26


「三年くらい前に、馬淵まぶちという男が村に来た」


 スープにはログインしていないと前置きをし、老人はベッドに縫い付けられたままで言葉を紡ぐ。接続したままでは、ログが残って保存されてしまうから、と言っていた。


「馬淵はインフラの技師でな。この村にフォーラムが作られた時のな、最初の管理とプログラミングを任されちゃった。俺もこうして体を壊すまでは、機械メンテナンスの会社におったから、多少は仕事も手伝うたんじゃ」


 老人は遠い目をして、窓越しに青い夜に沈んだ村を見遣る。


「村にフォーラムが出来上がった頃、物珍しさで接続した村の者がな、何か変な声が聞こえるゆうて馬淵に相談した。すると馬淵は、それは神の声に違いない、なんちゅう事を言い立てよった。誰も冗談やと思うて、真剣にかたらんかった。けえど、その聞こえてくる声がな、悩んどったらそれを助けるような、なんや心地良いもんで、村の者も耳を貸すようになったんじゃ」


 まるで御伽噺のような展開だ、と許子は思った。


「そして村の人間が、馬淵の言う神の言葉なんぞに、次第にのめり込んでいきよってな。そこに救いがある、そんな文言並べ立てて、どんどんと村の人間がフォーラムに接続するようになっていった」


「それが、ひまわりの國……?」


「そうや。そこからの流れは、俺も体を壊したさかい、良う知らん。ただ、いつの間にか外から来た人間が勝手に教祖だの導師だのと名乗り始めて、地下じげの連中も付き従うようになったんじゃ」


 許子は実際に宗教の場を見た訳ではない。しかし、それでも老人達を取りまとめるような人物がいるだろうことは想像できた。


「俺の妻も、最初は俺がこんなんなった時にな、周りの人間を頼っとって、色々と助けて貰っとる内に御詞を受けてな。今じゃ、日課みたいにして祈りを捧げとるよ」


「お爺さんは、違うんですか?」


「俺は御詞なぞ信じとらんけぇど、向こうの作りモンの村で暮らしてるちゅうんじゃ同じじゃ。日がなフォーラムに入って、何をするでも無し、ただ映像だけで村を見て回っとる。俺の体そのものは、こうして腐っていくだけじゃ。そうして死んだら、ひまわりの國なぞに勝手に連れ去られる。あいつは、妻は特に熱心やさかい、俺も勝手に機械に繋がれる」


 嫌悪の情。何もこの村の住人全てが、新興宗教にのめり込んでいる訳ではないのだ。ただ多くは困っていないから、便利だから、という理由でフォーラムに接続する。そしてその中から、特に熱心な信者が現れる。一方で、こうした事に忸怩じくじたる思いを持つ者もいる。


「だから――」


 そこまで言って、老人は咳き込んだ。


「だ、大丈夫ですか!」

「なんや、市もひまわりの國を調べとるんやろう。なら、あれは正しいモンやない――」


 そこで大きく咳き込み、身をよじらせる。事態に気付いたのか、廊下からバタバタと駆けてくる音がし、宗が部屋に飛び込んでくる。一瞬だけ、どこか申し訳なさそうに許子の方を見て、その後は慣れた様子でベッドの端末を操作した。止まっていた端末が起動するのと、老人が静かに寝息を立て始めたのはほぼ同じであった。

 一息ついた宗は、弁解がましく許子に視線を送る。


「ごめんねぇ。またお父さん、勝手に端末切りよって。機械が嫌いちゅうても、これで死んでらかなんわ」


 老人を心配する気持ちもある。だから同意を示すのも本心。

 しかし許子の胸中に湧く物は、名付け難い負の感情。




 星が出ていた。

 縁側に立つ許子は、市内の方では見られない光源に目を浸す。生憎、星の名前がすぐに出てくる程、天文に興味がある訳ではない。こういった時にスープを使えば、あるいは夜空に星の名前のガイドが出るのだろうか。しかし、それの行き過ぎた結果が、星空を塗り潰した世界だというのなら。

 許子は掛けようか悩んでいた眼鏡を、そのまま握って下に降ろす。


「なかなか貴重な話だったよ」

「ひっ」


 突如、胸先から響いた声に許子は身を固くする。


「九条です。猪原さん、聞こえてる? 眼鏡つけてくれれば、こっちでスピーカーの出力上げなくて済むんだけど」


 苦い顔をして、許子が眼鏡をかける。


「九条さん? なんでですか、どうして、電話? 宗さんに聞こえたらどうする――」

「こっちで動きは見れてるから。夫妻が寝るまで連絡しなかったんだよ」


「え、それって、どういう意味ですか」

「他から盗聴されないようにしてあるけど、僕からはいくらでも盗聴できるようにしてるから。猪原さんが話していた内容も、こっちで聞いている」


 ぐ、と言葉に詰まる許子。

 もしや職場に慣れないとか、上司が勝手すぎるとかいう愚痴が、九条に聞かれていたというのか。


「気になるのは、宗さんの旦那さんが言っていたことの方だ」


 許子の心中を察したような九条の言葉。一度は安心するも、「方だ」のニュアンスに薄ら寒い物も感じる。


「例の、新興宗教の成り立ちについて、でしょうか」

「ああ、具体的な個人名が出て来たのが助かった。話を聞きながら、こっちもスープで馬淵という人物について検索をかけていた」


 器用なことをする、と素直に感服する許子。


「それで、何か解ったんですか?」

「馬淵康太こうた。どこにでもいるようなフォーラム専門のSEシステムエンジニアだ。半委託みたいだが、所属は株式会社バーゲルミア。こっちはフォーラム管理会社のユーミール社系列で、主に公共インフラの管理を業務委託されている」


 そこで、と九条は咳払いをしてから続ける。


「猪原さん、市役所に帰ったら、この会社について調べて貰いたい。馬淵の足取りもそうだが、データ上で不審な点があれば報告してくれ。その辺の細かいことは、こっちからフギンをやるから、そんなに心配しなくても良い」

「え、あの、九条さんは?」


 許子は心配そうに声を出すが、最後まで気遣いの台詞は継げなかった。


「今、ちょうど友人の車に乗っててね」

「はい」

「このまま東京に行くよ」


 許子の声が、静まり返った村に少しだけ響いた。



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