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 現実感を取り戻したければ、横から声をかける小野の方に顔を向ければいいのかもしれない。しかし、どうにも許子は、視界に広がっている光景から目を背けることができないでいる。


「これがオーグメントモード、拡張現実ってやつだよ。公共施設なんかだと、こういう風にスープにログインした人が情報を閲覧できるようなシステムになってる。別に説明する必要もないくらい、ふつうの人も使ってる機能なんだけど、抑止課に行くならちゃんと理解しておいた方が良いと思うよ」

「ふつう、って所を強調しないで」


 ふぅ、と小馬鹿にするように小野が息を吐く。


「ね、アレなに? どうやって見るの?」


 許子が中空の一点を指差す。そこには近隣のオススメの料理店の情報が現れており、さらに下の方に「口コミ情報を参照」と記されている。


「ああ、基本的に指向性のホログラフィーを使ってるから、イノちゃんが今見てる情報は僕が見てるのと違うかもしれないけど、ま、どうせあそこのグルめしの記事でしょ、料理屋の口コミ情報の」


 ぐ、と許子は言葉に詰まる。


「視線認識と動作認識するから、見たい所に視線を合わせて、指を折り曲げてみ」

 指示の通りにすると、許子の視界に料理店の情報が拡大されて、その下部に無数の情報が――トイレットペーパーに書き込まれたように――表示された。

「うわぁ……」

「その反応、かなり新鮮なんだけど。あ、戻す時は指を弾いてね」


 その後も簡単なレクチャーを受けた結果、許子もようやく中学生並にはスープの拡張現実の機能を使えるようにはなった。街行く人が、たまに虚空に指で何かを描いているのを見たことがあるが、あれにはこういう仕掛けが。


「でも疲れる……私はやっぱり苦手かもしれない」

「まぁ、四六時中使ってるのはマニアくらいだから、必要な時だけ繋げばいいんだよ。とりあえず、スープの機能はどんどん活用していった方がいいぞ、同期の猪原君」


 最後にそう付け加えて、小野は帰って行った。




 一人取り残された許子は、あまりの田舎臭さに多少の洗練すら求めた新綾部駅のホームに、今では眩しさすら覚える。立ちくらみして事故でも起こしたら笑い話にもならない、と許子は早々にスープの拡張現実から身を引く。


 これが、他人の見ていた風景。


 情報の海。その途方もない茫漠さに身が竦む一方で、不思議と初見時ほどの嫌悪感は無い。ただ一つ、その世界に自分が馴染めるだろうかという不安が顔を覗かせる。


「……ま、やってやりますか」


 新しい世界に飛び込むのは嫌いじゃない。

 その前向きさは、いつだって許子を救ってきた。

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