27
※
渋谷。
神に穿たれて出来たこの街は、いまなお人々を捉えて離さない。百年以上も昔から、人間が処理できる情報を過多している谷底の街。山から降りてきた九条は、いまや砂丘のように聳え立つビル群を見上げている。次々と枝葉のようにタブを展開していく高層ビルは、さながら
これだけのメディアが眼根を張り巡らせても、ひとつ路地を曲がればそこに死角は存在する。落とし穴の底に、また穴があるのだ。藤崎はその穴に挟まれて、死んだ。
深淵を覗く為、気は進まなかったが、九条は渋谷に降りた。
人並みを掻き分けて、渋谷の中心部から逸れていく。目当ての雑居ビルに辿り着くと、オーグメントで情報を確認する。古いカフェだ。グルメサイトにも登録されていない。
「いらっしゃいませ」
「ブレンドひとつ」
人も疎らな店内。ゆるいジャズが有線で流れている。二〇一〇年代までは存在した風景だ。郷愁に襲われる。
待ち人は窓際の席で雑誌をめくっていた。シャツを着崩した、薄い茶髪の中年の男だ。やさぐれた印象を受ける。商社マンやカタギのオフィスワーカーには見えない。彼の向かいに腰掛けると、やっと気付いてくれた。
「ノインです。よろしく」
「ああ、貴方が。どうも、
「本名は九条と申します。それでよろしくお願いします」
藤崎の数少ない友人であり、同じ雑誌社に勤めている――らしい。それ以上の情報は明かしてはくれなかった。彼もまた、敵を作りやすい記事を載せているのだと勝手に連想する。忠告が喉まで込み上げてきたが、釈迦に説法と呑み下した。
「思ったよりお若いんですね」
そういって須永は、きさくな笑顔を覗かせた。
「どうも。これでも三〇手前ですから」
「警察関係者でしょうか。でしたら、話すことはもうありませんよ。折角お越し頂いて申し訳ありませんが、先日話したのですべてです」
二ツ山村に向かう直前、フォーラムを介して彼のアバターと接触しており、藤崎の印象を訊いていた。警察云々の部分は、とくに訂正しない。ときには権力をかさにするほうが、上手く行く場合もある。
「でしょうね。ですから、今日は無理を承知で頼まれてくれないかと思いましてね」
「はあ……頼み事」
渋谷郊外。神泉駅から徒歩五分。小汚いアパートに男がふたり。九条と須永だ。
大家からマスターキーを借りて、九条は藤崎の自宅に踏み込んだ。大家が訝られなかったことを、須永は訝っているようだ。それを些事と割り切り、九条は乱雑に散らかった室内を確認する。
次に眼鏡からアプリケーションを呼び起こす。視界上に拡張された情報群。脂肪分や水分を検知し、現場に残された潜在指紋を浮かび上がらせる。本物の鑑識が使う物よりはお粗末だが、これで余計な証拠を残さずに済む。
「指紋を気にしてるんですか?」
「お解りになるんですね。流石、ライターさんは物知りだ」
手袋に指を通しながら、九条が言葉を返す。
「……あなた本物の鑑識じゃありませんよね?」
「ああ、心配要りませんよ。警視庁の記録をいじったので、今夜までモノホンは誰も来ませんから。立派な青服が、ここで作業してることになっています」
「な、何者なんですか。九条さん」
「ただのIT土方アガリですよ。ですから、物には手を付けません。必要なのはこいつだけです」
食べ残しで汚れた机の奥、PC端末を立ち上げて、九条のウェアラブル・コンピュータからコードを抜き、藤崎のPCに挿し込んだ。必要なデータがすぐに立ち上がってくる。須永は及び腰だが、とんずらするタイミングも見失ってしまったようだ。本職の怪しさの割に、修羅場に弱いタイプだったのか。
「さすがに警察資料に手を出す訳にはいかないんでね、飽くまで友人の遺稿を確認しにきた、っていうことにしておいて下さいよ」
吸い出し作業自体はすぐに終わった。かといって直帰したら大家が不審がる。少し暇を潰すため、その場でファイルを開く九条。横から恐る恐る覗く須永。
――そう。藤崎がオフラインで溜めていたファイルが欲しかったのだ。あらゆるタスクは、スープに自動同期してクラウド管理することが当たり前のご時世だが、わざわざスタンドアロン機で原稿を
九条たちが、藤崎の原稿を読む。
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