才子20

 明くる朝、館内は何事もなかったかのように元の姿に戻っていた。僕が眠っている間に現実でどれほどの時間が経過しているのかは不明だが、縛り付けた侵入者たちは『消えて』いた。これは記録を付けていたから分かっているだけで、僕以外は異変にも気付いていないようだった。才子を除いて。

 広間に入ると、変わりのない食事風景が目に入る。誰も銃撃戦の事など覚えていないようだった。僕も、そんなことがあったとは信じ難かったのだけれど。

 ただ、満咲ちゃんの不在については話題に上っていた。

「満咲、来ないねぇ」

「お姫さんはお寝坊さんかな? ははっ」

 瑠璃子とスティーブは呑気なものだ。記録によれば、満咲ちゃんは銃撃に倒れ、瑠璃子の部屋で生死不明の状態のまま消失している。しかし『消えた』とすると記憶に残っているのは不自然だ、と。

 いつもの食事風景の中、変わったことと言えば才子だ。果物にも手を付けていない。僕は才子の元に向かい、声を掛ける。

「昨日……正確には昨日なのか分からないけど、記録にあった。才子から聞いたこの館に関する話も」

「まだそんなの記録していたのね」

 うんざりといった様子で答えられる。

「満咲ちゃんはどうなった?」

「分かったら食欲も出るでしょう」

「未解明か」

「ええ。残念ながら。でもみんな満咲のことだけは覚えてるものね。どういう最期かは忘れてるみたいだけど」

「話さない方がいいんだろうな」

「『消える』以外に『死』の可能性まで出たらね。恐慌状態に陥って館の秩序が乱れる。それは上位存在にとっても好ましくないわ。引いては私にとってもね」

「才子は僕らとは分離した存在なんだよな」

「そうね。詳しく話すつもりもないけれど。冷静なつもりでいたけれど、あの時はどうかしていたんだわ」

 また黙秘か。才子から聞けることはそう多くもなく、僕からみんなに話せることも多くは無かった。『吉田さん』を『消した』負い目もそうさせた。

 瑠璃子とスティーブだけが明るい食卓で、僕もまた食欲は無く、悟よろしく今日は絶食かと思われた――のだが。


「!」

 意識がぴんと張る。誰か、来た。侵入者である可能性がある。

「才子、誰が迎えに行く?」

 いつもなら満咲ちゃんがそうしていたらしい。悟が才子に伺いを立てる。

「私が行くわ。二人以上、来なさい。そうね、文也とスティーブかしら」

 戦力として妥当なところだろう。瑠璃子に惜しまれながら、事情を知らないスティーブが仕方がないなといった風情で付いてくる。

「俺の時とは違って随分と大仰な御出迎えなんだな」

「ちょっと事情があってね。あなたは忘れてるだけ」

「ふぅん?」

 昨日の記憶が丸のまま抜け落ちているようだった。本体は余程強い鎮静剤を打たれたのだろうか。

「これ、渡しておくわ。もしもの時は頼んだわよ」

 才子は拳銃を二丁、スティーブに渡した。僕にはマシンガンを。昨日より重装備だ。僕たちは慎重に廊下を進む。どうか来訪者が昨日の二人組ではないことを祈りつつ。


「……うそ。こんなこと、あるのかしら」

 廊下の真ん中で眠っていたのは、見慣れた幼女だった。

 才子は一目散に駆け寄って抱き起すと小さな体をぎゅっと抱きしめた。

「いやだわ。来訪者を喜ぶことがあるなんてね」

 震える声は、泣いているのかもしれなかった。才子の弱い部分を初めて見た僕は、何か見てはいけないものを見た気がした。

 スティーブは、訳が分からないといった様子で、両手を上に向けてこちらを見ている。説明することが出来ない――才子が日頃感じているであろう不便さを僕は実感していた。と言っても、記録を読んで知っているだけで、体験したという実感はないのだけれど。

 廊下の真ん中で跪いた才子が暫く動かずにいると、満咲ちゃんが目を覚ましたようだった。

「才子? どうしたの? 泣いてるの?」

「いいえ。ごめんなさい。何にも気にしなくていいの」

 立ち上がった才子の目は少し赤くなっていたけれど、僕は見なかったことにした。それはスティーブも同じらしかった。

「武装解除。危険はないわ」

「了解」

 僕たちは才子の号令で持っていた銃を手放した。満咲ちゃんの顔が引きつったように見える。やはり小さな子に武器は恐ろしいのだろう。それとも昨日の記憶が本人にはあるのだろうか?

「満咲ちゃん、何か覚えてる?」

「……赤いの」

 血、かな。

「ごめんなさい、満咲には何も訊かないでいてあげて」

 何か他に事情でもあるのだろうか。しかし全てを掌握しているであろう才子には従わざるを得ない。僕とて満咲ちゃんを傷つけようだとか、嫌なことを思い出させようだとかいう気はないのだから。

 満咲ちゃんは才子に手を引かれて広間へと戻って行った。







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