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「あ、はい。アナタが新しく入ってきた猪原さんですね。九条賢太郎です。宜しく」
「こちらこそよろしくお願いします!」
ようやっと現れた上司の対応としては、我ながら完璧な挨拶だった。お辞儀の角度も正確である。しかし、聴こえてきた生返事のボリュームから察するに、すでに九条は許子の前から遠ざかっていた。頭を上げると、九条は机の下に積まれていたコンピュータをいくつか引っ張りだしてきて、中腰で何やらポチポチと操作していた。鹿爪らしく画面を睨みながら、こちらに顔も向けずに話し始める。
「猪原さん、早速だけどさ、ちょっとヘマして使ってた検索補助のデータをふっ飛ばしちゃったんだ。さっきのSASのホログラム見てただろう? あれの親ファイルを圧縮せずにそのまま僕に送っといてくれないか。簡単なのでいいから鍵だけ付けて」
もう許子の頭はパンク済みだったが、九条はそれに気付かず続ける。
「少しデカい山を追っかけてるんだ。なるべく急いでくれ。送信上限来ちゃったら、辞書は大体外していいから。どうせ大したもの学習してないし」
「あ、あの」
「何?」
「ど、どうやってやるんでしょうか?」
おずおず訊くと、九条は珍しい虫でも見つけたかのように目を丸くする。そして幾度か首を縦に振って、「なるほど」と漏らす。こちらの事情を一応察してくれたようだ。
「なら、フギンはこっちでやっておこう。そしたら、その四角い板の後ろにコードが出てるだろう。それを引っ張ってみて」
「はい、こうですか?」
言われた通り、タブレットの裏からぴーっとコードを伸ばす許子。
「そいつを、机の下のオレンジの箱に繋げてほしいんだ」
「どこの、箱ですか?」
許子が伸ばしたコードを持って右往左往する。九条が指差し、それを発見した許子は慌てふためいてコードを引っ張りすぎ、タブレットを落としてしまった。
顔面蒼白になって謝る許子。それ元々壊れてたから、と言ってコードの接続を実演してみせる九条。
「といっても、〈オーディン〉が必要になることはないかな。じゃあ、留守番頼むね」
といって、颯爽と部署を後にする。何事かと何人かの社員の視線を奪っていくが、みな直ぐに仕事に戻っていった。
嵐が過ぎれば、許子にまた退屈が舞い戻ってきた。
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