19

 ほろ酔いで切り通しをあとにしたのが、八時を回った頃であった。左ききを自称していたが、なかなか回っている。心地よい浮遊感を楽しみながら、急な坂を上りきったところで電話が鳴った。


「はい、もしもしぃ」


 脳が割れんばかりの爆音が耳元で鳴り、思わず耳からケータイを離す許子。雑音は次第に治まり、人の声に変わっていく。

 酔いが一気に冷めた。


「猪原さん、猪原さん。九条です」

「く、九条さんですか。何ですか、いまの爆音!」


「逆探されたくなかったから、手荒に妨害かけただけだ。気にしないで。それより、わざわざ二ツ山村まで来てたみたいだね。ちょうどいい。そこから国道沿いに降りてって、村外れの墓場まで来てくれないか」

「え? 墓場? あ、ちょっと!」


 一方的に切られた電話。呆然とする許子。二言三言悪態をついて、帰路につこうとすると、ケータイが震えて進行方向を示す矢印を浮かび上がらせた。例のオーグメント何とか、というやつだろう。どうやらすべて筒抜けらしい。

 もう一度悪態をついて、矢印に従う許子。



 墓場は、そこまで手入れが行き届いているとは言い難かった。乾いた供え物に、蔦の絡んだ墓石。水場の台に腰かけて煙草を吸っているのは、九条であった。

 こちらに気付いた九条。


「九条さん、一体どこ行ってたんですか。大変だったんですよ、いろいろと」


 許子が近づいて行くと、九条は露骨に顔をしかめた。


「ふもとの宿に何日か泊まって、いろいろと調べ物をしてただけだよ。それより、酒臭いぞ、君」


 愕然として口元に手を当てて、息を吹き掛ける。羽目を外しすぎたのかもしれない。

 九条が、よっ、と台から降りる。


「かけてみてくれ」


 九条は内ポケットから眼鏡を取り出した。黒を基調とした、やや縁の太い眼鏡だった。唯々諾々と眼鏡をかけた。どうも度が入っていないようだ。

 それと同時に、九条の周囲に二羽の鳥が降りてきた。いや、鴉だろうか。驚いて身構えるも、別段襲ってくる気配はない。よく見れば濃い黄色と、薄い朱色という、鴉にしては在り得ない色だ。これも例のホログラフィーか。


「フギンと、ムニンだ。挨拶しろ」


《どうも、猪原さん、高知能会話インターフェース搭載型検索補助システムのフギンです。よろしくぅ》

《同じく、ムニンです。お見知りおきを》


 状況がよく掴めない。小野と違って、九条は許子を小馬鹿にはしないが、説明が足りない部分がある。


「見ての通り、検索補助システム――SASの一種だよ。こいつらにスープの海から特定の情報をサルベージしてきてもらっている。フギンが、思考を、ムニンは記憶を司る」


 九条の紹介を預かり、ふらふらと許子の周りを旋回する二羽の鴉。


《スタンリー・キューブリック監督の、2001年宇宙の旅は見たことあるかな? ボクらはHALの子孫みたいなものだと思ってくれればいいよ》と黄色のフギンが喋る。

《おいおい、それじゃ印象が悪いよ。イフ・アイ・ハド・オンリー・ア・ブレインでも歌ったほうがよっぽど抒情的だ》と赤いムニン。


 その辺にしとけ衒学バカ、と九条に諌められる鴉たち。

 フギンとムニンは、九条の肩口に止まった。その姿が妙に様になっていて腹が立つ。


「で、猪原さん、村には降りたの?」

「ええ。皆さん、良い人たちばかりで。お酒も奢ってもらっちゃいました」


 言ってから後悔し、慌てて口を閉ざす。だが、九条はさして気にかけていない。


「そうか、良かったじゃないか。しかし、何でわざわざ君が……トラフィックマッピングで何か問題でも?」

「あ、そうなんですよ。閾値には達していなかったんですけど、この地域のD率の上り幅が尋常じゃなくて。妙に気にかかったんで調査に来た次第なんです」


 九条は眼を丸くした。二秒ほど固まった後、なるほど。とつぶやく。


「D率が――。そうか、マップは、村側からの介入で改竄されていたのか……。よく気が付いたじゃないか」


 九条は気付いていなかったようだ。塗り絵をしていたことを見透かされているような気がして、安易に優越感に浸ることができなかった。

 九条は顎に手を当てて、しばし黙考する。許子は鴉と目が合う。意外と可愛らしい双眸をしていた。


「あの、九条さんはどうしてこちらに?」

「ああ、ここの地域で信仰されている新興宗教を追っていた記者が旧知でね。風の噂で彼の訃報を聞いたんだ」


「訃報、ですか。ご愁傷様です」

「殺された」

「こ……!」


 絶句。突然、話が不穏な空気を帯び始める。長閑な田園風景に似つかわしくなさすぎる。なぜ、殺人事件の話題が飛び出る。許子は現実を上手く捉えられなかった。

 九条は遠くの一点を見つめている。


「何にせよ、君にもこの村の裏の顔を見せる必要があるみたいだね」

「裏の顔」

「そう。ひまわりの國」


 そういって九条はひとつの墓石の前に向かう。


「僕が追いかけていたライターの藤崎が書き立てようとしていたひまわりの國は、ここを管轄している【おらが村ソーシャル:二ツ山村フォーラム】を中心に、ネット上で信仰されている宗教団体だ。寝たきりや足腰の悪い老人でも、デバイス家電やスマートグラスを通して、ウェブにアクセスすることで宗教活動に参加できる。近年急増した新しいスタイルだね」


「そうですか。たしかに寄合所に神棚もありましたね。あれ、仏教とか神道とかではないんですね」

「そうだね。限界集落で局地的に発生する秘密宗教は古くからもあった。大抵のパターンが、極めて高い秘匿性を保持している。外部との接触を嫌がるんだ。そして藤崎は、それを面白半分で調べ、世間に暴露しようとして――」


「殺された、んですか……」

「警察はそこまで積極的に捜査してる訳じゃない。正直、生前の藤崎は人の怒りを買うのが得意なタイプだったからな。ただ、こういう物が大きくなってカルト化すると、もっとロクでもない事件を起こす。平成史に刻まれたいくつかの事件と同じく、ね」


 許子は日本史の最後の方で習った、いくつかの事件を思い出していた。


「だから芽が小さいうちに対処したい。できれば、内部から実情を調べ上げたい所ではある。しかし、この村のフォーラムは、ファイアウォールはさして強固じゃないんだが、アカウント数の上限を厳しく規定している。こういうのが結構潜入し辛いんだ。入っちまえばやりたい放題なんだけど」

「……つまり、どういうことですか」


《この人、お馬鹿さん?》

《やめろ、フギン。聞こえるように云うな》


 ついに機械にすらコケにされた。


「要するに、欠番が出なきゃチームに入れてくれないってことさ。でもね、ついこの間一席だけ確保できたんだ。問題は一席だけってことなんだけど」


 眼鏡越しに見える視界に次々と情報が雪崩れ込んでくる。新綾部駅での感動が思い起こされる。これもオーグメントだろう。

 数多の情報が流され、最後に名前が浮かび上がる。花田はなだ恒則つねのり、享年八九歳、戒名星ゾラ詩音。棺のアイコンが表示されて、ゆっくりと横軸に回転している。


「二日前に野辺送りされた老人だ。当然葬儀を終えた死者たちは、供養を待ってひっそりとしているわけだが、僕たちはそこを狙う。供養が済んでいる死者たちと違って、彼のアカウントはまだBOT化していない。葬儀から日が浅いからな」

「BOT化? 供養?」


「説明するより見せたほうがいい。こんにちは、三神みかみさん」


 九条の呼びかけに対して、突如として現れる、腰の曲がった老人。


「はいよ、三神です」

「ぎゃあ!」


 墓石のやや上方に浮いて見える。仰天した許子は地面に腰を強か打ち付けた。歯の根が合わない。お、お化けだ!


「落ち着け、BOTだ。この老人は供養が済んでいる」

「ええ、ワタシが三神ですよ。元気ですかな、寄合の皆さんは」


「元気にしていますよ」

「それは良かった」


 死者と言葉を交わす九条は、さながらネクロマンサーの域である。朗らかに笑う半透明の老人が、上下に微妙に揺れている。


「元々は、故人を偲ぶために、こうして墓石や位牌に発声パターンとグラフィックを記録しておき、墓参りのたびに遺族が再生して疑似対話する……といった気の利いたデバイスだ。あまり売れなかったけれど、面白いよな。こういうのは」

「ゆ、幽霊じゃないんですね」

「当然だ。大体、頭の悪いBOTなんだから対話パターンも限られてる。半時間喋れば辟易とするよ」


 ずいぶんと不謹慎な九条の言を聞いて、心底安心する許子。土を払って立ち上がる。そして、新たな疑問が湧き上がる。


「……そもそもBOTってなんですか? ロボット?」

「原義はロボットだ。入力者の手を離れた、自動化されたプログラムのことだね。積んであるAIの強弱で、返してくる言葉も複雑化してくる」


 喋る自動販売機を脳裏に浮かべる。あれを小難しくしたようなものか。


「さっきの猪原さんの話を聞いて繋がったんだ。きっとこうして供養――BOT化してネットワーク上にデータを残すことで、アカウントを保持し、信者の囲い込みを行っているんじゃないかってね」

「D率が上がっていた理由ですか」

「そのひとつかもしれない」


 そういって、九条はまた顎に手をやる。


「――なんというか、気掛かりなのはこのソフトは改造すれば乱用も可能なんだ。だいぶ前に話題になった、〈ウォーキング・デッド〉事件」

「あ、ニュースで見たことあります……けれど、どういった内容でしたっけ。死者が歩き回っていてどうの、というヤツでしたっけ」


「そう。文字通り、死者が歩いたんだ。この技術と同系列のソフトのコードを改竄して、渋谷の交差点に大量の老人が溢れ返った。それも皆、つい最近臨終した方ばかり。葬儀屋に勤めていた男が、鬱から騒動を起こしたのが原因だった」


 許子はそのおぞましい光景を眼に浮かべる。壮絶なものがあった。


「適応する法が整備されていなかったから、男は訴追を免れたが、いまではほとんどの自治体がウォーキング・デッドを条例で禁止している――街の景観が、いや、常識で理解できるよね。とにかく眼鏡をかけないと、正者と死者の区別が付かないんだ。それを思い出しただけさ」


 何とも恐ろしい事件が起きていたものだ。電子的なニュースをシャットアウトする癖があるし、都内の事情なんて別世界のことである。


「タカユキ、元気か? 大学は楽しいかい――」


 老人の、記号化された言葉が中空に浮かぶ。

 なんだか寂しい話だ。信者を減らしたくないから、死者のデータをも巻き込んで総数を偽るなんて。せこい。そんな感想すら抱いてしまう。


 それと同時に、底で渦巻く謎の陰謀のようなものに、許子は自身の両脚が絡み取られていくような印象にとらわれる。赤ら顔で焼酎をらっぱ飲みする老人たちの間を流れる、巨大な暗渠。人智を超えた何かが、この村に潜んでいる。許子は身震いした。


「そこで、だ」

 九条が墓石を操作して老人を消し、咳ばらいした。


「さっきの花田氏は、野辺送りに居合わせたこともあって、僕のほうでアカウントをハックしておくことができた。おらが村ソーシャルにいつでもログインできる状態にある。フギンとムニンくらいなら滑り込ませられるよ。頻繁にトラックバックを消せばバレやしないだろう」


 許子でも、九条の云わんとするところの察しはついた。


「……だめです」

「僕はツラが割れてる。自宅か役所に戻って、自分の端末で捜査しておきたいことも残ってるしな」


「良くないですってば」

「君はこの花田になりすまして、おらが村ソーシャルに没入ジャック・インする。グラスをかけて、二ツ山村を嗅ぎ回ってくれ。僕がフギンたちとともに遠隔サポートする」


「私にはできません!」

亡霊ゴーストになれ、猪原許子」

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