前に起きた平将門たいらのまさかどの反乱に際し、いち早く坂東ばんとう(今でいう関東地方)から京へ上って将門の朝廷への反乱を奏上し、後に実際に将門が坂東で反旗を翻すにおよび、その迅速な働きを評価され、出世を果たした人物としても知られていた。

 そんな勲功を持つ一方で、坂東にいた頃には将門とある問題から衝突した時、彼へ怖れをなして戦わずして逃げたこともあるという噂もあり、武人としての実力はあまり立たない、臆病な人間であるというような評も存在している。

 臣籍降下後は、武力を有し使役する一族・軍事貴族という家門に分類されるが、そんな家門にありながら、まだ輝かしい実績を残せてはいない人間であった。


 そのような人物評を持つ父に対して、満仲については評判が立っていない、まだ無名の人物といってよい。

 どういう人物なのか、晴明は事前に情報を集めようとしたが、職場の同僚たちに話を聞いたところで、誰もその存在を熟知していない、未知の人間としか把握できなかった。どうやら父同様に、武人として大内裏の各役所を転々としているらしいことだけは分かったが、その人物像までは認識するには至らずじまいであった。


 よく分からないその人物の実態に、晴明はせめて荒々しい感じでない人物であることだけを祈る。この時代には、まだ武士と呼ばれる概念の存在は無く、武人といえば獣の狩りや暴力を働く荒くれ者という印象の捉えられ方をしていた。実際に粗暴な人間も多く、その腕っぷしで法外の暴力活動・暴力行為をする人間も少なくない。

 その手の人間は、晴明は苦手だ。彼でなくともほとんどが得意ではないだろうが、出来るだけなら関わり合いたくない人種である。これから会うその満仲という人物が、そんな粗野な人間でないことを、晴明は願うばかりであった。


 そんなことを考えながら、晴明はやがて八条大路に入る。八条大路は京内の東西を結ぶ、南から五番目の大通りだ。

 ここまで辿りついたところで、晴明は進路を南から西へ切り替える。八条大路まで来た以上、あとは西へ直進すれば目的地へと辿りつくといったところだった。



 ――小さな悲鳴が聞こえたのは、その道を晴明がしばらく進んだところである。



 声に気づいて晴明が振り向くと、そこでは少女が押し倒されていた。薄い色彩の小奇麗な小袖に袖を通した少女たちで、まだ年頃は幼いが、見た目華やかな集団である。

 そんな少女たちの集団の前を、複数の男たちが駆け出していた。浅黒い肌で粗野な直垂ひたたれ姿の者たちで、彼らはその腕に色鮮やかな布や衣服らしきものを抱えている。

 その集団は南側、ちょうど晴明の目の前にある道に向かって走り出していた。


「ぬ、盗みだ!」


 その集団より北側にいた近くの誰かが、そう叫んだ。その声に、晴明はすぐに状況を呑みこむ。

 どうやら男たちは物取りのようだ。おそらく彼らは少女たちを襲ったのだろう、品を奪った男どもは晴明のすぐ前を通って南へと逃げようとして行った。


「待ちなさい!」


 そんな盗人たちに、倒れていた少女の一人がすぐさま立ち上がり、追いつく。まだ十代前半あたりの幼いその少女は、盗人たちの逃げ足に劣らぬ健脚で追いつくと、後ろから彼らの最後尾の人間にしがみついた。

 捕まえた少女と捕まった盗人は、晴明の目の前で転倒する。


「っ! 離せ!」

「やだ、離すもんか! 返しなさい!」


 捕まって焦る男に、少女は逃がさないとばかりに、彼にのしかかろうとした。

 その時、逃げていた盗人の一人が、最後尾の仲間が捕まったのに気付いて引き返して来る。手に何も抱えていなかったそいつは、代わりに帯びていた腰の刀に手を掛けると、それを引き抜いて倒れた二人、そのうち少女の方へ突っ込んでくる。


(っ、危ない!)


 危険を感じ取った晴明は咄嗟に前へ走ると、捕まえた盗人に夢中だった少女の腕を横合いから掴み、自分の方へ引き寄せる。突然の横からの手に、少女は不意を衝かれたのかあっさりと引き寄せられ、晴明に抱きかかえられると彼と共に横へと転がった。

 直後、駈けつけて来た盗人が振るった刃が、少女のいた場所を薙いで空を切る。もし晴明が手を引かなければ少女は引き裂かれていただろう鋭い振りに、横転する晴明はぞっとした。

 一転した後に顔を上げていた晴明たちに対して、一時少女に捕まっていた男はすぐに立ち上がって逃走を再開し、刀を振るってきた男は最後尾に立って晴明たちに対して刃の切っ先を向ける。殺意を含んだ瞳は、そのまま晴明たちに斬りかかろうとする構えを見せた。

 それを見て、晴明は両手を掲げる。


「ま、待て。行くなら早く行け。直に役人が来る。ここで無駄足を食っていたら、捕まるのはお前たちだぞ⁈」


 冷や汗混じりに慌てて晴明が言うと、その言葉にその盗人は固まった。

 盗人たちが盗みを働いたここは、東市ひがしいちのすぐ南である。市には、警備役として検非違使が幾らか駐在しているため、この騒ぎを聞けばすぐに駆けつけてくると思われた。

 焦りながら、しかし適確な晴明の指摘に、その盗人はその通りだと考えたのか、刀を抜いたまま反転する。身を翻すや、彼はそのまま走りだしていった。

 この場から逃げていったその盗人を見て、晴明は安堵する。危うく斬りかかられそうになった所だったが、彼らも一応は理性を残していたようだ。なんとか刀で襲われるという危機を回避したことに、晴明は胸を撫で下ろす。

 そんな中で、


「待て! 逃げるなぁ!」


 晴明の腕の中で、少女が逃げる男たちを見て叫ぶ。彼女は急いで晴明の腕を振り解くと、立ち上がって再び走りだそうとした。

 その動きを見て、晴明は慌てて彼女の腕を掴んだ。


「おい待て、行くな!」

「ッ! 離しなさい! 追えないじゃない!」

「追おうとするな! 追っていったら斬られるだろうが!」


 盗人たちを追跡しようとする少女を、晴明は止める。追いかけようとするのはともかく、もし追いついて彼らを捕まえようとすれば、今度こそきっと盗人の一人に斬られるだろう。そのことを危惧きぐして、晴明は少女を留める。

 晴明が少女を離さずにいると、やがて盗賊たちは南側の道を西に曲がって姿を消す。それを見送ると、晴明は危機が去ったことを知覚して息をついた。

 一方で、それを見た少女は歯を噛み合わせ、鋭い眼で晴明に振り返って彼を睨みつける。


「どうしてくれるの! 逃げられたじゃない!」


 少女の心の底からの怒声に、晴明は思わず表情を歪める。


「よくも邪魔してくれたわね! なんてことをしたのよ!」

「……あのまま追えば、下手すれば斬られていた。それぐらい分かるだろう」


 怒る少女に、晴明は平静を装って反論する。少女に対し、晴明は幾分冷静だった。彼は咄嗟に、少女が斬られそうになったのを見て、それを助けるための行動を取っただけだ。彼にしてみれば、それは難を逃れるための最大限の行為であり、それを咎められる言われはない。

 助けられた少女は、しかしそのことに気づいていないのか、怒りを露わにして晴明を睥睨へいげいする。


「そんなの知らない! 貴方が邪魔したせいで、せっかく買ったものが――」

梨花りか! 無事?」


 少女が怒鳴る中、その背後からこちらへ小走りに駆けてくる人影があった。数は二人、どちらも少女だ。十代後半及び十代前半といった娘たちで、いずれも先程、盗人によって倒されていたと思しき少女たちである。

 その声に、晴明に助けられた少女と晴明は振り返る。その過程で、少女は晴明の手を払い、晴明も掴んでいた少女の腕から手を離した。


「……無事よ。この男のせいで、盗賊には逃げられたけど……」


 恨み節全開で、少女は答える。その責任転嫁ぶりに、流石に晴明もむっとするが、抗議の声は上げない。上げたところで、今の少女は聞き入れないだろうと、晴明の頭の中にあった冷静な部分が悟っていたからだ。

 少女の言葉に、声をかけてきた別の少女はほっと胸に手を当てる。


「そう。危なかったわね。斬りつけられた時はどうなるかと思ったわ……」


 そう言って、その少女は安堵する。少し大人な感じもする彼女は、落ち着いた様子で少女の無傷に胸を撫で下ろした後、視線を晴明へ移す。そして、少しだけ表情を正した。


「盗人を逃したのは、貴方ですね。何故取り逃がしたのですか?」

「……別に逃げるのを手伝ったわけではない。相手は刀を持っていて、追うのは危険だと思っただけだ」


 叱責に、晴明は憤然としながらも言い返す。結果的には盗人を取り逃がす結果になったが、少女を助けたのは事実である。その事実を無視して責められていることに、彼は不快な思いをしていた。

 そんな彼の言動をどう思ったか、年長の少女は唇を引き結んだ後、小さく顎を引く。


「そう、ですね。確かに、あのまま追っていれば梨花が傷ついていたかもしれません。その、ありがとうございました」


 そう言って、その少女は軽く頭を下げる。指摘されて思い出したのか、彼女は晴明の言い分を理解した様子であった。


「その子の危ないところを助けて貰ったのは事実です。無礼なことを申しました。お許しください」

「ちょっと、なんで山吹やまぶきが謝るのよ。悪いのはこの――」

「いい加減になさい、梨花。助けてくれた人に失礼でしょう」


 憤然と口を開く少女・梨花に、山吹と呼ばれた少女は叱る。その言葉に、梨花は納得のいかない様子で不満顔であったが、山吹は続ける。


「それに悪いのは私たちよ。盗賊に盗みを働かせる隙を作ってしまったのだから」

「ご、ごめんなさい。山吹、梨花」


 山吹の言葉に、彼女の背後にいた別の少女が口を開いた。


「わ、私のせいでせっかくの品を……。私のせいで……」


 その少女は、肩を震わせながら顔を青白くさせ、軽く俯いた状態で涙を溢す。何やら、彼女が最も手痛い手落ちをしたのだろうか、責任を強く感じている様子で目を伏せていた。


「泣かないで、桃花とうか。起きてしまったことは仕方がないわ」

「そうよ。桃花に荷物を全部持たせたのは私たちだし。貴女が謝るようなことではないわ」


 泣きだす少女・桃花に、山吹と梨花は慰めと励ましの言葉をかける。その言葉に、桃花は下唇を噛みながら、目元を袖で拭う。

 その様子を見てから、山吹が目を伏せる。


「とりあえず、このことを樹神こだま様に報告しましょう。説明すれば、あの人ならきっと分かってくれるわ」

「そうね。少し、気が重いけど……」


 視線を伏せながら、梨花は山吹の言葉に同意した。

 何やら重々しい言葉を交わした後、山吹は視線を下から晴明へと持ち上げる。


「あの、助けてもらったついでに、お願いしたいことがあるのですが」

「なんだ?」


 再び自分に話しかけてきたことに、晴明は少し不審そうに訊ねる。

 山吹は、やや気後れしている様子ながら、口を開いた。


「その、被害を受けたことの証人として、少しご足労そくろうをお掛けしてもよろしいですか? 流石に私たち三人で役人の方々に被害を訴えても、相手にしてもらえないかもしれませんので」


 そう、山吹は頼み込んできた。

 盗人から盗みに遭ったことを訴えにいっても、少女三人では事態を軽く見られる可能性がある。だが、晴明のような大人が付いていって被害について証言すれば、役人たちも盗みの被害について真剣に取り合ってくれるだろう。成人の男が訴えるのと、まだ幼い少女たちだけが訴えるのでは、印象は大きく変わるはずである。

 その申し出をもっともだと思い、晴明は顎を引く。


「あぁ、その程度なら構わん。助けはしたが、逃がしもしたのは事実だからな」

「……お願いします」


 晴明が快諾するのに、山吹は頭を下げる。

 それを見てから、晴明は視線を前に立つ梨花へ向ける。そこでは、依然として梨花が、少し恨むような目で晴明を見上げていた。

 その視線に、晴明も思うところはある。が、ここでまた口論してもするだけ無駄だ。そう考えて、晴明はこの場は自分が大人になろうと心を落ち着かせる。


「すまなかったな。咄嗟とはいえ、盗賊を逃がしてしまって」


 晴明がそう謝ると、それを聞いて梨花は目を丸めて息を呑む。そのような言葉が来るとは予想していなかったのだろう、彼女は目を瞬かせて固まる。

 その様子を、山吹が流し目で見た。


「……梨花」

「あ、うん。その……私もごめんなさい。助けて貰ったのに、酷いこと言って」


 山吹に催促され、今度は梨花も謝罪する。少し言葉が淀んでいるのは、本心では自分は悪くないと思っているからではなく、自分の迂闊うかつな暴言を反省しているからであろう。

 そのしおらしい謝辞に、今度は晴明が驚く番だった。彼は片眉を器用に持ち上げた後、いくらか瞬きする。

 そんな反応の後、晴明はごく薄い微笑を浮かべた後、梨花から山吹へ目を戻す。


「別に構わない。じゃあ、ひとまず東市辺りまで行こうか。そこに、少なからず検非違使けびいしが駐在しているはずだからな」

「はい。お願いします」


 再び頭を下げると、山吹は泣いたままの少女・桃花の頭を撫でて宥めた。その後、桃花・梨花も晴明へ頭を下げる。

 そんなやりとりの後、四人は盗難被害を訴えるべく、役人のいる東市へ向かうべく歩き出した。

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