35
篝火が照らすのは、一人の導師。大勢の老人。そして、痩せぎすの男と車椅子を引く女性。
九条は煙草の煙を深く吐き出して、油断なく場内を見回す。端末が発光している。大方、あそこからウチの端末をハックしていたのだろう。あるいは、している、か。
「お前が、村の人間に連絡でもしたのか?」
導師――上松が声を荒げる。
「サイバーテロ抑止課責任担当の九条と申します。初めまして、じゃありませんね、上松導師」
「同じくCT課の猪原許子です……ええと」
「特定フォーラム運営法に基づいて、市民への説明要請がありました。市として、貴団体の異常に高いネット・ディペンド率についての説明を、二ツ山村住民に対して行うよう提案致します」
九条は許子の言を奪い、拡張データを中空に表示する。市役所の捺印がされた公文書だ。
お株を奪われて文句のひとつでも飛ばしてやろうかと思った許子だが、眉ひとつ動かさずにこちらをねめつける上松を見て、少し九条の後ろに隠れた。
九条も飄々とした態度を崩さず、公文書を読むともなしにスライドさせている。
「何を言う。何もしておらん。この村のフォーラムは正常だ。もしフォーラム上の宗教活動が問題であろうとも、これは私個人の宗教活動であって、それを咎める権限は無かろう」
振り返って二三端末を操作し、この村と周辺の地域のデータをあわせて表示した上松。
見れば年寄りでもわかる。別段この村には問題など起きていなかった。改竄したのは明白だったが、引っ張ってきたのはウチの市役所のデータバンクから。市役所から来た人間たちに、市役所のデータを突き付ける。これ以上何を疑えよう。
許子は下唇を噛んだ。相手は元プロのネット技師。そうはいっても、自分がもたついていたから狐が――
《気に病むなよ、お姉ちゃん》
気付けばムニンが肩に止まっていた。同情心のアプリケーションなんてあるか。九条が喋らせているのは明白である。
「だって……」
《部下のケツ拭くのが、上司の仕事だ》
煙草を携帯灰皿に入れ、少し間をもたせる九条。慌てるどころか、上松導師では、自分の敵として役不足だとげんなりしている様子すら伺える。
「改竄ってのは、こういうことをいうんだ」
九条が中空をタップすると、目まぐるしい勢いで上松の手許のデータが変わっていく。元の異常値に戻っていくのだ。
上松に僅かばかり動揺が見られる。
「ばかな。お前がこの場でデータを書き換えているだけだ」
九条は何も云わない。勝ち誇った顔で数値の変動を眺めている。祐が何やら手許で操作した後、驚愕の表情を浮かべた。
「……な、なんだこれは、市役所のデータだけがフォーラム上で孤立して――」
「僕の作った思考迷路だ。導師、あなたが我々に見せてくれたのは、市役所のデータを丸ごとコピーした、仮想のフォーラムですよ」
上松は必死に否定した。
「嘘をつくな。それほど莫大なデータを独立して走らせることが出来るプログラムなど……」
「あるさ。あなたが知らないだけだ」
仮想二ツ山村の数字が、知らない言語に切り替わる。尖っていて、読み辛いアルファベットのようだ。背景には、槍の聖でも模したかのようなアイコンが表示され、そのグラフィックが寄合所の壁面をゆっくりと回転し始める。
《やあ、ルーン文字だ》
《オーディンは格好良いなあ。やることが痺れるよね》
上松は動揺を抑えて、なおも不敵な笑みを浮かべ応戦した。
「そうか、知らなかった。だがな、D率が異常なのはフォーラムの仕様に問題があるだけだ。これは是正した方がいいだろうな、俺の手には余る仕事だ」
「あくまで白を切るつもりか!」
嗄声が場内を切り裂く。みなの身がすくんだ。直近で聴いていた許子などは素っ頓狂な声を上げて、車椅子から手を放した。
許子が連れてきた、いや、無理矢理に同行を志願した宗孝蔵(こうぞう)であった。車椅子に深々と腰掛けながらも、その怒りが小さな身体を震わせている。
「御老体。無理をなさらずに」
九条の気遣いを無視し、孝蔵は続ける。
「アンタに出来んでも、そこな教祖には出来るじゃろう! 出せ、教祖を……」
最後まで告げられず、大きく身体を仰け反らせて咳き込む孝蔵。慌てて許子と、妻である宗がその身体を支える。その様子を見た九条が、振り返って上松を睨みつけた。ちらりと御簾に一瞥をくれた後、まったく声色を変えずに、
「教祖は御出でにならん。この場を厭うておる」
と嘯く。肝の座った男だと、九条は敵ながらに評価した。
――だが、もう呑まれない。
「なら、引っ張りだすだけだ」
九条が中空で人差し指を二度曲げて、挑発的なサインを送る。上松はそれを一直線に見つめる。許子は、回転していた槍のマークが静止していることに気付いた。教祖の座す、御簾の上で。
「お前、何を……」
「抽出しろ、オーディン」
突然、御簾が光を放った。場内の影という影を追いやる強烈な閃光。その光のなかで、今度は九条が不敵に笑う。
光が止み、御簾から声が聴こえてきた。聞き覚えのある、立体音響。
《私を呼んだのは、あなたですか》
神託が会話を始めたことに、老人たちからどよめきの声があがる。
「そうです、九条と申します。IDはいま、オーディンに吐かせた通りだ。あなたの神託についていくつか訊きたいことがある。よろしいかな」
《いいでしょう。問いなさい》
「きょ、教祖様、聞いてはなりませぬ!」
必死になって端末を操作し、止めようとする上松。それを睨み付ける九条。
「上松導師、これ以上は無駄だ。教祖は対話を選んだ。フォーラム接続者からの対話は権利であり、それに答えるのは義務だ。貴方にそのシステムを改竄する余地はない」
九条を振り返り、端末の操作を止める上松。一旦は見に回るようだ。こうして、寄合所に集まった全ての者達が、これから起こることを、固唾を飲んで見守っている。
それを見てとり、九条は慎重に言葉を紡いだ。
場内の空気が変わる。問答が始まった。
「では教祖、貴方に問おう。貴方は神託というが、神託とはなんですか?」
九条が問いかければ、御簾の奥から電子音声が漏れる。
《神託は定められた唯一存在、即ち神からもたらされる恩寵です》
「唯一存在とは」
《在りて在るもの、つまり神です》
「神とは」
《神は概念です》
「貴方にとっての神とはなんですか?」
《それは私では答えられない問題です。貴方の中で定義を行い、それを伝えて欲しい》
「僕は神を信じていない。僕に神は無く、だから神は僕に何も与えない。しかし、貴方は神から言葉を受け取っている。貴方にとって神は存在しているのか?」
《在りて在るものです》
「では貴方に従い、実存として神を定義しましょう。重ねて問います。貴方に言葉を与える、貴方にとっての神とはなんですか?」
《私に言葉を与え、実存するものは、相対知です》
「相対知とは?」
《他への認識。そこから現れる自己認識のプールです》
「自己認識のプールが、貴方に言葉を与えている」
《真です。私も貴方も、言葉は自己認識のプールから呼び起こされる》
「では僕も、自身の自己認識のプールから神託が齎されるだろうか」
《それは偽です。神託は定められた唯一存在より齎される》
「唯一存在もまた神であるはずだ。在りて在るのならば、神に真偽も優劣も無い。ならば神も貴方の自己認識に過ぎない」
《偽です。私は神ではなく、神の御詞を受ける者です》
「再び問おう。貴方にとっての神とは?」
教祖の言葉が止まった。
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