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 ドアが開かれた。


「どう、仕事は捗ってる?」

「ように見える?」


 紙束を抱えて抑止課のオフィスに入って来た小野に対し、慣れない作業を続ける許子は眉根を寄せ、歯を見せて睨む。へへ、と乾いた笑いを漏らして、威嚇された方の小野は紙束をデスクの上に置く。


「しかし、まさかイノちゃんが紙資料じゃなくちゃ読めないくらい機械音痴だとはねぇ」

「違う、私は頼まれて頼んだだけ!」


 クリップでまとめられた資料をパラパラと捲る。そこには数多くの人の名前が記載されている。いずれもフリーターとSEの狭間にいるような、いわゆるスープ専門技師の情報。そして彼らを雇い入れるバーゲルミア社についての情報を、敢えてプリントアウトしたものだった。


「上司さんの指示? でもわざわざ俺の個人アカウントから接続して出力しろなんて、変な頼み方するね」


 それは、と許子が理由を考えようとした所で、起動したままの携帯端末から九条のアイコン――何も弄っていない味気ないもの――が映し出された。当の上司からの連絡が来たことで、小野は笑みを零し、そそくさと自分の仕事へと戻って行った。


「猪原さん、例の情報は出してもらえたみたいだね」


 通話モードにしての、開口一番の声がそれである。


「う、うわぁ、また盗聴ですか?」

「人聞きが悪い。抑止課のオフィスは専用回線で、いつでも僕の端末からモニタできるようにしてるだけだ。くれぐれも変な事はするなよ、見たくない」

「しません! 訴えますよ!?」


 そんなことより、と結構な冗談を飛ばした当人が話の舵を切る。


「猪原さん、抑止課の端末からバーゲルミア社にアクセスして、プリントアウトされた所と同じ箇所を見て欲しい」

「え、同じ所をですか? でも、もうプリントアウトしてるし……」

「いいからさ」



 ぐ、と唸り声一つ。上司の言いつけとあれば、従う他無い。もう少し説明があっても良いとは思うが。

 許子はモヤモヤを抱えながらも、九条の示す通りにスープ内の情報を検索していく。これくらいは最低限として出来ていたと思うが、改めて考えると企業の内部情報――それが公開資料であれ――を閲覧する方法までは、さすがに普段の利用では解らなかった。その点、なんだかんだで紙の束にした小野は偉い。いや、これが普通なのだろうか。


「見れたみたいだね。それじゃあ、今度はこの委託技師名簿を紙の方と照らし合わせて」


 未だに説明が無いまま、何か凄く無駄なことをさせられそうで嫌になる。


「どう、解った?」

「何がですか?」

 と、紙束を捲りつつ、明らかに不機嫌な声を出す許子。


「よく見てくれ。何か変わってる所は無い? 特に名簿の所」


 そういえば、と許子は何かに気付く。

 ――変な違和感。

 目の前にある紙と、画面上の情報を見比べた時に、必ず名簿のページをまたいだ辺りで微妙にズレる。


「もしかして、名前が――抜け落ちてる?」

「正解だ。よくやった」


 少しだけ声を明るくさせて、九条が許子を一回だけ褒める。


「え? え、よく解んないんですけど、説明してくれます?」


 許子の質問に、既に向こうで何かしら作業をしていたのか、ごく短い沈黙の後に

「ああ、いいよ」と、ぶっきらぼうな声が返って来た。

「やつら、市役所の人間が村の事を調べてるっていうのは気付いてるはずだ。少なくとも僕だったら気付く。そうした時、僕ならまず相手方の通信記録を監視する。現に以前、こちらの通信記録を監視されたことがある」

「監視、って、この端末でやった事がバレてるんですか?」


 気味が悪くなり、思わず許子はデスクの方から離れる。


「安心してくれ。元より、外部からカメラやマイクにアクセスしても、偽装した物を掴ませるようにしてある。抑止課のセキュリティは中央情報隊MIC並だ」

「じゃあ、なんで……」


「あえて隙を見せて、罠に掛ける。秘密宗教の正体が、ごく最近に生まれた物ならば、相手が知られたくないのはそれ以前の情報だろう。特に関係者の情報が露見するのを防ごうとするはずだ」

「それが、バーゲルミア社の社員情報、ですか」

「こちらが、これ見よがしに会社の方へアクセスすれば、相手は自分の情報を探られていると気付くはずだ。放置すれば問題ないが、もしも見られて困る情報があるなら、慌ててそれを改竄しようとするだろう」


 それで事前に紙資料となったものを用意させたのだ、と許子は納得する。一度紙になってしまえば、後でいくら改竄した所で情報は残ってしまう。紙媒体を愛してきた許子にとって、こうした点では非常に良く理解できた。

 あとは、それを元に照らし合わせれば、改竄箇所、つまり知られたくない所が浮かび上がってくる。


「それで、抜け落ちている名前を確認したい」

「え、あ、はい!」


 許子は手許の紙の方から、消えてしまっている名前を探し出し、九条へと告げる。


「ありました。やっぱりそうです、馬淵康太。この人の名前が消えてます」


 そうか、と、この答えが来るのを解っていたのか、満足した声が端末越しに漏れる。


「経歴について、紙の方に情報があれば読み上げてくれ。こっちでメモしよう」

「あ、はい。ええと、馬淵康太、主業種はフォーラム管理AI制作、人口管理プログラム制作、経理管理プログラム制作、フォーラム一般サービス制作……。このバーゲルミア社で主に引き受けていた仕事は二ツ山村のフォーラム作成と管理、ですね」


 なるほど、と一言添えてから、九条は馬淵についての資料を画像にして送るように言ってきた。一人で出来なくはないが、もしかしたら再び小野の手を借りることになるかもしれない。許子はどこまで必要になるかを確かめようと、紙の資料をめくる。そして、もう一つの違和感。


「あ、ちょっと待って下さい」

「どうかした?」

「名簿に名前の無い人が、もう一人います」


 驚きの声を上げる訳ではなく、九条からは息を呑む音だけが返ってくる。

 何かいけない事をしてしまったかのようで、許子は言い訳じみた調子でその人物の名前を読み上げる。


「えっと、バーゲルミア社プロジェクトマネージャ、上級情報処理技師、上松うえまつたすく


 紙資料の方に記された彼の名前と、小さく映った顔写真。猜疑心に駆られた梟のような、独特の面貌をしていた。


「その男の顔を、よく見せてくれ」


 九条に請われ、許子は携帯端末のカメラに向かって紙資料を映す。


「そいつは――」


 そこから先、九条からもたらされたのは重苦しい沈黙だった。


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