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それを見て、九条が僅かに振り向いて許子を見遣る。
「猪原さん、全く関係ないが、君にとって神のように崇めるものはあるかい?」
「な、なんですか? 突然……」
「いいから、答えてみて、雑談だと思ってくれ」
訝しげな視線を送りながらも、何か意味があるのだろうと思考する許子。漸次、空想に足が着いたのか、一瞬だけにやついた後、再び元の険しい表情に戻り、気を取り直すように咳払いをした。
「ん、そうですね、知り合いのお店で聖護院大根のスープ煮を食べた時、これを考えた人は神かと……」
小さく九条が息を吐く。答えの意味を知っているのか、どこか悪童じみた狡辛い笑みを含んで。
――では。
九条の声が、場内に響き渡った。御簾の奥を突き穿つように、透徹な瞳で。
「教祖、貴方にとって神として崇めるものとは?」
しばしの沈黙。
その後、場内に合成音声が流れる。
《それは聖護院大根のスープ煮を考えた人物――》
次の瞬間、奇声と共に何かが砕ける音が響いた。
音の方向を見れば、上松が杖を振りかざし、寄合所に置かれた黒い端末を
「無駄だよ、上松導師。音声端末を壊しても、教祖が消える訳じゃないだろう」
九条が獲物を追い詰めるようにして、一言ずつ、忿怒の形相の上松に毒針を埋めていく。対する上松は頬を引き攣らせ、尖った歯を何度も軋ませた。
一方で、事態を把握できない多くの人間が、声の出し方すら忘れて、その場に縫い付けられている。
「ちっと待ってや、市役所の人、言うてくれ! 今の答えはなんじゃ! 教祖とはなんじゃ、俺らが崇めて来たモンはなんじゃ! 馬淵が、アイツが教祖を騙っとるんと違うんか?」
場の緊張した空気の中で、孝蔵が九条に説明を求めた。
「今の答えは、そう、猪原さんが答えた言葉が相対知になった結果です。他は――もう、いいでしょう。さぁ、上松導師、市民の説明要請に答える時だ」
一歩、二歩。
足下を焼き尽くすような足取りで、九条は祭壇へと登り、御簾に手を掛け。
一気に引き破った。
「あれは」
そこにあるのは、ホログラフィーで投影された、異常な姿。
人の形、絢爛な紫衣。四方に広がる布は、二十一世紀の十二単との相似。
伸びた二房の髪が、次々と変光して玄妙な色を見せ、垂れ下がるでもなく形を整える。
顔は―人のものではない。
正確には、人を模した贋物。微笑む口元、欠けた鼻、嬰児の如き大きな瞳。世間に溢れるアニメや漫画のキャラクターを、さらに3D化させた、二次元と三次元の中間にあるようなアイコンであった。
許子は、その顔を知っている。
「ホシミ……」
以前に九条が見せた、ごく狭いフォーラム上の、いずれ知られぬアイドル。ホシミ@社会不適合者。
「そう、彼女だ。だが、あれは勿論本人じゃない。馬淵がホシミの姿を似せて作った、フォーラムを管理する為の」
――AIだ。
九条の告げた真実に、他の誰でも無く孝蔵が呻いた。
「ど、どういう、AIって……」
「そのままです。貴方は馬淵と作業をしていたのなら知っているかもしれないが、彼が作ったのはフォーラムを管理する為のAI、つまりは人工知能ですよ。俄かには信じられないかもしれないが」
――人工知能。
許子は、いつかバーでサエコさんが話していたことを思い出す。近頃では、現実の人間ではなく人工知能がフォーラムの管理運営を行うことがあるという。あるいは何度も世話になっている二羽の鴉を思い起こせば、人工知能がどれだけ有用かは理解できる。だが、それでも、AIが新興宗教の教祖として振る舞うなど、前代未聞であった。
「教祖様が機械やってか」
声を上げたのは、かつて九条を寄合所に案内した玄老人だった。
「有り体に言えば」
「嘘じゃ!」
次に声を上げたのは、以前、教祖に息子の事を相談した老婆。
「教祖様は、私らに語りかけ、相談にもよう乗ってくれて、何度も助けてくれちゃったお人じゃ」
怒号が飛ぶ訳でもなく、努めて冷静に反論を試みようとする老人たち。彼らが求めていたのは、あるいは否定だったのかもしれない。それは教祖がAIである訳がないというもの以上に、今、目の前にいる薄気味の悪いキャラクタのような存在が、自分達を救ってきたモノである筈がない、と。
「この教祖――AIは、フォーラム接続者から質問があった際に答えるように出来ているんですよ。何も特別な機能じゃない。フォーラム管理AIとしては、標準機能の一つです」
九条は満場の老人達に向かって語りかける。
彼らは事態の成り行きを見守るだけで、それ以上、何一つ反論する気配を見せない。
「二ツ山村。二重写しの村。ひまわりの國。これが貴方達にもたらしたのは、偽りであれ理想と平穏だったはずだ。ですが、説明要請に従って明らかにしなくてはいけない。この場所に教祖というものは存在しない。ここに居るのは、このフォーラムを管理しているAIだ」
それ以上は説明する気も無いのか、九条はポケットから煙草を取り出そうとする。その様子に慌てた許子が困った顔を浮かべて、九条の袖を引き、先程の一幕を説明するように促した。
「さっきの禅問答みたいの、あれなんなんですか?」
「チューリングテストだよ。AIと現実の人間を区別する為の、会話によるテストだ」
九条が視線を投げかけた先には、今も戯画化された顔でニコニコと笑う架空の教祖―フォーラム管理AIの姿。
「このAIは非常によく出来ている。接続者の質問に答える機能が強化されているんだ。フォーラム内で話されたログをプールして、そこから会話のパターンを検索し、答えを決めている。人間の会話を基にしているのだから、人間らしい振る舞いを自然に行える」
構造は簡単だが、と付け加える九条だが、許子には理解が及ばない。どちらかと言えば、事の次第を知悉している孝蔵に対して説明している節がある。
「神だとか、そういった抽象概念に対する質問は弾かれる可能性があるが、その質問自体もプールされ、次の質問時には別の言語概念と組み合わせて答えられる。抽象概念を扱うAIとしては、非常に高度なプログラムと言える。だが、ここに脆弱性もある。抽象概念への質問を繰り返すことで、プールされた会話が特定化され、会話のパターンが減っていく」
キーワードの項目を増やして、検索結果を減らしていく感じだろうか、と、必死に許子は解釈しようとする。
「とはいえ、それだけ減らすには何千回、何万回と質問を繰り返す必要がある分、やはり優秀なAIだと思うよ」
「そんなこと……!」
上松の驚き。それまで憎々しげに九条に視線を送っていた彼は、そこで初めて、在り得ない物を見たような顔つきをする。
「裏でオーディンを走らせている。僕が質問した内容から、僅かに変えたものを生成し、一秒につき二万回ほどAIに質問していたんだよ。ログがプールされるより早く、関連した
呆気に取られる周囲の人間を余所に、ここで上松は小さく舌打ちをしてから、片手を懐へと忍び入れる。そうして猜疑心に歪んだ梟のような眼を光らせて、悪辣な表情を作った。
その途端、上松は短く呻き声を漏らし片手を振り上げる。手にしていた携帯端末は放り投げられ、笑顔のままの教祖の顔をすり抜けて、板張りの祭壇へと転がっていく。
《ノイン! その人、フォーラムの権限を強制的に書き替えようとしてたよ!》
落とされた携帯端末からフギンが飛び出して鳴く。目論みを喝破された上松の方は、身を固くして寄合所の壁を背に構えている。
「いい加減、観念したらどうかな、上松導師。僕は警察じゃないから何も言わないが、貴方は既に馬淵も――」
九条が言いかけた所で、上松は手にしていた杖を許子の方へ目がけて投げた。
許子が悲鳴を上げるより早く、車椅子が倒れる音が響いた。九条が振り返ると、許子を庇って孝蔵が倒れている。重い金属の輪形が当たったのか、肩を押さえて蹲っている。その一瞬を突いて、上松は九条をかわして寄合所の外へと駆け出した。
許子は目の前で苦しむ老人に手を遣り、何も出来ずに顔をしかめた。
九条は一手遅れた事を悔やみ、次の瞬間には振り返って上松の姿を探す。
「導師ッ!」
この事態に誰よりも最初に声を発したのは、誰であったか。
数歩の間、九条が上松を追う。
「放せ! クソババア!」
上松に縋りついていたのは、他ならぬ孝蔵の妻の宗だった。
他の老人達も釣られて、次々と上松の方へと殺到する。
「アンタは私らを騙しとったんか! なぁ、言えや!」
狂乱の中、数人の老人に囲まれた上松は慌てるでもなく、せせら笑うような調子で――
「最後の御詞である」
そう、言った。
直後、寄合所を震わすようにして、ノイズまみれの少女のような声が響いてきた。
――立体音響。
この時、許子が最後に見たのは、画像が乱れ、虫に食われたような無残な姿を晒す、この村の老人たちを救い続けた存在の、哀しい笑顔だった。
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