第十五章:不虞
高校生活ももう少しで七ヶ月が過ぎようとしていた。月音はちょくちょく美術部へ呼ばれているらしく帰りが別になる事が増えてきた。ま、文化系なら体に負担もほぼ無いので大丈夫だろうと特に気にしてはいなかった。しかし、十一月、寒さが厳しい季節だ。月音は低温に弱いという事を木谷さんから聞いている。そこは万全を期す必要がある。
「ハル! 今日も遅れるから先に帰ってて」
「分かった、じゃ買い物して晩飯用意しておくから。帰りは寒くないようにするんだぞ」
俺はそう言うといつものアーケード街で食材を調達に向かう。買い方は皆それぞれだと思うが二人分と少ないので買いだめはせず、必要分だけをこまめに買い足すようにしている。我ながらまるで主婦のようだと感心する。そういえば月音の料理の腕前はどうなのだろう? ここはちゃんとしておかないと嫁にいけなくなっちゃうな、ってか早いか、いやいや、俺は早く結婚したじゃないか。でも時代が違うか・・・などとなんでもないような事を考えながら買い物に歩く。その何でもないような流れに幸せを感じている。
「木谷さん、今日もありがとうね」
そう話すのは梨田杏(なしたあん)月音の一つ上、美術部部長。何故か月音を気に入りモデルとしてたまに借り出されている。
「いえいえ、先輩の為なら喜んで伺いますので」
月音は杏をひどく気に入っている。憧れの先輩なのだ。
帰ろうと下駄箱に向かうと永井将太がいた。
「木谷帰りか?」
「うん、そうだよ」
「将太君って家はどっちなの?」
「将太でいいよ。家はアーケード街の中」
話しながら二人で帰る。
「そっか、じゃ途中まで一緒だね。うちはアーケードの少し手前なの」
「ふ~ん。確かここの出身じゃななかったんだよな?」
「そう、隣の県から来たの。学校の近くにアパートを借りて暮らしてる」
「へ~・・・二人で?」
「そうだよ、ハルと暮らしてる」
「そうなのか・・・兄貴がシスコンって本当なのか?」
「え? 誰から聞いたの?」
「いや、噂を耳にして」
「そんな噂が流れてるとは・・・あはは」
そうこう話してると橋の上に柄の悪い男が二人たむろしている。
「いちゃいちゃいちゃいちゃむかつく二人やな」
「木谷、無視だ無視」
将太はそう小声ではなし月音はうなずく。
「おいコラ、聞こえてんぞ、何が無視だコラ」
将太は月音を後ろに隠し対峙する。
「あのさ、お金、お・か・ね、ちょうだい、帰りの電車賃なくなっちゃってさ~貸してくれよ」
「俺は学校に金を持ち歩かない主義なんで、では」
将太はそう言って通り過ぎようとするが二人は通そうとしない。
「ん? ねえちゃんいいもん持ってるじゃね~か」
おもむろに月音の首から形見のネックレスを引き抜く。
「ああ、返して! それは大事な物なの、お願い返して!」
「おい、かえせよ・・・ゴフッ」
お腹に膝蹴りが刺さり将太は苦しそうにうずくまる。
「将太! 大丈夫? なんてことするの!」
「お願い、お金は渡すから、ネックレス返して!」
そういって月音は財布を渡す。
「持ってるじゃね~か、じゃ返すわ」
そう言って男はネックレスを橋から落とす。
「はっ!」
月音は急いで落ちた場所を確認する。柄の悪い二人はへらへら笑いながら帰っていった。
「将太! 将太大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
将太は立ち上がる。月音は将太の無事を確認すると橋の下へ駆け出した。
「おい! 木谷!」
月音は躊躇なく川に入る。今は十一月、川の水も相当低いはずだ。
「木谷! この水温じゃ風邪ひいちまうぞ!」
将太は何度も呼びかけるが月音は答えない。
見かねた将太も中に入り探す。
「どんな形のだ?」
「月の形のトップに小さなダイヤが散りばめられているの! とても大事なものだから」
それを聞いた将太は必死になって探す。しかし日も暮れて見えない。流れは緩やかだから流されることは無いだろう。たぶん落ちた場所近くにあると思うのが・・・。
しばらく探していると月音の音が聞こえないことに気づき将太は後ろを見る。そこには川に倒れる月音がいた。あわてて将太は月音を抱き上げる。
「おい! 木谷! しっかりしろ!」
「大丈夫・・・それより・・・ネックレスを」
「その状態じゃだめだろう! 一旦帰るぞ、木谷」
将太は月音を抱きかかえ走る。
「木谷、家はどこだ近くなったら教えろ!」
しばらくするとアパートが見えてきた。
「おい、木谷もしかしてここか?」
「ここ・・・202号室・・・」
将太は階段を駆け上がる。
「ごめんください! あけてください!」
玄関から大声が聞こえたのでビックリしてドアを開ける。すると男に抱きかかえられびしょ濡れの月音がいた。
「訳あって川に入ってしまって、そしたら倒れてしまって」
男はそうハルに説明した。
「ハル・・・ごめん、体冷やしちゃった・・・」
月音の細い声が聞こえる。
俺は男から月音を引き取り濡れた服を脱がし始める。だまって見ている男に向かって声を掛ける。
「悪いが帰ってもらえるか」
「あ、ああ、すまない」
そう言って将太は外にあわてて出た。
俺は月音の衣類を全て脱がし体を毛布でくるむ。電気ストーブを出して月音にあてる。そして体温を計る。三十三度、低すぎる。そして木谷へ電話を回す。
「もしもし、ハルです」
「やあ、ハル・・」
声をさえぎり説明を始める。
「月音が川に入ったらしく体温が下がっています三十三度です。意識はあります。対処法を!」
「お風呂に四十四~五度くらいの熱めにお湯をはり、月音を入れて体温をみなさい」
「それで体温が戻るか確認、戻らなければすぐに連絡をよこしなさい」
「体温が戻ったらその後も体温が持続しているか確認、維持できていれば大丈夫だ」
「分かりました! 早速やります」
電話を切ってすぐ湯船に熱くお湯をはる。お湯がたまるまで月音を抱きさすり続ける。
「月音、今暖めるから」
「ハル・・・ごめん・・ネックレス落としちゃった」
「ネックレスはどうでもいい、もう二度と水に入るな」
「分かった・・・」
月音は涙を浮かべている
「俺がもっといいの買ってやる」
そう言って月音をさすり続ける。そうこうしてるとお湯がたまった。温度も良い。月音の毛布をとり抱き上げ湯船に急ぐ。四十五度はさすがに熱い、しかし月音にとっては暖かい温度のようだ。月音の首に腕を回し右手で脇を抱え溺れないようにする。俺の腕は熱さで真っ赤になっていく。しばらくして月音の額におでこをつける。だいぶ体温は戻ってきている。しかし体温が継続できるかが問題だ。すると月音が目を閉じたまま話す。
「あったかい・・・助かった」
俺はその言葉に安心し月音を抱きしめる。
だいぶ温まったので月音を風呂からだし着替えさせ、月音の布団に運ぶ。月音は疲れ果ててそのまま眠りについてしまう。その後も体温をみながら部屋を暖め様子を見続けることにした。とりあえず経過を木谷さんへ報告、何もなければ大丈夫だろうとのことだ。明日明後日は学校を休ませる事にして木谷さんへ学校連絡をお願いした。俺も気が張っていたのだろう、四時頃までは記憶があるのだがその後寝てしまったようだ。
月音が四時過ぎに目を覚ます。隣を見るとハルが寝ている。月音はハルに自分の布団を掛けハルに密着しまた眠りにつく。
ふと目を覚ます。隣に月音がいない、焦って飛び起き周りを見渡す。寝てしまってたことに自己嫌悪。すると隣の部屋から声がする。月音だ。
「ハル? 起きた?」
「月音何してんだ!」
俺はビックリして月音に近寄る。
「もう大丈夫、今ご飯作ってるからもう少し待ってて」
「あとは俺がやるから、病み上がりなんだからダメだよ」
「大丈夫だって、座ってて」
月音はああ言ったが俺は気が気でない。倒れないように見張っていた。ふと時計を見るともう十一時だった。ああ、しまった。かなり寝てしまっていた。俺のバカ!
「月音、何時頃起きたんだ?」
「ん~確か・・・十時頃かな?」
「俺寝てたんだな・・・すまん」
「だから大丈夫だって」
俺は月音の後ろからおでこに手を回す。熱は大丈夫そうだ。一応今日も木谷さんへ連絡を入れておくつもりだ、今後の対策になるかもしれない。
「ご飯できたよ~運ぶの手伝って」
ハムエッグ、ほうれん草のおひたし、ご飯、味噌汁を作ったようだ。俺も運ぶのを手伝い一緒に食事を始める。
「月音の手料理を食べるなんてはじめてだ」
「へへ、ハルみたいには作れないけど」
「十分さ、いただきます」
「いただきます」
「うまい! おいしいよ月音」
「ありがとう~」
「ねえ、今度私にお料理教えて」
「ああ、そうだな・・・女性として必要だよな、時間を見つけて教えていくことにしよう」
「食べたら後片付けは俺がやるから、月音は少し横になってな」
「うん」
月音がやけに素直だ。
台所の後片付けを済ませ、昨日からそのままになっていた風呂場も掃除、あらためて昨日の事を思い出す。まず昨日何があったのか聞くべきだろう。そして繰り返すことがないように注意しなければならない。月音を少し休ませてからだな。しかし、気になる事があった。月音の耳に入れて不安を煽るようなことはしない方が得策だ。買い物に出るついでに外で木谷さんへ電話をしよう。
「月音、俺は少し食材を買い足しに行って来る。何か食べたいものあるか?」
「プリンが食べたい」
「あ~分かった、見つけたら買ってくる」
俺はまっすぐタバコ屋の電話に直行、木谷さんへ報告の電話を入れる。
「もしもし、ハルです」
「やあ、ハル君、月音の様子はどうだい?」
「はい、今は落ち着いています。自分でご飯の用意をしてたくらい回復しました」
「そうか、その様子だと大丈夫そうだね」
「木谷さん、実は昨日気になる事があったので一応報告と思いまして」
「月音が運ばれてきてすぐの時、たぶん一番体温が下がっていた状態なのですが、気のせいなのか月音が少し小さく感じました。実際計ったわけではないのではっきりとはいえませんが、月音に触れて運ぶ時そう感じたんです。木谷さんはどう思われますか? 気のせいでしょうか?」
「正直分からないとしか言いようが無いが・・・私達の人知を超える力だ、有り得なくはない」
「病気が少し進行する事により老化、病気が収まって退化、要するに若返りか・・・」
「どちらにせよ、今後はその可能性も視野に入れ行動しよう。体温の低下には十分気をつけて」
「ハル君、私は月音をモルモットにはしたくない。絶対ばれないように頼むよ」
「もちろんです。命に代えても守ります。では」
急激な若返りや老化、想像もできない異常が起こることも考えられるわけだ。これは心してかからないといけないな。
俺は買い物を済ませアパートへ戻ることにした。
月音はまだ寝ている。昨日の今日だ無理もない。おでこに触れてみるが熱は丁度良い感じだ。俺は月音に頼まれたプリンを冷蔵庫に入れておく、月音の喜ぶ顔が楽しみだ。そして晩ご飯時すぐに出せるように下ごしらえをしておいた。俺も少し休もう。
気がつくとすでに午後四時、そろそろ夕食の支度を始めよう。月音は寝息を立てている。おでこに触れてみる、体温は大丈夫だ。すると月音が俺の手をつかむ。
「お父さん、ありがとう」
「え?」
その言葉を聴いた瞬間涙がぼろぼろ出てきた。悲しくて泣いてるんじゃない、顔は笑ってるんだ。人は悲しくても、うれしくても、おかしくても涙を流す。お父さんって言葉が胸に突き刺さる。
「俺さ、月音がかわいくて、かわいくて」
「うん」
月音は笑顔で聞いている。
「自分の子供がこんなにかわいいとは知らなくて」
「赤ちゃんの時しか見たことがなくて、自分に子供がいる実感がなくて」
「でも一緒に暮らしたら、かわいくてかわいくて、死ぬほど愛おしくなって」
「それを知ったらただただ後悔の念に圧されて」
「後悔?」
月音は不思議そうな顔で俺を見つめる。
「四歳の月音も、五歳の月音も、六歳の月音も、八歳の月音も、十歳の月音も、全部の月音が見たかった。何で見ようとしなかったのか、何で抱きしめに行かなかったのか、あの時連れて行けば良かったと今になって思って。本当の親じゃない事を知った月音の苦しみを思うと・・・俺はずっと目をそらし続けてきた悪い父親、人として失格だ」
「そんな事ない、私はハルに会うことができて幸せよ」
「月音・・・ありがとう」
やっとまともな関係が築けた気がしてうれしかった。結局、何があったのか聞けずじまいだったがきっとあの男から聞けるだろうと思っていた。
次の日も大事を見て休み、更に次の日から俺達は学校に行く事にした。そしてお昼休みに俺は彼に呼び出された。
「木谷もう大丈夫そうだな。俺は永井将太、よろしく、おに~さん」
「先日はすまなかった。礼もいわず追い出してしまって。月音を助けてくれてありがとう」
「いや、たまたま帰りが一緒になったってだけだ。そしたら不良もどきに絡まれて、情け無いことに腹蹴られて倒れちまって、その間にネックレス奪われて。木谷が金を渡すから返せって言ったが聞き入れるようなやつらじゃない。そしたらやつらネックレスを川に落として財布奪って行っちまった」
「そうだったのか・・・」
「助けられなかったのは俺の責任だ、すまない」
「悪いのはおまえじゃない、そこにいた連中だ」
「これ、木谷に渡してくれ」
永井の手にはネックレスがあった。
「これ、お前が探してくれたのか?」
「あの日はもう暗くて見えなかったからな、次の日行ったら光ってたんですぐ見つけられた」
「そうか、ありがとう。でも、それは俺じゃなく月音に直接渡してくれ。きっと喜ぶ」
「分かった。後で渡しておく」
「永井将太、か・・・永井君、ちょっと聞いてもいいか?」
「ん? なんだ?」
「月音のこと、好きなのか?」
「は? そんなんじゃね~よ」
「そうか、だったら月音に近づかないでくれ」
「は? それはあんたが決めることじゃね~だろ、それを決めるのは俺と木谷だ。噂通りのシスコン野郎だなあんた」
「ああ、自他共に認めるシスコン野郎だ、自分で言うのだから間違いない」
「あんた、あの不良より厄介なヤツだよ」
永井は肩をすくめながら去っていった。
永井はそのまま自分のクラスへと向かう。そして月音の前に立ち無言でネックレスを机に置いて自分の席に戻る。それを見た月音は目に涙を浮かべ大事そうに握り締めていた。一部始終を見ていた遥香は複雑そうな表情をしている。家へ帰ってきた月音の首にはネックレスが光っていた。
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