才子23

「エミリーはね、上位存在が幼少期に文通していた相手なの」

「……ということは、日本人の文通相手というのはやっぱり……」

「そう。上位存在よ。ただ、現在進行形の文通ではないの。ちょっと事情があってね、上位存在は幼少期にある施設で生活していたことがあったの。当時から本人もどこかで理解していたのだろうけれど、上位存在の置かれた状況に同情した人物が、架空の王国のエミリー姫という存在を作って書いた手紙を上位存在に渡していたのよ。当時の上位存在には友人と呼べる存在も居なかったから、エミリー姫の存在には随分助けられたようね。今になってもこうして覚えていて人格として迎え入れるくらいだもの」

「事情って何だ?」

「満咲が撃たれた一件にも関することだから話しておくわ。上位存在はね、幼少期ににテロに巻き込まれて、父親が射殺されるのを目の当たりにしたのよ。満咲は、その時に押し込められた記憶そのものなの。だから血の色を覚えているし、男性に触られるのを嫌がるの。父親を撃ったテロリストは男性だったから」

 衝撃的だった。言葉が出てこない。

「武装したあの連中が襲撃してきたことも無関係ではないと思うわ。今は上位存在から記憶は抜け落ちているの。でも、思い出しかけてる……ううん、本当は覚えているのを無理矢理満咲に落とし込むことで忘れたふりをしているだけ。直前の面会の時にそう感じたわ。感情の波を捕らえて防ぎきれなかった私の落ち度で一度満咲は死にかけた。上位存在はあのテロの時に死んでいたらよかったと考えているのかもしれないわね。記憶を再生して再体験した、と言っていいいんじゃないかしら」

「なぜ?」

「父親に生きていてほしかったからと、現状がきついからじゃないかしら」

 ああ、性的虐待か。それはそれで別の問題だ。自分の主人格とはいえ、何というか……人生がハードモードだな。その中でエミリーは確かに救いだったのかもしれない。才子も。彼女たちが居て、僕たちが彼女の精神を分担しなければ、確かに人が一人壊れかねないような経歴だ。

「僕たちは上位存在の役に立っているんだろうか?」

「どうかしらね。そうであることを祈るけれど、消されるのは不要になったことを意味するのかもしれないわね。少なくとも、今あなたがここに居ることは、彼女にとって意味があることなのだわ」

 そうであれば自分の存在意義を感じられる。話に聞く限り上位存在は十分すぎるほど同情に値する。彼女のために何かできるとして、僕たちが存在することそのものがそうであればいいのに。そう思った。

「少なくとも私は、求めらていると思いたい」

 才子は小さく呟いた。その目はどこを見ているのか判断できなかった。

「私は、彼女の中から消えたくないんだもの。友人だから」

 力強く発声した。恐らく、上位存在と才子とは想像もつかない程濃い時間を共に過ごしてきた。流れ込むという感情が、記憶が、人格とは別の存在であると言わしめる才子にとって、上位存在を『友人』と表現させたのだろう。

「感情が流れてきたことがあるの。私が唯一絶対の理解者だって。誰も分かってくれないって。当り前よね、他人は他人で、私はそうではないのだから。彼女の脳の中に住んでいて全ての感覚を、感情を、共有しているのだから。ただでさえ話下手で寡黙になったあの子が他人から理解されること自体難しいんだわ。それは本人も分かっている。でもどうしようもないのよね。もし私がいることで彼女の成長を阻害しているとしたら、私は居なくなるべきなのだわ。でも」

 才子は続けた。繰り返し。

「私は消えたくはない。あの子にとって一番近しい友人は私だもの」

 下手に口を挟むことが出来なかった。才子はずっと一人で抱えてきた。この館の秘密も、上位存在への感情も。それを僕みたいな新入りが一朝一夕に理解した振りをするのもおこがましいように思われたのだ。

「ごめんなさい。もういいかしら。一人になりたいから自室に戻るわ」

「分かった。――才子」

 去りゆく才子の腕をとっさに掴む。

「話してくれてありがとう」

 才子は頷いた。顔を向こうに背けたままで。


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