才子29

 才子は――雅は、才子の部屋へと連れて行くと、音を立てて扉を閉めてしまった。結局一言も言葉を交わせていない。

「何だありゃ。人格? っていうのにしたって、ちょっと酷くねぇか?」

「自閉状態に近い」

「まぁ、こんだけ分裂してんだ。よっぽど酷い目にでも遭ってるのかねぇ」

 スティーブはどこか他人事のように言うと――いや、事実、彼の意識の中では他人事なのだけれど――腕や背中を伸ばしてあくびをしながら瑠璃子の部屋へと戻って行った。

 僕はしばらく才子の部屋の前に佇んでいたのだけれど、扉が開く様子もなく、ノックにも返答は無かった。仕方がないので自室へと戻ることにした。

 何故、雅が現れたのだろう。雅が副人格化したということか? 人格のサイコが、完全に身体の主導権を握ったということだろうか。外では何が起きている? 館内の才子が雅に入れ替わったのだとしたら、才子は何処にいる?

 才子は何処にいる?

 僕が知りたいのはもはやそればかりだった。会いたかった。会えたと思っても、姿が同じ別人で、正直に言うと落胆した。雅に聞きたいことはあるさ。でもそれは、才子が居る前提であって、才子が居ないのに雅についての関心は持てそうになかった。才子の存在感は僕の中で肥大していた。明確に、才子に会えなくて僕は彼女が恋しいのだと理解する。

 館の真実を知って以来、目的はいつの間にかすり替わっていて、脱出は意味を持たないものになっていて、ただ才子の重荷を減らしてやりたいと思うばかりだった。人格が人格に恋するなんて馬鹿みたいだと思う。厳密には才子は人格ではなくてイマジナリーフレンドで、主人格である雅にとって特別待遇で、それに対して僕なんかは必要がなくなったら消されてしまう程度のちっぽけな一人格に過ぎないのだけれど。

 そうだ、才子の背負っていた重責を軽くしたい。そのためにできること。僕は自室から出ると、白い廊下を歩き始めた。そしてもう一度、才子の部屋の前に行く。

 ノックをするが返事はない。

「雅……なんだよな? 開けてほしい。才子のことで話したい。君が才子としか言葉を交わさないことは聞いている。彼女の不在に落胆しただろう? 僕も同じだ。どうにかして才子を取り戻したい。それと、才子がこの館で過ごしてきた孤独を君に知ってもらいたい。別次元の存在である僕たちの中で、消えては増える僕たちの中で、ただ一人記憶を持ち続けた彼女の孤独を知ってほしい。君から才子に意識が流れていることは聞いた。でも、才子から君へは流れていないとも聞いた。才子が今までどんな気持ちでいたのか、二人で考えさせてほしい。それで戻ってくるなら、お互いにとって有益な話し合いになるじゃないか」

 そこまで言うと、暫く待つ。やはり駄目か。そう思われたとき、扉の下にメモを見つけた。開くと

『開けたくない』

 二枚目

『男の人は嫌なの』

 三枚目

『私と才子の間に入ってこようとしないで』

 四枚目

『才子を何処にやったの?』

 そんなのは僕が知りたかった。

 しかし、この子は性的虐待を受けている。男性である僕と二人きりになりたくないのは理解できる。

「才子が何処に行ったのかは分からない。けれど君が今、才子になっている。これが事実だ。聞きたいのはこっちの方だ。才子を何処にやったのか。意識的にでも無意識的にでも才子をどうにか出来るのは君だけなんじゃないのか」

『私は知らない』

「僕は才子に会いたいんだよ。会わせてくれよ。戻してくれよ。そうしたら目障りな僕を消してくれたっていいんだから」

『あなたが目障りだとは言っていない』

『他人が恐ろしいだけ』

「僕だって君の一部だ!」

 声を荒げる。

「僕だって君を守るために生まれたはずだ。もうすぐ消されるのかもしれないけれど。そうだ、僕しかやらなかったことを教えよう。記録を付けている。全部直視したらいい。君は現実から逃げているだけだ」

 僕は走って部屋から日記帳を取ってきた。

「大丈夫だ、僕はもう居なくなる。部屋に戻る。開けたら君の知らない君の深層心理である住人たちが生きてきた生活の記録がある。僕たちはこの館で生きてきた。消えて行った者もいる。でも最初から何もなかったわけじゃない。全員が少しずつ君を守ろうとして生まれた人格だ。僕にはそれが分かる」

 言い捨てると、部屋へと戻って行った。

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