才子8

 部屋に戻り、日記帳に吉田さんから得られた情報をまとめる。初めてまともな情報を得られたような気がする。いや、それ以前の各人からの話の断片があってこそか。

 吉田さんには今後も話を聞きたい。才子以外で核心に興味を持ち、しかも真相に到達しているらしい貴重な人物だ。

 僕は部屋の照明を落とすと、少し安心したのだろうか、昨夜の不安とは違ってすこやかな眠りについた。


 翌朝。相変わらず夢も見ない。広間に向かうと各々食事をしている。

 才子は果物、満咲ちゃんは甘いもの、悟は絶食で、瑠璃子はスムージー、Gさんはコーヒーだ。

 僕は白米と鮭の切り身と漬物と味噌汁を盆に乗せて食事をする。

 今日も聞き込みを続けなければ。……あれ、誰にだっけ。周囲を見渡す。何かが足りないような気がした。誰かが居ない。しかし誰なのか思い出せない。

 もしかして、これが『消える』ということか?鳥肌が立つ。本当に思い出せないのだ。性別も、年格好も、何を食べていたかも、ああ、でも何か重大な話をしてくれたはずだ。求める情報を与えてくれたはずだ。


 食事を掻き込むと慌てて部屋に戻って日記帳を開く。記録しておいてよかった。そこに見知らぬ名前を確認する。

「吉田さん……?」

 誰だ? そもそも何故この人だけ名字なんだ? いや、そんなことはどうでもいい。人が一人消えたらしい。それも記述によれば僕が脱出を果たすために最も有益らしい人物だったようだ。口惜しい思いがした。

 しかしそれは、彼女を失ったことではなく、情報を得る手段を失ったことに対してだった。不思議と、その消えた『吉田さん』に対しては何の感情も覚えないのだ。

 落胆しながらも僕は、今日は聞き込みをやめて何か本を読んでみようかという気分になった。

 広間に戻ると才子に声を掛けて、小説と心理学と数学とミリタリー雑誌などを無心した。才子は承諾して、どこからかそれらを持ってきた。館内に図書室でもあるのだろうかという速さだ。

 その日は誰と話すでもなく才子の持ってきた本を読み耽った。微分方程式を解きながら、あれ、昨日までの自分はこんなことが出来ただろうかと疑問に思う。出来たような、出来なかったような。やったことがあるような、ないような。日記には書いていないし、この館に来る前に数学か物理をやっていたのかもしれない。僕は理系の大学生だったのかな。その程度にしか考えなかった。


 昼を食べ、Gさんとは挨拶程度に会話したが、周囲がそうであるように特に重大な会話を交わすことなく、再び部屋に戻って本の世界に没入する。

 僕は今までこんなに本を読めただろうか。ここに来る前はそうだったのかもしれない。ここに来る前……記憶はない。どんな性格をしていてどんな生活を送っていて、家族とはどういう関係だったのか、兄弟姉妹は居たのか、恋人はどうか、まさか結婚しているなんていうことは……。

 考えると、早く帰らねばと思う。思うのだが、今は本を読んで知識を得ることが真相に近づく近道だと考えていた。記録によれば吉田さんは常に本を読んでいて、才子を通さずに真相に至ったのだという。ある程度の頭がなければいけないのだろうが、それは可能だということだ。一人やり遂げた者がいるのだから。

 しかし、僕が推測するように『消える』条件が真相に近づくことだとしたら……『吉田さん』は実際真相に興味を持ち、解明し、そして消えた。解明が『消える』ことに繋がるのだとしたら、リスクは大きすぎる。

 しかしここで無為に時間を過ごす気にもなれなかった。居心地が悪いわけではない。けれど、ずっと留まっていてはいけないと思う。他は無理でも、満咲ちゃんくらいは連れ出してやりたかった。あんなに幼い子がいつまでもこんなところで過ごすのは良くないだろう。


 読書に耽っていると、一日があっという間に過ぎてしまった。

 集団心理についてや数学は面白かったし、ミリタリー雑誌は外部に敵がいた場合には何かの足しになるかもしれない。合間に読んだ小説も面白かった。架空戦記物だ。仲間を集めて突破口を開くという王道の物で、僕もこの館内で協力者を得て脱出を計ろうという気になってきた。

 才子以外なら協力してくれないこともないだろう。才子が協力してくれれば、それが一番の近道であるのは明白なのであるが。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る