先生の居た町

青谷因

第1話

先日放映された、とある将棋棋士の再現ドキュメンタリー番組を見て。

同じく、若くして急逝した知人のことを思い出した。

もう、十年以上も前の話だが。


驚いたのは。

生きた時代こそ違うが、奇しくも彼らは同じ出生地で。

先天と後天の違いこそあれ、同じ臓器の病を患い、闘い続けていたことだった。

ただ、知人の方は、当時長時間かかる人工透析治療のため、ほぼ病院から出ることが叶わなかったが。


広島県安芸郡府中町。


時折私用で通り過ぎるこの町に、彼は生まれ育ち、還っていった。

自身を『先生』と呼びまた、我々にそう呼ばせていた、一種独自の世界観を持つ彼は、ユーモアにも長けていて。

誰しもが思いつかないような、個性的な笑いを度々披露してくれる事があった。


仲間の誰もが、当時かなり年若かった彼を可愛がり、その才能を認め、慕っていた。


私自身は共通の友人を介して、一度だけ面会を果たしたことがあるだけで、友人というほどの間柄ではなかったのだが。

地元の病院で、見舞い客という形で初めての面会を果たしたときも、とても気さくに、むしろ、遠方から来た私を気遣ってさえくれた。


彼も生涯をたった一つの芸事に懸けて、しかし、決して華々しく世に出ることなく。

わずか20代そこそこで、重い病に罹り、この世を去った。


彼が目指したのは、音楽家で。

元気な時は自宅で、振るわない時は病室で、細々とその活動を続けていた。


ある時、有名な音楽関係のコンテストに入賞し、これで世に出られるかもしれないという機会に恵まれるも。

「受賞式が、遠い会場で行けないから」

受賞資格を得るための条件を満たすことが出来ず、断念した。

表立って言葉にすることは無かったが、相当な葛藤を抱えていたであろうことは、容易に推察できた。


-周囲に迷惑を掛けたくない-


今でさえ、金銭的にも負担の大きい家族に、これ以上の無理はさせたくない。

繊細な心根を持つ彼の気遣いが、時を経て尚、沁みる。

だが、その性分が、病の一因となるのは皮肉としか言いようが無かった。


過剰投薬。


原因不明の頭痛が続くことがあり、痛みは勿論のこと、徐々に死に対する漠然とした不安に襲われるようになり気付けば、鎮痛剤が手放せないものとなっていた。

それは痛み止めというよりは、彼にとっての精神安定剤としての依存性を、異常なまでに高めていったのだった。


ついに彼のある臓器が、悲鳴を上げ、その役割のほとんどを放棄する事態となる。


それでも彼は、生きることを諦めなかった。

ただしそれは、生に対する本能的執着というよりも、純粋な音楽への情熱であったように思う。


彼にとっては、音楽こそが、自身の存在証明だったのかも知れない。

お陰で私も友人も、多くの仲間が彼と知り合うことが出来、共通した趣味を通じて理解を深め合えた。


一度だけ、憧れのアーティストのライブに、足を運んだことがあった。

その頃には、もはや自分の足で立ち上がることが難しくなっていて。

母に頼んで連れ出してもらうと、車椅子のままで、彼の人に熱い眼差しを向け続けるのだった。

この日が、彼にとって最初で最期の、夢のひとときとなってしまった。

そのアーティストも、彼がいなくなった数年後に亡くなる。

きっと天国で、にぎやかなセッションを楽しく繰り広げていると、信じて止まない。


共通の友人は、一人で外出することが難しく、閉塞してしまう彼の気分転換になればと時折、ドライブに誘った。

だが、後悔もあるという。

ある時、彼がとうとう、自分の境遇と現状に自棄を起こしてしまった時に、心配のあまりに本気で、叱責してしまった事だった。


「まさか、そんなに早く・・・とは、思わなかったから」


もっと、色々楽しいことで満たしてあげたかった。甘やかせばよかった。

やりたいように、やらせてあげればよかった、と。


しかしながらそれは、私個人の意見だが。

結果として、彼のためにはならなかったと思うのだ。


全力で命を燃やし、生きている人には、こちらも、厳しくても本気で、本音で当たった方が、伝わると思うのだ。


今はなき彼に、その本意を聞くことはとうとう出来なかったが。

あなたの作り出した作品の数々は、たとえこのまま世に出ることはなくても、我々仲間たちの、宝物としてずっと、手元にあり続けるものだ。


あの頃と変わらない、研ぎ澄まされた感性の、輝きのままで。

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先生の居た町 青谷因 @chinamu-aotani

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