4
翌日。
許子は結局買ったコーヒーミルを持って半ばウキウキと出勤した。抑止課の机にミルを押し込み、椅子に座ると、今日もまた退屈がのしかかって来た。さっきまでの上機嫌はすでにどこかへ飛んでいったし、コーヒーだってそもそも今朝自宅で飲んできたばかりだ。
首をもたげて天井を向くと、蛍光灯の上で虫が死んでいるのを見つけた。そんな許子の横顔を見て、同期の女性社員がふたりで小馬鹿にするように笑う。それには気付いていたが、歯噛みして堪える。
二分ほどそうして、許子は何十回目かの決心とともに、PCの前に椅子を引っ張って移動する。手のひらほどの大きさをした流線型のフォルムを、撫でるようにして触り、電源を探す。昨日覚えた位置に付いていない、という驚愕。いや、黄色いランプが付いているようだから、元々電源は付いているのだろうか……?
そして、許子は腰を抜かした。
≪ちょっとぉ、勝手に触るなぁ、ちゃんとアカウント認証しなさい!≫
「ぎゃあっ、ご、ごめんなさい!」
沈黙していたはずのPCから甲高い声が鳴り響き、同時に半透明な鳥のようなものが飛び出してきた。許子はあまりの驚愕に数センチほど飛び跳ね、部屋の隅まで逃げた。下手なホラーよりよっぽど恐ろしい。もう触らないと固く誓い、壊れてないことを祈りながらそっと振り返る。
「勝手に出てくるな、戻れ、フギン」
痩せた男がPCを小突いていた。
皺の寄った上着を小脇に抱えて、崩したワイシャツに身を包む男がいた。髪は無理矢理引っ張って後ろでまとめ上げているようだが、所々言うことを聞かない癖毛が跳ね返っていた。剃られるのを忘れられた顎髭は列をなしており、上着のポケットからは緑色のパッケージをしたボックス煙草が顔を覗かせていた。
老け顔なのか機嫌が悪いのか図りかねる相貌をしている。腹の肉は出ていないが、やつれ気味の印象は拭えない。すべて込みで概算して、三十代前半といった感じだ。
やや市役所には似つかわしくない、いや、もはや公務に中指を立てている風体だ。
「すみませんね、こいつらどんどんずる賢くなるんだ。電源引っこ抜いておかないと、勝手にスタンバイまで立ち上がって、好き放題キャッシュを食らうほどでね」
「えっと、ど、どなたでしょうか」
「
「はい?」
「あれ、もしかして初対面ですか、てっきり〈フォーラム〉の業者かフレンドかと思ってたけど」
許子の記憶が正しければ間違いなく初対面である。フォーラム。胸元の煙草がそういう銘柄なのか。でも、恐らくこの人が上司だろう。人事名簿の顔写真の通りだ。
「す、すみません。九条さんですか? 私は先日こちらの部署に異動してきました、猪原許子です」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます