サイコ5
「私は院長の娘なのです」
病気でもないのに個室を占領しているお嬢さんはそう切り出した。
だからって、病院に住めるものなのか? 病気でもないのに? 忍んで外出しなければならない程に? どうもサイコの言うことは的を射ないのだった。かと言って純粋培養で育ったお嬢様が精神科病棟に長期入院なんていうことも考えにくかった。
サイコの言う通り、世間知らずそうではあるが、一般にイメージされるような精神病の印象も受けなかった。サイコはとても落ち着いているように見えたのだ。
「ただ、父は亡くなっていますけれど。元は母と二人だったのです。それが、母が今の父に見初められまして、嫁ぐことになって」
つまりはサイコの実父は別に居て、A病院の院長とは再婚という事らしい。
「望めば物品は与えられるのですが、外出だけは制限が掛かっていて」
不思議な違和感を覚える。病気ではない、入院している、院長の継子で、自由に外出することが出来ない。その割には見張りなどは手薄で毎日忍び出ることは可能だと。
何だかパズルのピースが合致しない情報の凹凸を感じる。
「父が亡くなったのは事故で、私を守ってのことだと伝え聞いています。私は幼かったのでその時の記憶などはないのですけれど、私が今こうして生きていられるのは父のおかげなのですよね」
サイコは空中に視点を浮かべながらぼんやりとそんなことを語った。なるほど。父親と単に死別というのではなく、父親という近しい存在の死の瞬間を幼少時に見てしまっているのか。
もしかしたら病識がないだけであって、トラウマが原因で精神を患っているのかもしれないなどと考えてみる。横では後輩が甚く気の毒そうにサイコに慰めの言葉を掛けている。ナルコはサイコに撫でられたまま、話の内容は良く理解していないようだった。
考えてみれば、割と老成していたと評される自分でも、死の概念を理解したのはナルコの年恰好よりは随分後で、小学校三年で祖父を亡くした際に漠然と理解したのが最初だ。
魂が消えて、灰になって以降会うことは叶わなくなり、言葉を交わすこともなくなるのでそれまでに掛けられた言葉を反芻し、思い出の再生という形でしか死者とのふれあいは叶わない。それが当然のことで、人はみな身近な人間の死を通してそういうものだと共通して学んでいくものなのだ。
それがサイコの場合、余りにも近く、余りにも早く訪れてしまったのだろう。
しかし、完全に消え去ってしまうものではない。死者はそれまでの生によって我々に何らかのものを遺していくのだ。サイコの場合には、彼女自身の命だったのだろう。
ふと、ここで疑問が沸いた。
サイコは確か、生まれてからずっとこのA病院内の施設に居たと語っていたはずだ。これはどういうことなのだろうか。
「ああ、それにも、事情があるのですよ」
サイコはまた少し笑った。薄い唇の口角を引き上げ、あの、魔法でも唱えそうな表情で。
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