雅1

 黒い部屋。赤いソファ。安心できる私の唯一の居場所。でも足りないものがある。

 友達。

 才子。


 男の子が持って来た日記帳は忌まわしいものだった。忘れていたいことばかり。意地悪な日記帳だ。けれど、開いたページから手が止まらなかった。思い出さなければいけないことくらい分かっている。私は今まで記憶に蓋をしていた。

 パパが死んだ。私のせい。

 銃を持った人が無差別にそこら中を撃ちっ放していた。轟く銃声の中で、私は何が起きたのかも理解できなかった。悪い人に止めてって言いに行こうとした。パパが私の手を引いて、ぎゅっと抱きしめた。その瞬間目の前が真っ赤になってパパが圧し掛かってきた。パパ、重いよって言っても答えは返ってこなかった。赤いのが私にもべったりとくっ付いた。変な匂いがして気持ち悪かった。悪い人たちの足音が遠ざかって、辺りはしんと静まり返った。暫くして、サイレンの音でまたうるさくなったけれど。私は赤いのをたくさん浴びていたから、見た目からして大けがをしてると判断されたみたいで、すぐに救急車に乗せられた。返り血だって分かると、今度は言葉の分からない人が来て手を握ってくれた。何が起こったのか誰かに聞きたかったけど、言葉が全然通じなくて分からなかった。

 こうしたことが、今の年齢なら分かる。テロという言葉も分かる。私とパパはテロに巻き込まれて、パパは私を守って死んだんだ。


 私は現地の保護施設に入れられた。通じない言葉を使っても無駄だと分かった。だから何も喋らなかった。

 それでも施設の人たちは良くしてくれて、私にスケッチブックとクレヨンを与えてくれた。ある時、施設の人が手紙を持ってきた。それは異国のお姫様からの手紙だった。

 今なら子供騙しだって分かる。当時も、異国の姫なのに何で日本語なんだろうって思った。

 私は、赤い色の絵を何枚も送った。お姫様はもっと明るい絵がいいなって書いてきたけど、私にはそれしか描けなかった。

 黒いぐるぐると、赤いぐるぐるしか描けない。何か描こうと思っても、いつの間にか頭がぐるぐるして、スケッチブックの上は無数の渦巻きが踊っていた。

 手紙はママが迎えに来るまで届き続けた。ママが来て日本に帰ると、姫様からの手紙は届かなくなった。

 私は唯一のお友達を失った。


 少しだけ大きくなって、小学校に入っても上手く喋れなかった。言葉が出てこなくて、揶揄われたり気の毒がられたりした。

 周囲は勝手だと思う。私と話して楽しいことなんてないのは私がよく知ってる。

 どんな風に話したらいいのかも分からないのだから。


 中学校に入る頃、20歳のお友達が出来た。でも、他の人には見えない。私だけのお友達。

 名前がないの、あなたが付けてって言うから、才子と名付けた。

 才子は、何も話さなくても分かってくれるから楽だ。

 私が感じたことや起こった出来事を、説明しなくても理解している。私は才子のこと、分からないのだけど。

 こんな理解者には会ったことがない。それも当然で、才子は私の頭の中に住んでいる人だからだ。

 私は才子との関係に傾倒して行った。


 私は、この頃から時折記憶をなくすようになった。

 お母さんに聞いたら、悲しそうな顔をして、「病院に行きましょうか」と言われた。

 いくつかの病院を転々として、A病院に行き着いた。

 そこには専門の先生がいるらしい。私が何の病気なのか訊いても、お母さんは教えてはくれなかった。

 先生は全然お医者さんには見えない。どこかのお兄ちゃんみたいだった。気さくで、お仕事だからだろうけど、話しやすくて、私でも少し話せた。

 それまでの病院ですっかりお医者さん嫌いになっていたけれど、先生のおかげでお医者さん嫌いは治ってしまった。

 先生は、私に、雅ちゃんはDIDだと言った。

 何だろうと思った。そうしたら、多重人格のことらしい。記憶がなくなるのは、違う人格が出てるからだって。


 私は、話してないのに才子のことがばれたんだと思った。それで訊いてみたら、それは人格とは違うよと言われてしまった。少し恥ずかしかった。

 才子のことも自分から話してしまったのは失策だった。

 先生は、入院を勧めて来て、お母さんは承諾した。それから長い入院生活が始まった。




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