才子19

 ひっくり返って泡を吹いている襲撃者を縄で縛り付けると、僕たちは剥がれた壁に覆われた廊下を通って再び瑠璃子の部屋へと向かった。

 そこには満咲ちゃんの姿は既に無かった。

「うそ、『消えた』……?」

「しかし満咲のことは覚えておるな」

「おい、どういうことだ?」

 スティーブだけは状況を把握していないようだった。才子が『消える』という現象について説明する。

「吉田さんの事もあって、あなたはここに来る前の事も理解していた部分があるから不自然に感じるでしょうけれど、この館の住人は『消える』ことがあるの。なぜ『消える』のか、訪れる者すべてに無差別に説明する権限は私にはないから、先ずはそういうものだと思って頂戴。それで、通常ならば『消えた』人間について我々は忘れてしまうものなのよ。誰かが居たというのは覚えているけれど、名前も年齢も性別も何を話しどう生活していたか、一切記憶には残らない。ただ、『消えた』という事実だけは理解する。それが満咲の場合……おかしいのよ。忘れた人はいる?」

 才子が問いながら周囲を見回す。僕ら一人ずつの顔を。誰も首肯しないことを確かめると

「満咲の事を忘れた人間が居ない。なのに満咲の身体はここには存在しない」

「ふぅん。前代未聞というわけか」

「そうね。ただでさえ満咲はここが長いのよ。私の次に来たのが満咲。厳密には私は最初からここに居るわけだけれども」

「初耳じゃな」

「……いけない、口が滑ったわ。私とこの館の事は今は話すべき事柄ではないわ。満咲は完全には『消えていない』。そう考えるのが自然ね」

 才子の解説には一理あった。銃撃戦の中、満咲ちゃんが瑠璃子の部屋以外に避難している可能性もある。

「そうだ、ネームプレートは?」

 思いついて口に出す。『消えた』のならネームプレートは外されているはずだ。

「才子が外してるわけじゃないんだろ? 消えていないなら満咲ちゃんの部屋のネームプレートが残っているはずだ」

「そうね。確かめに行きましょう」


 僕たちは再び荒れた廊下を通って満咲ちゃんの部屋の前まで移動した。ここの扉も蜂の巣だ。そして絶望が訪れる。

「……無い」

 ネームプレートは、無かった。

「『消えた』んじゃなくて『死んだ』っていうことじゃない? やだよ、あたしの部屋なのに!」

 瑠璃子が甲高い声を出してスティーブにしがみつく。スティーブは義務めいた手付きで瑠璃子の髪を撫でてやり宥めようとしていた。

「『死んだ』としても死体が無い」

 冷静に悟が返す。

「死体だけが消えるっていうんだって有り得るじゃんかよ! この館なら何が起こったって不思議じゃないんだからさぁ! もうやだ、あたしあの部屋で寝るのキモチワルイ……」

 瑠璃子が泣き出す。状況は誰にもわからなかった。才子でさえも同じらしく、口元にグーに閉じた手を当てて考えあぐねている様子だ。

「瑠璃子、そんなに嫌なら部屋は変えなさい。同じ家具と間取りは用意できるから今までと変わらず生活できるはずよ」

 ひとまず今ある問題として瑠璃子を落ち着かせる事を優先的に判断したらしく、才子は瑠璃子の部屋の前からネームプレートを取ってくると、適当な空室の前に挿し入れた。

「何か思い出すようだったら間取りも何もかも変えるから私に言いなさいね。満咲の事に関しては可能な限り調べる。あとは寝て起きたらあの襲撃者二人が『消えて』いることを願うばかりね」

 何も解決しないまま、才子は口惜しそうに号令した。

「解散」


 ボロボロになった部屋の前に戻る。穴だらけの扉を開けると、室内は何ら変わった様子もなかった。

 日記帳を出し、波乱の一日を記録する。この記録が『吉田さん』を『消した』忌まわしいものだとしても、館の構造を才子から聞くに至った今でさえも、記録することを辞めるわけにはいかなかった。

『上位存在』に僕たちが居ることをいつか知らせなくてはいけない。そのためにこの記録は必要なものなのだ。そう思い、筆を取る。


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