psycho3

「エミリーっていうのは、異国の姫っていう設定で」

「は?」

「とりあえず聞いてくれ。幼少時の雅の文通相手だったらしい。でも実在しない国の王女だから、誰かがテロ被害後の雅に同情して架空の姫からの手紙を書いていたのだと思う。雅の名前もエミリーから聞き出したんだ」

「その文通相手って誰だったんだ?」

「分からない。海外の保護施設に居たみたいだからその関係者か……母親じゃないかと思ってる。そのことも才子に訊きたかった。雅の母親についての話は全く聞かなかったから」

「ああ、こっちでは母親はテロで夫を失ってから女手一つで雅を育てて、ここの病院の院長と再婚したって聞いてる」

「院長? 雅は院長の義理の娘ということか?」

 文也の顔が曇る。

「あ、ああ。そうだけど」

「雅は、院長から性的虐待を受けてる」

 その場がしんと静まり返る。

「何だって?」

「拘束帯で縛られている時に、院長、看護師、研究者、警備員とあらゆる人から性的苦痛を強いられているのだと才子から聞いた」

「それ、本当だったらえらいことだぞ」

「うん。それでメディアにリークした人間が居てニュースになったんだけれども雅自身が拒否したから性的虐待については公にはならなかったらしい。代わりに拘束帯の使用が問題になったって」

「そのニュース自体は実際にありましたよ」

「サイコの人格は拘束帯に縛られているときに生まれたと言っていたな」

「じゃあサイコは、性的虐待からの現実逃避の現れなのかな」

「ああ、悟が急に出てきた時に思ったんだ。サイコは話しすぎたか、何か話したくないことがあって人格交代したのかもしれないって。もしかしてそのことか」

「女性にとっては話しにくい内容だろうし、君たちには知られたくなかったのかもしれない」

 高校生二人は押し黙る。少し間を置いて後輩の方が話し出す。

「義父からの性的虐待ですか……」

「波乱万丈だな。でも院長って医者じゃないのか? なんでわざわざ治療に支障を来すような真似を……」

「母親との結婚自体、目的は雅だったのかもな」

「この事もまだ何とも言えないな」

「助け出せないんでしょうか」

「雅が拒否する以上は事実確認は取れないから無理だろうな」

「そんな……」


 状況は詰んだように思われた。高校生の年長の方が思い切ったように口を開く。

「……攫ってしまおうか」

「え?」

「この辺は廃墟も多いから、一軒くらい借りたっていいだろう。雅をここに置いておくよりましじゃないか?」

 三人は顔を見合わせた。そして、誰からともなく席を立つ。今、身体は文也が持っている。今のうちなら移動にも自由が利いた。

「本当の外へ行こう」

 頷き、病室を飛び出す。看護婦や警備員に見つからないルート案内はナルコが担い、三人は再び裏庭へと出る扉の前までやってきた。

「文也、これが本当の外の世界だ」

 文也は息を飲む。この扉の向こうに、知らない世界がある。願って止まなかった、脱出への道が。

 開かれた先はもう暗がりだった。順番に外に出ると、高校生二人がサイコに案内された排水路を降りてトンネルを進み、貯水池兼運動場へと抜け出て行く。それからは階段を登り、道路に出て、病院の向かいの目隠しをされた廃アパートへ潜り込んだ。

「随分荒れてますね」

 アパート内の部屋はどれも肝試しで来たであろう者たちの手によって荒れていた。その中でも幾分ましな部屋を選ぶと、散らばった空き缶やごみを片付ける。

「とりあえずここで寝起きすることにしよう。明日、食料などの必要なものは持ってくるから。それから、サイコを始めとして誰かしらと人格交代が起きた時に我々が不在だった場合、面倒なことになるからどういう経緯か記録は残しておこう」

 年長の高校生が言いながら鞄からノートを取り出して一枚破り取り、ペンとともに文也に手渡す。


 そうして帰宅することになった二人の高校生は言葉を交わす。

「これで良かったんでしょうか」

「もう後戻りは利かないだろうな」

 夜の闇が二人を包み込んでいった。


 高校生二人が帰った後、廃アパートに取り残された文也は眠るのを恐れていた。そこら中荒らしまわった跡のある壊れかけて錆だらけのアパートの一室の放つ不気味さもさることながら、眠ってしまったらもう人格としても消えてしまうのではないかと恐れていたのだ。

 寝て起きた時には人格のサイコになっている、それはいい。残したメモと連れ出した二人の説明があればスムーズに事は運ぶであろう。病院側では騒ぎになるだろうが、知ったことではない。

 けれども、自分が館に戻れる保証はないのだ。外部の人間と人格に関わる話をこれだけして、主人格の身体を本来あるべき病院から移動までさせてしまった。間違ったことはしていないと思う。自分で正しいと思えることを成したのだから。しかし悟が真相を知っただけで消えてしまったことも不安を掻き立てる要素である。

 ただ、才子にもう一目でいいから会いたかった。願いはそれだけである。

 けれども実際の身体というのはこういう時には不自由なもので、明らかに睡眠を欲していた。剥がれたフローリングに寝そべると、闇が深くなるにつれ、うとうとと瞼を閉じるのだった。

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