第四話 屋上決戦



 戸ノ内デパートの本社ビルの屋上が視界に入ってくると、そこに人影が一つ佇んでいることに、飛丸と八咫烏は気付いた。彼らは相手を警戒し、飛ぶスピードを少し下げる。


 その男は、明らかにこちらの方を向いて、不敵に笑っている。

 黒い瞳に黒くて長い前髪が特徴的な若い男で、夜でもきっちりと被ったハットと少し派手めなスーツが異彩を放っている。

 飛丸と八咫烏は知る由もなかったが、彼こそが警備室でこんと対峙した人物である。


 しかし、今この結界が張られていない屋上に立っている点で、彼がこのビルに潜んでいた術師であることは間違いない。そしてビルの中に入るためには、彼との激突は必至だろう。

 飛丸は相手を睨み返しながら言う。


「俺が先に行ってくるから、八咫さんは周りの警戒をしていてほしい」

「合点」


 八咫烏はすうっと右側に逸れていく。

 その軌道を確認した飛丸は、巨大な翼の一振りで一気にスピードを上げ、ビルの真上に辿り着く。そのまま、体を斜め下に向き、羽ばたきを辞めて重力に任せるがまま、落ちていく。


 こちらの行動に相手が驚いた一瞬の隙をついて、右手の葉団扇を横に振る。

 通常の団扇が起こすものよりも何倍もの強風が、真っ直ぐに男を襲った。これこそが、飛翔能力と怪力に並ぶ、天狗の得意技の一つである。


 しかし男は手に隠し持っていた札を咄嗟に掲げ、うっすらと赤い結界を張り、強風を防いだ。

 結界は、粘度が強いものほど赤色が増して強くなるという傾向がある。だが、慌てて出した結界でも、自分の強風が防げることが分かってしまい、飛丸は舌打ちをした。


 くるりと体を半回転させ、飛丸は白いペンキの塗られたビルの屋上に降り立った。

 その対角線上には、術師の男が再び不適の笑みを浮かべて立っている。「栄藤」という名前の描かれた社員証が、風にはためいていた。


「……随分な挨拶だな」

「先手必勝だからな」


 低い声に対して軽い調子に応える栄藤を睨んだまま、飛丸が答える。

 視界が狭いため、飛丸は思い切って仮面を外して地面に捨てた。多少驚いた様子の男に、今度は彼の方から質問した。


「妖怪の子供たちは、無事か?」

「ああ、みんな元気にしてるよ」

「あの子たちを使って何をする気だ」

「それはまだ、教えられないな」


 にやりと笑いながら、栄藤は懐から、札を一枚取り出した。

 飛丸に向かって投げられた札から、炎が噴き出して真っ直ぐにこちらへ向かってくる。


 飛丸は、それを僅かに飛びながら左へとかわす。あの札の文字と、火を用いた攻撃から、相手は陰陽師であるようだ。

 彼の流派はまだ分からないが、陰陽と木・火・土・金・水の五行を、札を用いて操ることが出来るらしい。


 ――となると、多様な攻撃方法がネックか……そう考えながら、相手を中心とした半円を描くように飛行していた飛丸の右耳を、炎が掠める。

 彼自身に怪我はなかったが、微かに髪が焦げてしまった。


「やはり速いな。これが精一杯だ」


 何処か楽しそうに、札を構えた栄藤は言う。

 一方飛丸は、表情に全く余裕を失っていた。


 飛行速度に自信を持っていた飛丸だが、相手の反応は馬鹿に出来ない。

 遠距離からの突風は結界で阻まれてしまうため、早さで相手を翻弄しようと思っていたのだが、接近しすぎても危険だ。


 一度体勢を立て直そうと、飛丸はもう一度その場から空へと舞い上がった。

 ……その瞬間、栄藤が暗い笑みを浮かべたことにも気付かずに。






   □






「坊ちゃん、大丈夫だろうか……」


 街路樹にとまった八咫烏は、風と炎が交錯するビルの屋上を見上げながら不安げに呟いた。


 そう言ったところで自分が戦闘に役立てることは殆ど無いことは分かっている。だからこそ、辺りの警戒を怠らずにしようと、視線を下の方に向けた瞬間だった。

 ビルの後ろの駐車場から、マイクロバスが発車してこちら側の道路に出ようとしているのが見えた。中には乗客が何人もいる様子だ。

 八咫烏が、道路に侵入したマイクロバスの中を見ようと目を凝らしていると、


「こん嬢ちゃん!?」


 一番後ろに乗っている金色の髪が、彼には見覚えのあるものだった。


 八咫烏はすぐに屋上を仰いだが、飛丸は全く気付いていないようだ。そうこうしている間に、バスは車の群れと共に走り去ってしまう。

 見失えば元も子もないと、八咫烏は腹を決めて、バスの背後からつかず離れずの距離で飛びながら追いかける。


 だが、バスは最初の交差点で停止し、早くも左への方向指示を出した。この先にあるのは、戸ノ内デパートだ。

 街灯に一本足で止まった八咫烏は、もう一本の足で携帯電話を、三本目の足で電話のボタンを押す。バランスを取りながら、相手が取るのをしばらく待つ。


『八咫くん? どうした……』

「姉さん! 今どこにいる!!」


 突然の電話に驚いている麗美に、八咫烏は早口で尋ねる。


『今? デパートを出て、本社ビルに向かおうとしてるけど』

「すぐにデパートに戻ってくれ! そこに、こん嬢ちゃんたちがバスでそっちに向かっているようなんだ!」

『ええっ!?』


 状況がよく呑み込めていない様子の麗美だったが、信号が変わりバスが走り出してしまったため、これ以上説明している時間はない。

 無理矢理電話を切り、飛丸が間に合うことを願いつつ、八咫烏は再び暗闇へを切るように飛んでいった。






   □






 その頃、屋上に立つ陰陽師の栄藤を、空中で羽ばたきをしながら飛丸は見下ろしていた。


 最初の攻撃よりも、さらに強い突風をぶつけようと飛丸は団扇を大きく振りかぶったが、同時に栄藤は何も持っていない右手で、拳銃を構えるように二本指で飛丸の頭上を指差して叫んだ。


「はっ!」


 すると、後ろからどばっと大きな音がした。飛丸が振り返るよりも早く、背後に

迫った大量の水に、背中を押されるような形で彼は墜落してしまった。


「うぐっ」


 飛丸は地面に倒れたまま、痛む体を捻って、水の出現先を見上げた。

 背後の、この本社ビルよりも高いビルの壁に、札が何枚か張ってあるのが暗がりの中で微かに見えた。事前に投げて貼っておいて、飛丸が近くに来た時に発動させる罠だったようだ。


 ビルの結界のように、遠隔操作できる札もあることも失念していた自分に、悔しく思いながら飛丸は立ち上がる。地面に叩きつけられたことよりも、翼が濡れてしまったことが大きな痛手となっていた。

 油で羽をコーティングしている水鳥とは違い、普通の羽は水を吸ってしまうと重くなり、飛ぶことが出来なくなる。


 これでは、否応にも接近戦を迫られる。

 どんどんとこちらが不利になっていく状況に焦りを抱く飛丸に向かって、栄藤は被っていたハットを取ると、こちら側に大きく振った。


 ハットの中には、大量の小さな紙人形が仕込まれており、それらが意思を持って真っ直ぐに飛丸へと向かってくる。

 そんな奇襲に対しても、飛丸は騒がずに団扇大きく右にはらった。風にあおられて、あっという間に紙人形は吹き飛ばされていく。


 そのまま反撃に映るために、一歩前に出ようとした飛丸だったが、足が全く動かない。

 目の前の栄藤が、再び怪しい笑みを浮かべていた。


「なっ……!」


 飛丸の足元、後ろのビルから照らされてうっすらとだが落ちた影に、札が張られていた。

 紙人形の群れに気を取られている間に貼られてしまったのだろう。影を通して飛丸の妖力を縛り、体が全く動かせなくなっていた。


 前を向いた飛丸に向かって、栄藤は札を翳した。炎がそこから吹き出し、視界が赤一色に染まった。

 このまま焼かれてしまう自分を一瞬想像してしまった飛丸だったが、今の火によって、自身の影が背後に移動し、札の効力が無くなってしまったことに気付いた。


 迷っている暇はない。瞬時の判断で身を屈めると、左へと炎を避けつつ、一息で前に出て、栄藤との距離を一気に詰める。

 驚いた栄藤と目が合ったが、その頬に向かって団扇を持った右手で、全力の裏拳を喰らわせた。


「ぐあっ!」


 天狗による渾身の一発を受けて立っていられる人間など殆ど無く、栄藤も耐え切れずに右へと吹っ飛んでいった。それでも、気を失わずにいられるのは流石だろう。

 再び立ち上がろうとする栄藤の方へと、飛丸が歩を進めようとした瞬間だった。


 まだ中腰だった栄藤が、二本の指を飛丸の足元に向けた。

 はっとする飛丸だったが、判断が一瞬だけ遅かった。


 飛丸が立っている地面には、最初から裏返しにされた札が貼られていた。

 それが光ると、にょきにょきと太い木の幹が生えてきて、彼の体を縛った。封魔の力も一緒に込められているのか、天狗の怪力を以てしても逃れることが出来ず、少しずつ妖力が奪われていく感覚もある。


 考えてみれば、栄藤はこの場所から一歩も移動していなかった。

 ここから飛丸の翼を使えなくさせ、動きも封じることが出来ることを示した上で隙を与え、ここまで自分の足で移動させる。

 ……すべての攻撃が、今の状態への陽動になっていたことに気付き、飛丸は悔しさに歯噛みする。


 対する栄藤は、勝利を確信した笑みを浮かべ、よろめきながらも立ち上がる。

 懐から何枚も札を取り出し、血の混じった唾液を吐き出した。


「やっとここまで来たか……。手応えのある相手だったが、これで最後だな」


 札を構える栄藤に、飛丸はぐうの音も返せない。

 しかし、飛丸も単純に相手の元へ飛び込んだわけでは無かった。


「……何の音だ?」


 後ろの方から轟音が迫ってくることに気付いた栄藤は、何気なく振り返って、驚愕に目を見開いた。


 五六メートルの高さがある竜巻が、唸り声を上げながら彼に差し迫っていた。

 それは、飛丸が栄藤を殴った瞬間に、手と共に団扇を振ることで生み出した竜巻で、相手の気付かない所まで離れていたそれが、今まさに栄藤を飲み込まんとしている。


「待て待て待て、ちょっと待てっ!?」


 これまでの余裕な様子も吹き飛ばされて、声のトーンも高くなり、栄藤は慌てふためく。こちらの方が、素に近いようである。

 すぐさま、結界を張って竜巻を防ぐが、栄藤の体は徐々に押されていき、桃色の結界にも小さくヒビが入り始めていた。


 とにかく竜巻を止めることに全力を傾けている栄藤に向かって、飛丸はのんびりと声をかける。


「おーい、これを解いてくれたら、竜巻を消すぞー」

「解く、解く、解くからー!」


 そう答えた栄藤は、指を飛丸を縛る木の幹に指先を向けて、「解ーー!!」と力一杯叫んだ。

 その瞬間、木の幹は霧散し、飛丸の体が自由になる。しかし、直後に栄藤を守っていた結界も破壊され、彼は竜巻に巻き込まれ、空高く舞い上がった。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~~~~~!!!」

「おおー、かなり行ったな」


 竜巻の中でぐるぐると回る栄藤を見上げながら、飛丸は素直に感心した声を上げる。

 彼が持っていた札も、ポケットやら懐やらから零れて、一緒に宙を舞っている。地面に落ちていた天狗の面も、いつの間にか竜巻に巻き込まれていた。


 しばらく夜の闇を持かき混ぜるような勢いの竜巻を眺めていた飛丸だったが、そろそろ栄藤の事が可哀想になってきた。

 飛丸は団扇を竜巻の渦の方向とは逆に振ることで、新しい風を起こし、竜巻を相殺する。


 目を回した栄藤が落ちてくるので、下から風を起こして、スピードを緩めるように調整する。

 しかし、このまま普通に助けるのも少し癪だったので、残り十センチの所で、栄藤の背中を団扇の風で押してみた。


「ふべっ!?」


 地面に激突し、栄藤は情けない声を上げる。

 その周りには、彼の持っていた札や紙人形が散乱し、あっけない幕切れだった。


「さて、そろそろお前の目的を話してもらおうか」


 最早反撃の手立てもないだろうと判断し、腕を組んで栄藤に近付く飛丸。

 しかし、地面に顔を伏せたままの栄藤の肩は小さく震え出し、「フフフッ」という笑い声が漏れていた。


「ハーハッハッハ!」

「な、何が可笑しい」


 顔を上げて悪者のような高笑いに興じる栄藤に、飛丸は不気味さを感じて身動ぎする。

 まだ何かを隠しているのかと、飛丸は団扇を握る右手に力が入り、額に脂汗を滲ませる。


「ここまで頑張ったのに、残念だったね、飛丸君」


 栄藤は体を起こしてこちらを見ると、はっきりと目の前にいる天狗の名を口にした。


「お、俺の名前を……。まさか、お前、こんを……」

「こん? ああ、あの子狐ちゃんか。安心したまえ、あの子は、他のお友達と一緒にデパートに行ったよ」

「なっ!?」


 白々しい様子の栄藤の言葉に、飛丸はすぐに戸ノ内デパートを仰ぎ見る。外見には何の変化もないが、今は一刻の猶予もない。

 今にも走り出そうとする飛丸を、体を起こした栄藤が慌てて止めた。


「ちょっと、待って!」


 声には先程までの仰々しさは皆無で、初めて竜巻を見た時に出た素の調子である。

 怪訝そうに目線を下に向ける飛丸に、栄藤は状況を弁えず頭を下げた。


「頼む! 邪魔はしないでくれ! あの子たちの初舞台なんだ!」

「…………は?」






   □






 夜が深くなるにつれて人の数が増した戸ノ内デパートの一階ロビーで、多種多様のコスプレを掻き分けながら、麗美は速足で歩いていた。


 時折足を止め、周りを見回すことも忘れない。

 魔女の帽子をかぶった女性、吸血鬼のような真っ赤なマントを羽織った男性、体中包帯だらけの性別不明の者、狼のような耳と尻尾を付けた子供……物珍しい格好をする人々は数多くいれど、彼女の探している姿は見つからない。


 切羽詰まった様子で教えてくれた、八咫烏の情報が確かならば、このどこかにこんや滴などの、妖怪の少女たちがいるはずである。

 しかし、自分以外に妖力を持ったものを見つけられず、麗美は半分諦めそうになっていた。


 ……ずっとフロアの方ばかり探していたけれど、もしかしたら、裏の方にいるのかもしれないと、麗美は考えを改める。

 ハロウィンの今夜は、従業員たちも仮装をしているため、社員証を持てれば、中に入ることが出来るかもしれない。


 すぐ右隣りを見ると、そこは電器コーナーであり、胴体がドラム式洗濯機になったような格好の男性店員がにこやかに接客をしていた。

 麗美は思わず眉をしかめる。ハロウィンは、あの世からよみがえって来たものたちから人間が身を守るために、怪物の格好をする行事であり、あのような電化製品の仮装をすることは、どうしても矛盾を感じてしまう。


 だが、今はこのような考察している場合ではない。まずは男性店員が客と別れるのを待って、接触を試みなければ。そして彼を脅かし気絶させて、社員証を奪い取る。

 ただおもちゃコーナーでの失神騒ぎが伝わっている可能性もあるため、非常に危険な作戦だったが、ここはなりふり構わずにやるしかない。


 覚悟を決めた麗美が、歩き出そうとしたその瞬間、頭上で流れているJ-popのアレンジが不意に途切れて、『ピンポンパンポーン』と気の抜けたチャイムが鳴り響いた。

 出鼻をくじかれた麗美が、思わず天井を仰ぎ見ると、女性の声がはきはきと喋り出した。


『只今、二十時より、三階イベント広場にて、アイドルのデビューコンサートを行います。一夜限りの特別なショーです。皆さまもお買い物の手を止めて、ぜひご覧になってください』


 『ピンポンパンポーン』と最初のより低いチャイムが鳴って、放送は終了した。 何か、妖怪を使った恐ろしいことを起こす宣言なのかと一瞬考えてしまった麗美は、なんだと肩の力を抜く。

 飛丸の話は否定していたが、まさか本当にこのご時世に妖怪で世の中をひっくり返そうとしている人物がいるなんて、やはりただの杞憂だったらしい。


 そして、昨日見たチラシの中にも、アイドルデビューの文字があったことを思い出した。

 それから、妙に引っかかったのは、アナウンスされた「一夜限り」という言葉、そしてこんが最後の電話で教えてくれた、拘束もケガもせずに単純に疲れている様子の妖怪たち……。


「……まさか」


 ある一つの可能性に気付いてしまい、麗美は慌てて踵を返すと、人の群れと一緒に三階にあるイベント広場へと急いだ。


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