15
※
昨週。
半年、いや、一年振りだ。学内政治に疎く、天性の厭人気質から気苦労は絶えないようで、象牙の塔に篭ってからも彼の皺は増える一方である。九条に似た痩身で、顔立ちも整っているが、良縁には恵まれない。
「まさか、この歳になって誕生会に呼ばれるとは」
ウィスキーで口を湿らせて、古書に載せたつまみを食む九条。大方、飲みに誘う機会がなくて、適当にかこつけた形だ。遠慮する間柄でもないというのに。
「こうでもしなきゃ、一生会いに来ないだろう」
「忙しいんだよ。役所勤めは」
嘘つけ……と、荒井は缶ビールをあおった。他に誰か呼ばれている風でもない。九条が煙草に手を伸ばすと、目ざとく止められる。全焼したら彼らの年収をあわせても間に合わない。
注いでやろうかと九条がウィスキーに手を伸ばすと、荒井は早々に顔を赤らめて、一冊のスクラップブックを差し出す。この男は、本題に入るのがいつも唐突なのだ。
「藤崎が最後に追っていた秘密宗教についてまとめた」
「……ありがたいけど、今度からはクラウドしてくれ。元々ウェブ上の資料だったりするものを、わざわざ印刷する意味はなんだよ」
「大学は未だに現物信仰があるから。その癖だ」
紙の本など、虫を潰すか漬物石にしかならないと考えている九条にとって、荒井の仕事は度し難いものがあった。
パラパラとめくりながらも、同時に説明を求める九条。荒井は応える。
「ひまわりの國。二ツ山村のフォーラム『おらが村ソーシャル』で散見されたワードだ。そこの地域に密着した新興宗教を指しているらしい」
ひまわりの國。眼鏡をかけて早速フギンを走らせる九条。オープンネットでは同名のゲームソフトか、植物園しかヒットしなかった。
「ローカルエリアまで潜ったのか。大変だな」
「二ツ山村まで絞れば凡百のSASでも拾ってくるさ。お前の鴉のほうが優秀なんだから、手隙なら今度からは自分でやってくれよ」
「空いてなかったから頼んだんじゃないか」
「役所に勤めてカタギになるかと思ったけど、また不謹慎なことをしてんだな」
「分業と云えよ。政府は役所に、公安や警察にできない真似をしてもらいたくて、抑止課を作ったんだろうから」
「出歯亀したいだけだろ。言い訳を借りてくるな」
間違ってはいない。どこの役所の抑止課も形骸化しているなか、九条は自身の信念に基いて、好き勝手にサイバーテロを追い掛けているつもりだ。
話を戻そう、と荒井。
「持ってきた資料を見てわかる通りだ。古くはカヤカベ教といった隠れ念仏信仰、つまり一部の村落だけで信仰され、布教されることのない秘密宗教が存在した。恐らくはこのひまわりの國というのも、それの一種――ということで括れると思う。しかし地域に根差した秘密宗教というのは法人格を取得していないパターンも多く、実態が不透明なんだ。特にスープの台頭以降、土地や家族の繋がりよりもスープ内での人間関係が重視されているよな。そんな地縁や血縁に代わる新しい繋がり――いわゆる
「ちょっと待った。流体縁とはいうが、実際は村の中で完結しているんだろう。だったら調べれば出てくるものなんじゃないか?」
「ある程度までは、な。だが外部から調べられることにも限界がある。スープと流体縁、そして秘密宗教の相性が良すぎるんだ。表向きは自治体が管理する『おらが村ソーシャル』に常駐する気の良い老人達だが、そのスープの底に潜ればひまわりの國の熱心な信者に早変わりだ。外からは決して解らない秘密宗教。それが信仰する老人達にとって、どれほど重要なのかは定かではない。だが、どこからか嗅ぎ付けてきた藤崎が、ここのフォーラムを面白可笑しく書きたてようとしていたところを、殺されたのは確かだ」
「お気の毒に」
「秘密宗教の内部がオープンネットに載っているほうが珍しいだろうけど、藤崎より踏み込んだ情報はそんなに手に入らなかった。俺のSASじゃ限界もあるし、何よりこういう場合はフィールドワークがモノを言うこともある」
九条は眉をひそめた。皆、口を揃えて云う。現場が大事だ、と。分からないでもないが、分かりたくはない。隅々まで調べ上げれば、スープに載っていない情報など存在しない。スープに無いのであれば、この世に無いのも同じだ。
一方で、この世に無いからこそ、とも思うが。
何はともあれ、暇を割いてくれた旧友には感謝しなければならない。古い密教のアナログデータも頂けた。九条が礼を云って、立ち去ろうとするのを荒井が止める。
「なんだよ、本当に祝って欲しいのか。歳なんて食わないほうがいいぞ」
「違う――あまり勧めるのは止そうと思ったんだ」
「何が?」
「人がひとり死んでるんだ。役所の人間が追い掛けることじゃない。フィールドワークなんて口が滑ったけれど、警察に任せとけよ。これでお前に何かあったら、夢見が悪い」
人を心配する回路が、荒井の脳にもあると知って驚きだった。
彼の言葉が九条のなかの天邪鬼を揺り起こし、二ツ山村の土を踏ませることになったのは言うまでもない。
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