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 九条は東京からやや脚を伸ばす。神奈川県厚木市。

 都心と一直線で繋がった小田急線に揺られ、辿り着いた神奈川の心臓部。山中湖を源とした相模川がゆったりと流れる地方都市である。自治体とスープの連携も早く、ウェブを拠点に活動する文化人が、都会の喧騒を嫌がって集まってくることでも知られる。


 本厚木駅に降り立った九条は、ガイドに従って目的地を目指す。山沿いをバスで三十分あまり、とある一軒家に辿り着く。厭世を体現したかのようにぽつりと建てられた、賃貸住宅。大元は園芸家の別荘だったらしい。


 表札には、馬淵、とある。


 ドアの前に立ち、様子を伺う九条。流石に紙の新聞は取っていないようだ。外からでは異常は見つからない。チャイムを鳴らしてみても反応はなかった。留守か、あるいは。


 ドアノブを回す。

「ん、空いてるな……」


 強盗にでも入るかのように、慎重に踏み込む九条。嫌な予感がする。

 片付いた部屋に荒らされた形跡はない。玄関から一部屋ずつ見て回る。どの部屋も綺麗なままで、ゲームソフトやスポーツ器具、漫画雑誌に楽器類などが雑多に積まれている。独り暮らしを謳歌していたのは間違いない。


 ――単に帰っていないだけなのか。

 最後に踏み込んだ部屋が寝室のようだ。ここも特に荒らされた痕跡はなかった。仕事用だろうか。業務用サイズの端末が三つ、鎮座している。男性向けのポスターに囲まれた部屋は、真昼だというのに妙に昏かった。


 そのうちのひとつにウェアラブル・コンピュータからコードを伸ばし、接続する九条。とりあえずスープの入金記録を調べる。バーゲルミア社からの支払いは滞っていなかった。行方不明にしても不自然である。


 顎に手を当て、しばし逡巡する。馬淵ほどの男なら、個人フォーラムのひとつやふたつ登録しているだろう。少し探ってみることにした。

 走査後、すぐに引っ掛かった。ホシミンフォルダー。迷わず展開した。


《おはようサンキュー、ホシミンだよー!》


 突然の音声再生に飛び退く九条。周囲に展開される笑顔の少女。端末の上に付いたプロジェクタが、馬淵の部屋一面に少女を映す。


《ホシミンが、午後四時をお知らせします》


 アニメチックにデフォルメされた絵。写真。ムービー。それらが混然一体となって、九条を取り巻いて滑らかに動き続ける。サイケデリックな、そう形容するほかない。


「な、なんだこれは……」


 少女が、笑う。

 笑い続けている。




 帰りの車内で、眼精疲労を解きほぐしながら、馬淵に関するファイルを展開する九条。端末を立ち上げる間、空調と空咳以外に音の鳴らない新幹線を、首だけでざっと見回してみる。進化したのは、スープだけではなかった。

 大帝都から地方へ放射状に伸びる高速新幹線の鉄道。発達した走行技術により、いまや古都と新都は一時間とかからずに移動できる。細長い宇宙船に乗りこんだ感覚だ。


 ここまでのサービスを用意されておきながら、いまだに国内旅行の需要が底上げされない理由が、九条にはうまく説明することができなかった。都心から離れれば、自家用車神話もいまだに根深い。国民性といえば、それまでか。

 近代、日本列島の脊髄であった鉄道は、いまや網のように国内を覆い尽くしていた。ストローはさらに本数を増やしていき、ピンポイントに地方都市から人を吸い上げる。また、Jターンする若者が最終的にその身を落とすベッドタウンも急増していった。


 都市が乱立する――

 さながら、それはネットワークに出現する、数多のフォーラムのごとく。

 回想から帰ってくると、端末が立ち上がっていた。モニタに映るのは、定時で人がはけ始めた市役所。定点カメラを切り替えると、猪原許子のドアップが映る。端末にもたれかかって惰眠をむさぼっているようだ。紙の資料の束に頬をくっつけて、夢のなかでも何かと戦っている様子だ。


 モニタ越しに横顔を盗み見る。頑張り屋なのは認めていた。鼻筋の通った美人であるのも。だから、わざわざこんな部署に来なくてもよかったのに、と九条は思う。この案件が終わったら、課長に相談して経理に戻してやろう。これだけ努力できるのだから、もっと真っ当なところで評価される。


 ――だが終わるまでは部下だ。働いてもらうぞ、猪原許子。

 拡張機能をタップして、役所内の端末を起動する九条。画面内に現れたミニ・フギンが、コケコッコー! と、許子の耳許で鳴く。慌てて起き上がって椅子から転げ落ちる彼女を尻目に、馬淵のデータを走査する九条。


「まだ終わってないぞ、猪原さん。仕事だ」

「はい……」


 起き上がった許子が髪を整えて、欠伸をする。


「端末を立ち上げるから、適当に見易いところへ移動してくれ。いまから、馬淵の秘密の一端を見せてあげよう」



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