雅2

 入院生活が始まると、院長先生とお母さんが話しているのをよく目にした。お母さんは綺麗だから、院長先生はお母さんを好きになってしまったのだと思う。

 その勘は当たっていて、間も無く再婚するのだと伝えられることになった。

 お母さんに、良かったねと言うと、照れたように優しく笑っていた。

 私は個室に移された。


 私は、時々、赤いのが目の前に広がることに悩まされていた。それと、激しい耳鳴り。何の音かは分からないのだけど。

 それが来ると体が震えて止まらなくなる。逃げ出したいのに赤いのと音とは消えてくれない。

 そうすると手足をばたばたと動かして、病院から飛び出そうとしてしまう。それで、そういう時は縛られるようになってしまった。


 その日も発作があって拘束されていた。けれど頭はもう落ち着いていて、体だけが動かなかった。

 暗い中で誰かが来たのが分かった。近づいて来て、院長先生だと分かった。

 何の用事かな。拘束を外してくれるのかなと思ったけれど、違っていて、院長先生は私に覆い被さって、私の着ていた服を剥いだ。

 その後は体を舐め回したり、あちこち触ったりした。私は拘束されていて動けなかった。

 日を追うごとに色々な人が同じことをやるようになっていった。それはとても苦痛だったけれど、時々気持ちが良くて、私はそうなる自分が何だか嫌だった。

 封じ込めたかった。


 先生にも、何も話せなくなってきた。話すことは才子のことくらいになった。先生は、私が寝ている間に他の人格と話しているみたいだった。

 私はうちにこもるようになってきた。

 才子とだけ話していたかった。

 それで、才子の部屋に入り浸るようになった。意識だけならいつでも行けるのだ。

 それが段々、眠りを伴うようになっていった。才子が現実に居たらいいのにと思うようになっていた。

 実在しないことなんて、最初から分かっていたのだけれど。


 そこから先はあまり覚えていない。ずっと才子と話しているか、寝ているかしていた気がする。

 男の子がくれた日記帳に書いてある館なのかもしれないけど、才子の部屋しか分からない。

 でも、私がずっと通いつめていた才子の部屋と、館で才子の部屋だと案内された部屋は一致してた。

 だから、私はずっと館の中に居たのかもしれない。


 才子さえいればいい。私すらいらない。才子さえいれば。もっとうまくやっていけたはずなのに。何で実在しないのだろう。何で実在する人は才子みたいじゃないんだろう。

 私にはそれが分からなかった。


 才子は、今は居ない。何で居ないのかは分からない。館に住んでた男の子も知らないみたいだった。

 あの子ももう居なくなる。みんな居なくなればいい。才子以外要らない。なのに才子は居ない。苛々する。

 早く現れてほしい。

 館内にはもう一人しか居ない。この時間ならもう眠っているだろう。嫌になったら消してしまえばいい。私にはそれが出来るのだそうだ。何も出来ない私にも唯一与えられた能力だから嬉しくなる。

 私は館内を散歩することにした。


 思いの外広い。この館には人格たちが暮らしていたのだという。

 ゆっくりと歩き出す。白い煙が立ち上っている。ぼんやりと人の形をしている。

 何体もすれ違う。不思議と恐怖はなかった。この子たちは、私を守りそして死んでいったのだろう。

 男の子が何かそのようなことを言っていたなと思い出す。

 あの子は何だったのだろう。忌まわしい日記帳を私に押し付けたあの子は。

 でも、このままずっと逃げていたら駄目なんだ。

 記憶が全部戻ってきて、それでも気持ちは案外静かだった。拒絶したかった。けれどそれ以上の諦観に支配されている。

 全部過ぎてしまったことだ。もうどうにも出来ないんだ。

 前に進むしかないんだ。今はもう。


 広間に入ると、部屋の隅で蹲っている影がある。私もああして自分を守っていた。この子もきっとそうなのだ。だって、この子も私だから。


 館内を探したら才子が見つかるかもしれないと期待していたけれど、見つけることは叶わなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る