サイコ9
次の日、コンビニで食糧を調達すると、登校前に廃アパートに寄る。崩れたエントランスの瓦礫を乗り越え、軋む金属の階段を登ると、後輩は既に到着していた。
「おはようございます」
「おはよう。……文也は?」
「寝てますね」
「起きたらまたサイコなのかね、やっぱり」
「基本の人格に戻るのでしょうからね」
文也のもたらした内部からの情報は興味深いものがあった。文也自身も全体像を把握していないということは最初に言っていたけれど、サイコ――いや、雅か――雅の内部に何人の人格が居てどう生活しているのかは、満咲を知らなかった辺りからしてサイコも分かっていなかったようであるから、戻ったら少しずつ聞かせてやろうと思う。
後輩は自宅から持って来たというタオルケットをサイコに掛けてやっていた。すやすやと安らかに眠っている様子を見ると、起きているときよりも幾分幼く見える。
「こうして見ていると、美人というより可愛らしいですよね」
後輩はまたでれでれと鼻の下を伸ばしていた。雅の容姿が相当に好みらしい。そういう自分も彼の雅への評価に対して否定の言は出ないのだが。
「んん……」
雅が寝返りを打つ。でろりとだらしなく広げられた腕は細くて、掴んだら折れてしまいそうだ。
「あまり食べていないんでしょうか」
「サイコは管理していそうだけど、雅の時はどうだったんだろうな。拒食症も持っていそうな細さだからな」
「食べても太らない人も居ますけどね」
後輩の呑気な一言に多少救われる思いもしたが、実際にはやはりあまり食べていなさそうな気がする。骨と皮とまではいかないが、病的な細さなのだ。どうやって動いているのか不思議になるくらいに。それを最初はモデルのようだと思ったものだが、彼女の事情を知るに至った今となっては同情的な目で見てしまう。
ああ、不憫だと思っているさ。雅自身の意思と反して彼女の副人格から得た情報に対して不憫だなどと思うこと自体、失礼なのかもしれないが。雅どころかサイコすらも秘匿しようとしていた件についても既に我々は知ってしまっている。完全なるプライバシーの侵害に当たるような内容を。
登校ぎりぎりまで廃アパートで時間を過ごしたが、雅は目を覚まさなかった。まるで長い夢を見ているようだった。時間になったので雅をその場に残し、後輩を伴って登校する。
道中、A病院の前を通る。やはり問題にはなっているようで、パトカーが入っていくのが見えた。警備員が対応している。
「僕たち、誘拐犯なんでしょうか」
「そうなるな」
「とんでもないことをしてしまいましたね」
「やってしまったことは仕方ない。何より、あの話を聞いて雅をここに置いておくわけにはいかないだろう」
「……ですね」
後輩は間を溜めて呟いた。気の小さそうな奴だ。内心では逮捕だ何だと悪い方向に考えが行っているに違いない。
「心配するな。何かあったら俺一人でやったことにするから」
「いえ、最後までお付き合いします」
「足手まといだな」
嘘だ。こんな奴でも同志が居ることが心強かったし、嬉しかった。苦笑すると、釣られて後輩も引き攣った笑いを漏らした。
雅が、自分に行われていた性的虐待について正しく話すことが出来たなら。問題は自分たちよりもA病院側に行く。そしてそれが本来あるべき解決の方法だと思うのだ。
「それにしても、リークしたというのは誰なんでしょうか」
「考えられるのは……雅の母親か」
母親。ほとんど不明の人物であるが、彼女もまた幸が薄いと言えよう。夫をテロで亡くし、娘はその時に巻き込まれて精神に異常を来し、再婚したかと思えば新たな夫は娘に性的虐待を施す――。
「正面切って文句を言えるほど立場は強くないのだろうか」
「雅さんへの治療が行えなくなることを恐れているのかもしれませんね」
「それと単に、もう疲れ切っているのかもしれないな」
雅への対応にも、自分の人生にも、日々の生活にも。想像してみると、彼女は彼女で大変な立場に居るのだ。
学校に着くと後輩と別れる。彼は昼休みにも雅の様子を見に行くつもりなのだと言っていた。自分は、昼は後輩に任せて放課後に廃アパートに寄ることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます