16



 ――意識は村に戻ってくる。背の高い木々に遮られた木漏れ日が九条に降り注ぐ。あるいは、少し薄暗くも感じられる。すでに日はかげり出していた。なるべくなら日没前には下山したい。


 切り通しの中途から見下ろした村の全景は、どこにでもある集落そのものだった。時代に見捨てられた、それでいて自立した老人たちの終の棲家。スープがいかに発達し、人生において上京する実際的な意味がひとつひとつ剥ぎ取られていけど、寒村は寒村として積極的に若者を追い出していく。滅びるまで。


 二ツ山村に降りた九条は、中指で眼鏡をくいっと上げて、オーグメントをオープンにする。最低限のインフラ情報しか浮かばない。そのまま村に入っていき、家屋に眼を向けてもタグは一切表示されない。ここまでは予期していた通りだ。

 曲がった腰を叩きながら、農作業に従事している村人と目があった。ついでに話しかけてみる。


「失礼……ちょっとよろしいですか」

「ああ、なんだい。お若いの。見ない顔じゃね」


 近寄ってみて少々驚く。不意を突かれたのだ。その老人は、泥塗れの顔に眼鏡グラスをかけていたのだ。起動時は、太陽光に対して特有の反射をするからわかる。デバイス家電もここまで来たか、といったレベルではない。最新モデルだ。年金暮らしで買うには少し高価な、と付け加えてもいい。

 この村でオーグメントを使う機会が、そんなに多いはずはなかろう。例のフォーラムに接続しているのだろうと、見当をつける。


「市役所のものです。こちらのウェブインフラの定期点検に参りました」


 真っ赤な嘘である。修正ファイルに似せたものを落とす用意くらいはしているが。


「役所の……おお、そうこそうこ。いやあ、わしにゃ難しいことはわからんで。そういうんなら、役場の宗さんとこがええ」



 老人は村役場までの道を案内してくれた。道中、いくつか世間話が挟まる。その間にも村の状態を目ざとく捉えるが、最初の印象と変わり映えしない。


「定期点検じゃったか。来たことはなかったがなあ。そういうのが始まったんこ?」

「ええ、今年度から。いかに同じ市内とはいえ、各地域のフォーラムの排他性は以前から問題になっていましてね。自治体内の連携を強くすることが目的です」

「そうはいってもねえ、ウチみたいな村は仰山あるでしょう。今更なにをどうしても、人が増えるでなし」


 グラスを光らせて、呵呵と笑う。




「着きましたわ」

 役場は他の家々よりも多少は立派だったが、よく燃えそうな木造建築なのに変わりはなかった。ガラガラと鍵のかかっていない戸を開き、ごめんください、と大声を上げる老人。しばらくすると、奥からどたどたと老婆が現れた。若い者は自分だけだという思いを九条は強くする。


「あらあら、いらっしゃい。どちらさん?」


 名刺を取り出し、改めて挨拶する。


「市役所のものです。九条と申します。よろしく。本日は、ウェブインフラの定期点検に参りました」

「定期検診?」


「点検ですね」

「……聞いとらんねえ」


 当然だろう。連絡していないのだから。アポイントメントを取っておけば、何か対策を取られる可能性も考えられる。


「今年度から始まったらしいわ、宗さん」

 老人の助け舟で、少しばかり信用に傾いたようだ。


「玄さん、そう言っちゃってもね」

「すぐに済みますよ。お代は要りません」

 笑顔でもって信用を勝ち取り、やっとの思いでなかに通される。


 こちらもまた、何の変哲もない木造建築の民家であった。類型的な、故郷の匂いがする。

 居間に通された九条は、32インチの液晶テレビの前に座し、タブレット端末を取り出す。テレビの後ろに回って有線をさし、ロードを待つ。その後ろから覗き込むふたりの老人。何かを危ぶんでいる様子に見えなくもない。


 ホーム画面に着く。九条の眼鏡にタブが拡がる。このうるささ、ほぼ初期設定だ。ほとんど身を乗り出すようにして様子を伺う老人たち。何をそんなに危惧しているのだろうか。



「パフォーマンスを見ますね」

「はい、どうぞ」


 それっぽく声をかける。ほとんど牽制に近い。この時点では、まだオフライン。


「……問題なさそうなのでアップロードだけで対応しますが、一応フォーラムも見回しておきます」

「あかんわ!」


 驚いて九条は振り返る。老婆が九条の腕を掴んでいた。


「……どうかなさいましたか」

「あ、いえ……」


 老婆は火が消えたように大人しくなったが、手を放そうとはしなかった。代わりに玄が言葉を継ぐ。


「前にここの設定をしてくれた会社の方がのう、下手にいじると壊れてしまうちゅうて念を押されてな。別に普通に使うとるし、わしらでやるけ。ええですよ」


 柔らかい物腰と口調の割に、やけに断定的だ。何かある、九条の直感が騒いだ。

 しかし、虎穴にいることに違いはない。ここで無闇にフォーラムへ飛び込んだら、逃げられてしまう危険性もある。


「ここでパッチを当てておかないと、不具合が出てからでは不便するかと思いますが」

「ええって」


 にべもない。

 折れるしかないようだ。


「――わかりました。では、端末のアップロードだけ。ここは何戸ありますか?」

「大体二百戸くらいじゃろうか」


「親端末はいくつありますか」

「ちいと待っとってや」


 宗が奥に引っ込み、紙のマニュアルを持ってくる。ペラペラとめくるものの、書いている中身が理解できないようなので、九条が借りて読んだ――自治体と契約している端末は十二。更にそれを寄合の端末でアーカイブしている。


「……では、寄合の端末を見せてもらえますでしょうか。オフラインで結構ですので」

「はあ、ほんなら。うちの裏なんで」


 渡り廊下を通って、役場の裏手にある寄合所に向かう。廊下から長閑な田園が見える。余生を過ごすために設えられた空間が、ただひたすらに広がっていた。

 寄合所に通される。十二畳の部屋を都合二部屋貫いた光景は、旅館の宴会場を思い起こさせた。その、だだっ広い畳の先、床の間――というよりは小さな舞台だが――に鎮座する神棚と黒光りする箱状の端末があった。個人的興味から質問が沸く。


「ここでは主にどういったことを?」

「村の細かい決まりを作ったりしとります。あとは、月一で呑み会を開いたりもしとっとりますが、いまはとんとご無沙汰ですな。係りの者がパソコンと棚を拭きに来るくらいですわ」


 九条は神棚に一瞥をくれる。こういった小さな村では、公民館や村の集会所で神棚が祀られていると聞いたが、どうやら本当のようだ。まるで政教分離がなされていないではないか。冗談でなくそう思った。


「神棚があるというのは、こちらは神道系なのでしょうか」


 さり気なく尋ねてみる。ひまわりの國。その名を待った。


「まあまあ、ええでしょう。それより早く仕事を片付けんと、帰れんようになってしまいます。鶴丹つるたん線は一時間に一本もあればええほうですから」


 ――はぐらかされた。


 端末を立ち上げながら、横目で神棚の様子を伺う。新興宗教の棚としては別段異様なところは見受けられない。ふたりの視線が気になって、凝視できないのが辛いところだ。カメラを起動し、眼鏡で撮影する。無音構造に改造してあるので、後ろのふたりには電灯の反射とでも思えることだろう。その間にアップデートファイルのインストールを行い、仕事を片付けた。


 その後も簡単な保守点検を名目に、寄合所の内部を見て回る。その都度、背後につく二人の老人からは不穏当な空気が感じられた。何かにつけて、早々に帰ってもらいたがっているような反応を示す。しかし、人を騙すにしても純朴すぎる老人達の姿を、九条は殊更に意識する。

 あるいはそれが、美徳であれば良かった、とも。



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