24




 照っている――。

 照っているというのに、光が視えない。

 数時間振りに見た生の電灯は、誰かによって半分遮られている。

 その手を退けてくれ。

 光が、視たいんだ。明るい光が。


 ――やがて、そこには誰の手も介在していないことに気付く。絶望が喉から叫び出す。寝台から跳ね起きた身体を、数人がかりで抑え付けられる。僕の、僕の、俺の左目を返せ。


 返せ! 返せ!


 のたうち回ることにも疲れると、寝台の上に再び横たわった。相変わらず左目は開かない。幕を閉じたままで、何か伝うものがある。生暖かい雫が、役目を終えた器官からこぼれ落ちていく。その事実にまた、涙が溢れ出る。


 ――おい、マズった。やっぱり一体型のグラスなんてやるべきじゃなかった。

 ――何云ってるんだ。Ⅸは同意サインしたんだ。彼だって研究の発展に寄与したと、名誉の負傷と誇ってくれるさ。

 ――君は気違いか? 取り憑かれてる。眼玉だけならまだしも、そのうち頭が吹っ飛ぶぞ!


 仲間たちがガヤガヤとうるさく、耳許で何やら言い争っている。静かにしてくれ。僕はいま、僕の光を追悼しているんだ。議論なら外でしてくれないか。


 頭が割れんばかりに痛い。

 もう何度も視た夢なのに、慣れる日は来ない。

 夢とわかっていても、心臓を締め付けられるような哀しみに幾度となく苛まれる。

 僕の眼は戻ってこない。

 僕の眼は――




 ――揺られている感覚がある。

 山道を、乗用車で。


「眼が醒めたか?」


 カーブで揺すられ、九条は夢現から解放された。真っ先に煙草に手が伸びるも、あいにく切らしていた。


「大変だったんだからな、宿と渡り合うの。あと少しで救急車が来るところだった」


 荒井の車か。九条の右目の焦点がぼんやりと定まってくる。運転中の荒井が、親指で後部座席をさした。自慢の端末たちが無造作に置かれていた。


「……ああ、悪い」

「以前みたいに、もう後ろ盾はないんだからな。無茶は控えろって云っただろ」


 起き抜けに荒井の説教は、胃に良くない。おまけに頭痛も併発している。やはりニコチンが欲しいところだが、荒井は非喫煙者だし、当然車内は禁煙だった。

 夜明け前の山道を、軽自動車がとぐろを巻くように転がり落ちていく。この調子では役所に着くまで小一時間はかかるだろう。鶴丹線の線路がいかに山道を縦に切り開いているかがわかる。


「……ゲリとフレキが?」

「そうだな。お前が倒れた直後に二匹の狼がウチの研究室の端末に飛び込んできた。おかげで院生がトラウマを抱えてしまったよ」


「それは悪いことをした」

「アナログ人間が増える。良いことだ」

「アナログね……」


 月影が冴える。深い山の中では、車のヘッドライト以上には輝けないとしても、かつては人を導いた光。


 それにはさして感慨も湧かず、九条は眼鏡を操作してオーグメントを呼び出す。案の定、そこには何も映り込まない。溜め息を一つ漏らし、ポケットから携帯用の端末を取り出した。中空に光学キーが浮かび、九条が指を這わせると――端末からの超音波によって触覚のフィードバックもある――数字の列が打ち込まれていく。スープにログインしたが、こちらも反応は無かった。




 九条は再度後ろを振り返る。電源がないから確認出来ないが、そちらも希望は薄そうだ。フギンとムニンの復旧は楽だとしも、音声データを含む惜しいファイルが沢山入っていたのに。


「ご丁寧に、拾った情報は向こうで全部削除してくれたようだ」

「鬼の霍乱もいい所だな。どうした、昔はSAS一つで情報本部と渡り合えるとか豪語してたのに」


 ふん、と鼻を鳴らして九条は胸ポケットを探る。


「アイツはもう使ってない。それに、完敗という訳じゃない」


 九条は胸元から小型のカセットレコーダーを取り出す。後輩を見習って、アナログのバックドアを仕掛けておいたわけだ。少しいじって再生を認めると、レコーダーごとをドリンクホルダーに挿した。


「磁気テープか。はは、これなら改竄できないな」

「音質は保証しないが、聴いてくれ」


 九条が再生のボタンに手を掛けた所で、荒井が厳しい表情をチラと向ける。


「だから、これ以上深追いするなって」

「巻き込むつもりはない」

「そうじゃない。ただの役人が、そこまで首を突っ込んでどうする、って話だ」


 ただの役人、か。

 請われて来た職場だが、何も率先して正義の御旗を振りかざし、スープ上のサイバー犯罪を取り締まる必要はない。窓際部署はそれらしく、適当にデータでも監視して報告していれば良い。それで定時に帰れる。簡単なお仕事。


 それでも九条は事件を追う。その果てに、答えがある訳でも無し。ただ言えるとすれば、己の過去をトレースする為に。

 愛着がある訳でも無ければ、況してや憎いはずも無い。だというのに――。


「僕も――僕なりに新しい視点から見たいものがあるんだよ」


 言外に含まれた感情を荒井は推し量ったか、九条から目を逸らした。


「……仕方ないな」


 荒井の声を受け、九条はカセットレコーダーに手を伸ばす。そして籠もった声で、修行者の呪文と、あの立体音響が唄われ始める。

 それをしかめ面で聴く荒井桐梧。学問の徒として、相当に聞き捨てならない言葉が吐かれているらしい。


「なんだなんだ、天津祓に……ヘブライ語か? スパゲッティ・モンスターに祈ったほうが、まだご利益がありそうなもんだぞ」

「ずいぶんバラバラみたいで」


「茶室に大剣を飾るようなものだ――御詞と言ったか。教祖による教えの言葉だ。これは老婆が悩みを打ち明けて、男の方が取次ぎを行っているのか」

「見た限りは、そういうものだった。その奥に、御簾に隠されて教祖が聞いていた」


「なるほど。新興宗教としても本当に寄せ集めだな。御詞は大本や天理教の御筆先、悩みを聞くのは金光教の取次のコピーか。それでいて地方の秘密宗教の様相を呈している」

「どう思う?」

「贋物だ」


 荒井が半笑いで喝破するのと同時に、車は国道へと差掛った。車の数が増えていく。


「何もかも借り物で、とても自然発生的に生まれた信仰には思えない。意図的に宗教っぽさを演出して、それらしく見せかけているんだろう。しかし、それで、村一つを乗っ取ってどうするつもりだ?」

「知らないよ。老人だらけの過疎村だ。何ができる訳じゃない。遺産が欲しければ、もっと簡単な詐欺でもするだろう」


 なるほど、と呟いて荒井は黙り込む。車内には、老人達が斉唱する声が、残響となって溢れていく。

 一つだけ、と荒井が口を開いた。


「この神託の部分はわからないな。ただの甘ったるいぼやきにしか思えん」


 九条は顎を擦る。荒井に解らないということは、何かしら典拠のある言葉では無いのか。


「オープンで検索を掛けたが、スープの方にも転がってなかった」

「なら、これだけが自作なのかもしれないな。この、教祖の御詞とやらだけが」


 贋物の中の、本物。

 もしも、どこかに元ネタがあるのなら、教祖やひまわりの國の正体を掴む為の手掛かりとなる。それを見つけることが出来れば、今度こそあの國を崩すことができるかもしれない。

 ならば――。


「どうやら僕も、君ら大学教授の真似事をしなくちゃいけないみたいだ」

「どういう意味だ、九条」

「探すよ、原典テクストを」


 車は夜道を往く。橙の照明灯が波になり、九条の片方の瞳に僅かに火が灯る。

 その時、九条の携帯端末にコールのサインが現れた。



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