第十章:愛娘
それから時が過ぎ、妊娠五ヶ月に入っていた。
月世のお腹も少し大きく目立つようになり中の子供も動くようになっていた。
「またお腹けったよ!」
月世はうれしそうに話している。
月世はつわりもひどくなく特に体調も崩さず過ごせていた。これには二郎さんも驚いていた。
「ハル、早く顔がみたいね~」
「そうだね、どっちかな?」
「ハルはどっちがいいの?」
「俺はどちらでもいい、でも、月世を見てると女の子っぽい感じがしないでもない、かな?」
「私は男の子でも女の子でもハルの子ならどちらでもうれしい」
月世は幸せそうな顔で話している。
やさしくお腹をなでる姿がまぶしく映り守らなければという強い気持ちがふつふつと湧いてくる。ただ、編み物が成長後も着れる様にサイズ別に編まれていることが気になっていた。月世は本当に強い女性だ。
数日後、産むにあたって二郎さんから話があった。
「前にも言った通り早めに入院する。そして様子を見て帝王切開しようと考えている」
それを聞いた月世が目を見開き口を開いた。
「私は自然分娩で産みます!」
「月世、それは無理だ。おまえの命に関わる。これだけはダメだ」
「おまえにとって帝王切開ですら負担が大きい」
「私はお腹を痛め普通に産みたい。帝王切開は断ります」
「月世・・・分かってくれよ・・・」
二郎さんの説得もむなしく月世の決意は固い。とりあえず保留という事で話は終わったが月世は受け入れるつもりはないようだ。二郎さんの気持ちはもっともだ。ただ月世の気持ちも分かる。元々、成人できるかどうかも分からないと言われていた。その月世がすでに二十歳、このまま負担なくいけば当初言われていた寿命は優に超えられるだろう。しかし月世は自分の命より人生をどう生きるかを優先している。俺も最初は月世の命を優先することが当たり前のように感じていた。しかし今は違う。月世の気持ちを大事にしたいと思っている。ただ生きながらえるより充実した人生を送ること。それは月世が選んだ道なのだから。
妊娠七ヶ月、この頃になるとだいぶお腹もおおきくなってきた。赤ちゃんも元気そのものでとにかく良く暴れるようだ。もしかしたら元気な男の子なのか? いや、女の子でも奈美のような女の子もいるしな・・・。
来月あたりから前もって入院する手はずとなっている。健康体ではないので仕方が無い。むしろ何があっても安全なので俺としては安心だ。ただ、寂しいと言えばウソになる。いつも隣で寝ていた月世がいないのは辛いだろう。そして、もしかしたらそのまま戻らないこともあるかもしれない。悪い流れは考えないようにしてきたが今は違う。むしろ後悔しないように行動を起こすことが大事だ。その冷静さは俺達夫婦にとってとても重要なことなのだ。お互いが悔いなく少しでも一緒にいられるように。
その晩、夢を見た。小学生の時に実際にあった出来事を夢に見たのだ。あれは小学校三年生の時、月世が初めて学校に来たときの事だった。月世とは五歳のとき父に連れられ長門家で出会っていた。小さいながらもかわいくてやさしくて、思えばあの頃から何も変わっていない。その月世が学校に来たのだから話題にならない訳がない。月世の周りには女子が集まり笑い声が絶えなかった。当時女子達と話す事を恥ずかしく感じていた俺は月世に話しかけることは出来なかった。話してるとからかいにやってくるやつがどこにでもいるものだ。大体自分が話せないものだから羨ましくてからかいにやってくるわけだ。初日から月世の周りにできていた人だだかりの中に奈美はいなかった。月世のそばに何故か寄ろうとはしない。思えば、あの時に奈美は月世を知ったのだと思い出す。
そんな気持ちを知ってか知らずか月世が俺を見つけ笑顔で手を振る。俺は赤面しつつ目をそらし知らない振りをしてしまった。横目で月世の顔が沈んでいるのが分かっていた。それなのにそんな対応をしてしまった。そしてお約束のごとくお調子者の剛(たけし)が数名でやってきて二人をからかうのだ。
「なんだおまえ~~ハルの事が好きなんじゃね~の~~」
すると当然のごとく月世が答える。
「そうよ、何か悪い? 友達に手を振って何がいけないの?」
そう言われグーの根も出ない剛はこれまたお決まりの暴力をふるおうとしてくる。それを察した俺は行動を・・・起こせなかった。その代わりに動いたのは奈美だ。奈美は颯爽と剛のまえに立ちはだかり振り上げている腕をつかみ押し倒す。剛は予想しない人物の登場にぎょっとしている。
「あ、ありがとう。奈美さん」
月世はお礼を言うが奈美は我関せずといった対応で自分の席に戻る。そして隣の俺をギロッと睨む。そうだ、いつもそうだった。助けてくれたあとはちゃんとしろと言わんばかりに睨んでくるのがお決まりだった。助けられてばかりで情けない男だよまったく。その後、月世は一度学校に来たきり来なくなってしまった。そして皆の記憶から消えていった。
目が覚める。
起きて早々に月世に声をかける。あのときの事を謝ろうと、そのことしか頭になかった。
「ん・・・んん~はぁ~・・・ハルおはよう」
月世が目を覚ました。
「月世おはよう。起きて早々話があるんだけど」
「な~に? どうしたの?」
月世は眠そうな眼をこすりながらあくびをしている。
「小学校三年生の時、学校にきたときの事覚えてる?」
「ああ~覚えてる。奈美さんが助けてくれた、あれでしょ?」
「そうそう、あの時知らない振りをしてごめん!」
俺は月世に手を合わせ謝った。
「な~に、どうしたの突然? もう気にしてないに決まってるじゃない」
月世は笑顔で答えてくれた。
「なんか思い出しちゃって、俺ホント気が小さくて情け無いよ・・ごめんな月世」
「今はいい男なんだからいいじゃない! 元気だしてハル!」
「あの時は奈美さんに助けてもらってうれしかった」
「奈美さんとなら友達になれるって思ったんだ~」
「その後まともに学校いけなくなっちゃって残念だったけど」
「変なこと思い出させちゃってごめん、月世」
「ん~ん、いい思い出だよ」
「あ、またけってる! 今日も元気だね~」
そう言って月世はお腹をなでている。俺も後ろから手を回しお腹をなでる。心の中でもう一度謝る。あの時はごめんな、月世。その後、他にも謝らなければならないことがなかったかな~と考えにふけっていた。
妊娠八ヶ月目、とうとう入院の日がやってきた。
前日から荷物をまとめてあったので産婦人科へ向かうだけだ。しばらく月世の寝顔が見れない事が悔やまれるが仕方が無い。月世は本当なら家で産みたかったらしい。と言うのも千恵さんは婦人科を専攻していた元先生だったからだ。ただ、月世の病気のことや設備の問題もあり断念するしかなった。千恵さんが一番残念だったのではないかと今にして思う。
「さて、しばらく一緒にいれる時間が減っちゃうな」
「うん、ハルと一緒に寝られないのが辛いな~」
「元気に赤ちゃんを産んで無事帰ろうな」
「そうだね、元気に帰らないとね!」
入院中は毎日病院へ寄り着替えや洗濯物のやり取りしなければならないので会えないわけではない。それでも離れ離れになるのは嫌だった。
もう少しで十ヶ月目に入るある日、俺はいつものように月世の元へ向かう。月世の部屋へ向かうと月世が子守唄を歌っていた。月世のかわいらしい小さな声が病室から聞こえてくる。俺はドアへ寄りかかりしばらく月世の歌を聞いていた。すると、途中で歌声が消え辛そうな声へと変わった。俺はとっさに部屋に入り様子を伺う。月世は苦しそうにお腹をさすっている。俺は詰め所に全速力で走った。
「すみません! すみません! 病室へお願いします!」
すると詰め所から看護婦さんが数名出てきて月世の部屋に向かう。両脇を抱えられた月世が分娩室へ連れていかれる。俺はただただあわてて大丈夫かと聞く。
「こちらで長門先生に連絡を入れておきます。他にお呼びになりたいご家族がいれば連絡してください」
俺はそれを聞き米屋さんへ電話、千恵さんに伝言を頼んだ。
「月世は大丈夫でしょうか?」
詰所に残った看護婦さんへ聞いた。
「少し早いですが問題ありません。許容範囲です」
そう言って淡々と平常業務へと彼女は戻る。
待合の長いすに座りしばらく時間が流れた。わずか二十分足らずの時間ですら数時間に感じられる。すると二郎さんがやってきた。二郎さんは白衣を着ながら俺に目配せしてそのまま分娩室へと入っていく。その後しばらく時間が流れる。すると今度は千恵さんがやってきた。
「ハル君! 月世はどう?」
「一時間程経ちました。どうなっているのか全くわかりません」
「そう、大丈夫よハル君、信じて待ちましょう」
千恵さんの言葉に少し緊張が解けた気がした。
それから一時間くらい経過した頃から月世の辛そうな声が聞こえ始めてきた。どうやら本格的に陣痛が始まったようだ。ただただ辛そうに苦しむ月世の声に俺は祈り続けていた。月世! がんばれ! 月世! がんばれ!
あれからどれくらい時間が経過したのか、俺は手に爪あとがつくほど強く手を握り締めていた。すると声が聞こえてきた。
「オンギャーオンギャー」
千恵さんと俺は顔を見合わせ興奮気味に立ち上がる。しばらくすると二郎さんが扉を開けて中に入れと手招きした。それを見た俺はそそくさと中に入る。
「元気な女の子ですよ」
赤ちゃんを抱きかかえた看護婦さんがそう話した。そして赤ちゃんを月世の隣へそっと置いた。
「私の・・・私の赤ちゃん・・・会いたかった」
月世はぼろぼろと大きな涙を流し赤ん坊の顔を見つめ泣いている。
「月世、がんばったな、よくがんばった。やっと会えたな」
「ハル、私達の赤ちゃんよ、私がんばった。ハルありがとう、ありがとう」
「あなたのおかげで私は幸せ、世界一幸せ・・・私の赤ちゃん・・・ありがとう」
月世の目から力が消えていく。
「月世?・・月世?」
「母体の心音が弱まっています! 血圧低下!」
看護婦さんがあわてて声を荒げる。
二郎さんがあわてて駆け寄り叫ぶ!
「月世! 月世!」
「先生! 心肺停止です!」
心肺蘇生をはじめる。何度も何度も繰り返し。何度も何度も何度も・・・
「月世――――! 月世! 一緒に育てるっていったじゃないか! 月世――――」
二郎さんは諦めずに続けるがその手の力はどんどん弱々しくなり、やがて膝をついて声にならない悲鳴をあげる。
月世は戻ってこなかった・・・
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