サイコ17
夜が明ける。文也を無くした後の廃アパートでの一晩は随分と長く感じられた。目覚めるとやはりサイコで、コンロでお湯を沸かしていた。蒸気が天井へと立ち上っている。
「ずっとここでこうしたいられたらいいですね」
寝ぼけ眼のまま、朝の珈琲を淹れてくれているサイコを眺める。新婚生活を想像している自分に気がつくと自嘲する。
「何か可笑しいですか?」
自分の思考が、とも言えない。
「サイコ、頼みがあるんだが」
「はい。何でも。恩返しですから」
「断ってもいいんだが、警察に、性的虐待の事実を証言してほしい」
流石に、サイコは押し黙ってしまった。
「ごめん、断ってもいい」
「いいですよ」
言いかけた言葉に被せるようにして明瞭な声で返事がされた。
「このままではあなたたちが誘拐犯にされてしまう。そうですよね?」
「ああ、証言があったところで俺たちの誘拐の事実は消えないからどういう処置になるかは分からないけど」
「情状酌量というものがありますからね」
サイコは世間を知っているのか知らないのかいまいち分からない。そういう自分も似たようなものなのかもしれないが。
「医者が来たら話を通してもらうことになってる。サイコさえ証言してくれたら動いてくれるらしい」
「手筈は整っているのね。先生なら何とかしてくれると思います」
やはり何となく面白くないが致し方ない。
「嫌な思いをさせたらすまない」
「いえ、いい機会です。雅を解放するための」
「雅のことなんだけど、中に閉じこもっているらしい。昨日、文也が出て来て話してくれた。人格もほとんど消されたらしい。文也はたぶんもう、消えてる」
「そうでしたか……」
「それで、医者が言うには、中の雅に人格を統合させて、雅を中に存在させたまま、サイコに雅として社会生活を送ってもらうという事を考えているらしい」
「私が……」
「そうだ。外に出られる」
「外に……」
サイコの声が震えて聞こえる。色々な感慨があるのだろう。
「いつかは雅に出て来てもらうことになるかもしれないけれど、それまではサイコの自由だ」
「いいんでしょうか。私で」
「どちらにしろ人格もほとんど残っていない。適任はサイコだとも医者が言っていた」
「嬉しい、と思ってしまうのは不謹慎なのでしょうね」
「いいさ。これからは感情に素直に生きるんだ」
サイコは、出会ってから初めて心から笑ったように見えた。その表情に幼さを感じる。
「そういえば、人格には年齢差があるみたいだけれど、サイコは二十歳だって言ってたよな。雅はいくつなんだ?」
これから雅として生きていくなら知っておかなくてはいけない。
「17です」
まさかの同い年だった。
「大人っぽいんだな」
「そうでしょうか? 二十歳の私としての生活が長かったからかもしれませんね」
いや、見た目の意味だったのだが。まぁ、いいか。
話はまとまった。あとは医者が来るのを待つだけだ。
後輩と合流し、朝食を腹に入れていると、扉がノックされる。やはり警戒心は持ってしまうのだが、医者だと確認してから開いて招き入れる。
四脚の食卓椅子にそれぞれ掛けると、サイコが証言を了承したことを伝える。
「サイコ、よく決心してくれたね。じゃあ、警察に話を通してくるが、本当に構わないね?」
「後輩が登校してからだな」
「先輩、ここまで来て僕は除け者ですか?」
「補導歴なり前科が付くんだぞ。よく考えてみろ。お前の顔は割れてない」
「そんな……」
「うん。被害は最小限の方が良い。君たちは自分の人生を大切にしてくれ」
「……分かりました」
後輩は渋々承諾した。良かった。巻き込まずに済む。
「じゃあ、君はもう行って。僕は院内の警察に話してくるから」
「はい」
後輩を見送ると、医者も出勤した。サイコと二人、残されてあとは事の成り行きを見守るしかない。どうなっても自分でしたことだ。受け止める覚悟を持ってその時を待った。
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