才子27

 凭れるようにずるずると扉に頭を擦りながら屈み込む。ギィと重厚な音がして扉は開いた。そのままずるりと前のめりに倒れ込む。はっとして顔を上げる。

「才子!」

 僕は銃撃戦があったという日に一度入っているらしい、その部屋は黒く暗くて床が無いような、闇だった。赤いソファが一脚だけある。二人掛けの。才子と雅はここに座って会話しているのだろう。

「才子!」

 何度も名前を呼ぶ。暗いけれど、何故か見える。そして気付く。


 この部屋には、誰も居ない。


「嘘だろう?」

 才子が消えるなんていうことが有り得るのか? それとも、自分の意思でいなくなったのか……? どちらにせよ、才子の消失は僕にとって衝撃的だった。

『消える』人格たちへの感慨の無さが嘘のようだった。才子が居ないことが信じられない。戻ってきてほしい。話足りない。聞きたいことがまだある。言っていないことが、まだある。

 僕は心のどこかで才子のことを完全な存在だと思っていた。聡明で美しく、何事にも動じず、冷静に判断し、皆を引っ張り、この館を長年取り仕切り、必要なものはどこからか調達してくるのは魔法のようで、『上位存在』と唯一対等に近く渡り合い、それで……弱いところは見ないようにしてきた。見てはいけないような気がしていた。見てしまったら、知ってしまったら、彼女の纏う全知全能さが失われてしまうから。


 あまりの衝撃に落胆しながら、僕は広間へと入って行った。伝えなければいけない。

「みんな聞いてほしい。才子が居なくなった」

 喉から汗が出る。異常事態だ。

「『消えた』わけじゃないの?」

「でも覚えてるし」

「おい、消えるとか覚えてるとかって何のことだ?」

 スティーブには銃撃戦の日になくした記憶では話しているらしいのだけれど、エミリーも意味が分かっていないようなので二人に対して説明する。『消える』と消えた人間に関する情報は何もかも忘れるし、誰かが居たということしか覚えておらず、『消えた』ことに関しても何も感じない……はずなのだと。

「才子のことは忘れるはずがないんだ。才子は僕たちとは別の存在だった」

 僕は、『消える』のを覚悟で話し始めた。

「ここは、この館は、ある人物――『上位存在』である雅という――の、別人格が集まる場所なんだ」

「雅ですの?」

「そう、エミリーの文通相手だ」

「雅が多重人格者だというんですの?」

「厳密には『現在の』雅だ。年齢は不明。ただ、エミリーが文通していたのは雅の幼少期だ」

「時間にずれがあるというんですの?」

「文通当時のエミリーにとってはそうなるだろう」

 エミリーは何か考えながら押し黙ってしまった。話を続ける。

「ただ、才子だけは人格ではなかった。雅の脳内に居る話し相手で、雅から才子には感覚や感情が完全に繋がっているらしい」

「何それ、キモチワルイなぁ」

「しかしそれがわしらの主なんじゃろう?」

 僕は頷く。

「少し前にある事件があって、僕たちはその時の記憶を失っている。事件については別の理由があって――」

 満咲ちゃんを見遣る。

「――話す必要はない、話さない方がいいと判断する。ともかく、その時に僕は才子から今の話を聞いて記録に残していた。雅という名前はエミリーから聞いて初めて知ったものだけれど」

 全員の視線を浴びながら僕は話し続ける。

「才子は人格ではない。だから本来なら『消える』はずは無いんだ。『消えた』としても僕たちが覚えているのかいないのかも、才子の場合は特異な地位だから分からない。とにかく分かっているのは、才子がもう居ないっていうことだけだ」

 話したら少し楽になった気がする。これで僕も御役御免になるのだろうか。『消える』のだろうか。ほら、眩暈がしてきた。とても立っていられないような。耳鳴りもひどいし頭痛で頭が割れそうだ。

 そうして僕はその場に倒れ込んだ。


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