17


 その他に、主要な端末の点検と偽って村の外装内装をカメラに収めるために、いくつかの家に邪魔していたら、すっかり日が暮れてしまった。


 夕餉ゆうげの誘いを丁重に断り――もっとも、それを見越しているような態度ではあったが――帰路につく九条。二ツ山村から切り通しに向かうまで、玄と宗が九条を囲み、「夜道は危険だろう」と彼を先導した。


 彼らの笑顔の底にこびりついた物が、九条の背を刺していく。不都合な行動。不似合な親切。そうしたネガティブな形容をするのに言を俟たない。


「失礼、ここまでくれば道は解ります。面倒をおかけしました」


 切り通しを抜け、おざなりな挨拶を向けると玄が口を開き、「達者で」と返してきた。

 そこから先の道を、九条は妙な緊張感を伴に据えて歩いていく。駅に辿り着き、薄暗がりの中でベンチに腰掛けるまで、その皮膚にまとわりつく感覚は拭えなかった。


 ――異様とするなら、全てが異様。


 九条が二ツ山村に感じたもの。まやかしめいた影絵、何者かによって作られた砂紋、あるいは、いずれ立ち消える蜃気楼の類。実体を欠いた、外側だけの村。


《ノイン、ここで帰っちゃっていいの?》


 突如、眼鏡のスピーカーから音声が流れる。視界の端、眼鏡を介して自動的に開かれたオーグメントの世界に一羽の黄色い鴉が飛ぶ。


《解ってないな、ノインは一旦退いて策略を練っているのさ。三十六計に曰く、草を打って蛇を驚かす、だね》


 さらにもう一羽、薄い赤色をした鴉が、先の鴉と空中で争うように飛び始める。


《そうなんだ! じゃあノインは、やっぱりあの村が怪しいって思ってるんだね!》

《当たり前さ。実際的な問題の所在と村人の心理学的反応から判断すれば良いだけだ》

《うん、それなら二ツ山村が怪しいのは、七十八・六%の確率で正しいと思うよ》


 人工音声で勝手なことを喚きながら、二羽の鴉が九条の視界を掠めていく。

 フギンとムニン。思考シミュレーションを司り、情報演算を行うAIを積んだ黄色い方がフギン。記憶データベースを司り、膨大な情報を参照させるAIを積んだ薄い赤の方がムニン。これらを競合させて、事象そのものを別の視点から、それこそ鳥瞰できるように捉える為、九条はこの二羽に敢えてアイコンを与えて空に放つ。


《荒井准教授のデータによれば、隠れ念仏系の秘密宗教は非常に独特な信仰を持っているという。加えて、多くは外に情報が出るのを嫌う。迫害の歴史とも結びついているからね》

《でもひまわりの國は新興宗教だよ? 新興宗教は信者を増やすのが目的じゃないのかな?》


《そこが特異でもあるね。秘密宗教的な排他性と、新興宗教的な新奇性を併せ持っている。だからこそ、スープ上では話題になったり、ライターが調べたりもする》

《つまり新しくて話題になるけれど、それを他の人には知られたくない!》

《そう、同様の条件のイベントとしては財宝伝説や連続殺人が挙げられる》

 行き過ぎだよ、と九条は口の動きだけを添えて、議論する鴉たちに応えた。唇の動きだけから単語を拾って、フギンとムニンはそれ以上の情報演算は行わない。終了の合図を待ち、二羽は調子を合わせて九条の両肩に止まる。


 ――この村は、何かを隠蔽している。


 人一人が殺されるに値する何か。単なる宗教的な儀礼でない。深く重い、事件の根。そしてそれを追うことが、九条にとっての命題へと移行していく。

 闇の中、無人駅にアナウンスが流れる。やがて黒い森を掻き分けて、最終の電車がホームへと滑り込んでくる。病的な電灯の光。モノクロームの中に乗降客の姿は無く、九条だけが舞台に立っている。


「フギン、スープ内の乗降記録を改竄しておいてくれ」


 小声であったが、九条の誇る優秀なAIは、唇の動きと振動だけで即座に意味を読み取った。


《解ったよノイン。君が電車に乗った事にしておけばいいんだね。でもどうしてそんな事を?》


 AIに人格がある訳じゃない。常に疑問を持つようにプログラムしているに過ぎないのだから、ここで返答をする必要はない。九条はシニシズムを含んで駅舎から立ち去り、再び黒い山の中へと消えていく電車を見送った。


 今の状況に相応しい単語をムニンに拾わせようかと思ったが、その必要も無く、自然と――どこかで聞いたのを覚えていたか――それが口から出ていた。


「偽装工作、然る後の奇襲。ひそかに陳倉ちんそうに渡る、だ」



 九条が二ツ山村の西端、切り通しに入る直前の林の影で息を潜める。


《ノイン、思った通りだよ。鶴丹線の乗降記録に外部からの不正アクセスがあった》


 フギンが軽快な口調で囃し立てるように空を飛ぶ。


《アクセス元は不明。でもこれではっきりしたようだ。ノイン、明らかに君は監視されていた》とムニン。


 過去形で済めばいいが、と九条は言葉を言い含む。

 目の前にある切り通しも、ある意味では村と外部とを隔てる結界。こうした狭い村の境界には、疫病や悪霊の侵入を防ぐ為に道切りというものが設けられる風習があると、いつか荒井が言っていたことを思いだす。


 九条は簡単なサインと端末の操作で、フギンを切り通しの周囲に飛ばす。

 視覚的には、まるで陰陽師が式神を扱うように見えるかもしれないな、と自嘲めいた笑いを漏らす。実際には最低限の画像センサ、もしくは指向性ホログラフィーの端末を経由して、そのビジョンを盗み見る行為に過ぎない。スープによって情報が常時拡散されている現状ならば、少しの工夫でセキュアな問題は突破し得る。


《ノイン、これも思った通りだ。切り通しの付近に音響差信号を受像する装置がある》

 ――ここは果たして、本当に老人だらけの限界集落か?



 九条は切り通しに、電脳コーティングされた現代の呪法を認めた。厄介な呪(まじな)い。音情報は画像情報を改竄するよりも手間がいる。その為、九条は素直に切り通しを通過することを諦め、フギンをさらに内部へと飛ばせないかと試行する。


 通常、どれ程の過疎地域でも集会所や寄合所の近くには、カメラ機能を持った端末がある。上手い具合に、それに辿り着ければ、いくらかは情報が手に入るだろう。九条はそう考え、切り通し付近の装置を元に主鍵プライマリーキーを割り出すよう、今度はムニンに命じた。


 行政区ID、村につけられた基礎ID、区画ごとの認識番号。普段は意識されない、数字としての村の形が、九条の視界上で再現されていく。


《簡単な仕事だったよ、ノイン。装置は一流でもセキュリティは三流のようだ》

《でも待って、これは変だよノイン! 村の中に、識別子を持たない指向性ホログラフィー端末が無数にある!》


 検索結果から情報を演算し、横からフギンが言葉を挟む。

 九条の視界に立体化された村の遠景が現れる。暗闇に沈み、僅かな人家の灯りだけを浮かべるはずの二ツ山村に、無数の数字の羅列が揺らめく。通常のアクセス方法では発見することのできない、村に隠されたもう一つの姿。


 ――これが、藤崎が殺された理由の一端だとすれば。

 九条は相対する敵の姿を、おぼろげながらも感じ取るのと共に、その異常さに興味が湧いた。この村は、一体何を孕んでいるのか。去りし世の呪いか、今世の技術か。


《ノイン、指向性ホログラフィーの一部にアクセスできたよ! そっちにビジョンを送るね!》


 スープの覆いを滑空し、フギンが役目を遂げたようだ。村の様子が映画のスクリーンのように、九条の眼鏡へと投影される。


 映ったのは、人の群れ。いや、それよりもおぞましい。

 夜の縁に縋るように、黒い芋虫が這うような光景。狭い畦道を歩く人々。鮮やかな火の光が目となって、蠢く人の列を先導する。腹の中には桐の白い棺桶と、それを担ぐ人。周囲には鉦と太鼓を捧げ持つ者。喪服に身を包んだ老人達。


 葬列。


 もはや映像資料の中でしか見られない、野辺送りの風習。

 太鼓と鉦が鳴らされ、辺りに響く。

 音声情報のフィードバックは行われていないはずだ。だとすれば、この音はオーグメントモードでも聞こえる、仮想の音ということになる。その事実に気付いて、九条は顔をしかめる。


《あそこを歩いている人達が何か喋ってるみたい。補正をかけて再生するよ》


 笑顔を張り付けた老人達が、粛々と歩きつつ、それぞれ何事か口にしているらしい。数秒の後、ざらついた機械音声が、抑揚を消して言葉を紡ぎだす。


御詞おことばを受けて死ぬんじゃ。幸せもんよ」

「教祖様も言うとってや、わいらは死んでも同じ國に生まれるんじゃ」


 その後も口々に、宗教的な救いの文言を並べ立てる村人達。野辺送りの列は、静かな陽気さと不気味な喧騒を持って、二ツ山村を練り歩いていく。


 フギンを使い、指向性ホログラフィー端末をジャンプした何度目かの時、葬列の先頭を歩く人物の姿が映し出された。時代遅れの修行者のような恰好。白い脚絆に黒い外套を羽織り、厳めしい壮年の顔に篝火を反射するグラス、頭には黒い鍔広の帽子。山伏とユダヤ教徒を混ぜたような独特の姿。


 九条がその人物の姿を確認した瞬間、相手もまた手に持った杖を掲げ、葬列の動きを止めた。修行者が振り返る。その視線が、九条のいる方向を捉える。姿を見られる心配はなくとも、思わず息を呑む。そして修行者は何事か、小さな口の動きを伴う。


 ――鴉が、おる。


 フギンが補正した音声を送るより先に、九条は左手で端末を、右手でサインを作り、倍速でシャットダウン操作を行う。それでも次の瞬間、眼鏡に映った光景はブラックアウトし、一切の情報が遮断された。最後に映ったのは、修行者の口元に浮かぶ、悪辣な笑みであった。


《ノイン、フギンが落とされた。修復作業を要請したい》


 ムニンの無感動な言葉を無視し、九条は即座に林を飛び出すと、そのまま県道へと躍り出た。背後から迫る気配を追わせる余裕は無い。駆け足で二ツ山村から離れていく。駅に向かう道は意味を成さないが、村から外れれば、あの不可解な監視網に晒される事は無いだろう。


 しかし、そういう時、最後に物を言うのは、いつだって装置としての人間の機能だ。


 九条は県道に設けられた交通監査用のカメラ端末にムニンを飛ばす。案の定、映し出された灰色の視界に、数人の人間が動いている。さらに飛ばすと、村の一方から篝火の行列が、県道に向かって近づいてくるのが見えた。


 ――手が早い限りだな。


 九条は県道を直進するのを諦め、間道から山を越えるルートを選ぶ。片手間でフギンを復旧させておくが、場合によっては再起動コールドリブートして追跡をかわす必要があるかもしれない。


 舐めてかかった訳じゃないが、と九条は独りごちる。額に浮かぶ冷や汗を拭って。

 外部からのアクセスに見せかける為、九条は暗い山道を駆けながら、それまでの不必要な操作履歴を改竄していく。しかし、これでも完全に騙し遂せるかは定かではない。改めて、村の底で澱むそれの異様さを認識し、同時に荒井の忠告も思い出す。


「笑える冗談だ」


 自然と零れた、自らの人間的な音声に、九条は笑みを漏らした。



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