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 渋谷。

 神に穿たれて出来たこの街は、いまなお人々を捉えて離さない。百年以上も昔から、人間が処理できる情報を過多している谷底の街。山から降りてきた九条は、いまや砂丘のように聳え立つビル群を見上げている。次々と枝葉のようにタブを展開していく高層ビルは、さながら世界樹イグドラシルのようだ。


 これだけのメディアが眼根を張り巡らせても、ひとつ路地を曲がればそこに死角は存在する。落とし穴の底に、また穴があるのだ。藤崎はその穴に挟まれて、死んだ。

 深淵を覗く為、気は進まなかったが、九条は渋谷に降りた。

 人並みを掻き分けて、渋谷の中心部から逸れていく。目当ての雑居ビルに辿り着くと、オーグメントで情報を確認する。古いカフェだ。グルメサイトにも登録されていない。


「いらっしゃいませ」

「ブレンドひとつ」


 人も疎らな店内。ゆるいジャズが有線で流れている。二〇一〇年代までは存在した風景だ。郷愁に襲われる。

 待ち人は窓際の席で雑誌をめくっていた。シャツを着崩した、薄い茶髪の中年の男だ。やさぐれた印象を受ける。商社マンやカタギのオフィスワーカーには見えない。彼の向かいに腰掛けると、やっと気付いてくれた。


「ノインです。よろしく」

「ああ、貴方が。どうも、須永すながです」

「本名は九条と申します。それでよろしくお願いします」


 藤崎の数少ない友人であり、同じ雑誌社に勤めている――らしい。それ以上の情報は明かしてはくれなかった。彼もまた、敵を作りやすい記事を載せているのだと勝手に連想する。忠告が喉まで込み上げてきたが、釈迦に説法と呑み下した。


「思ったよりお若いんですね」


 そういって須永は、きさくな笑顔を覗かせた。


「どうも。これでも三〇手前ですから」

「警察関係者でしょうか。でしたら、話すことはもうありませんよ。折角お越し頂いて申し訳ありませんが、先日話したのですべてです」


 二ツ山村に向かう直前、フォーラムを介して彼のアバターと接触しており、藤崎の印象を訊いていた。警察云々の部分は、とくに訂正しない。ときには権力をかさにするほうが、上手く行く場合もある。


「でしょうね。ですから、今日は無理を承知で頼まれてくれないかと思いましてね」

「はあ……頼み事」




 渋谷郊外。神泉駅から徒歩五分。小汚いアパートに男がふたり。九条と須永だ。

 大家からマスターキーを借りて、九条は藤崎の自宅に踏み込んだ。大家が訝られなかったことを、須永は訝っているようだ。それを些事と割り切り、九条は乱雑に散らかった室内を確認する。


 次に眼鏡からアプリケーションを呼び起こす。視界上に拡張された情報群。脂肪分や水分を検知し、現場に残された潜在指紋を浮かび上がらせる。本物の鑑識が使う物よりはお粗末だが、これで余計な証拠を残さずに済む。


「指紋を気にしてるんですか?」

「お解りになるんですね。流石、ライターさんは物知りだ」


 手袋に指を通しながら、九条が言葉を返す。


「……あなた本物の鑑識じゃありませんよね?」

「ああ、心配要りませんよ。警視庁の記録をいじったので、今夜までモノホンは誰も来ませんから。立派な青服が、ここで作業してることになっています」


「な、何者なんですか。九条さん」

「ただのIT土方アガリですよ。ですから、物には手を付けません。必要なのはこいつだけです」


 食べ残しで汚れた机の奥、PC端末を立ち上げて、九条のウェアラブル・コンピュータからコードを抜き、藤崎のPCに挿し込んだ。必要なデータがすぐに立ち上がってくる。須永は及び腰だが、とんずらするタイミングも見失ってしまったようだ。本職の怪しさの割に、修羅場に弱いタイプだったのか。


「さすがに警察資料に手を出す訳にはいかないんでね、飽くまで友人の遺稿を確認しにきた、っていうことにしておいて下さいよ」


 吸い出し作業自体はすぐに終わった。かといって直帰したら大家が不審がる。少し暇を潰すため、その場でファイルを開く九条。横から恐る恐る覗く須永。


 ――そう。藤崎がオフラインで溜めていたファイルが欲しかったのだ。あらゆるタスクは、スープに自動同期してクラウド管理することが当たり前のご時世だが、わざわざスタンドアロン機で原稿をしたためる人間もいなくはない。スープ上に転がっている眉唾なネタばかり扱っている癖に、こういう所で変に用心深い。


 九条たちが、藤崎の原稿を読む。


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