第一章:水端
「秋雄!」
男が呼び止める。
「おまえ顔色悪いぞ、ちゃんと飯食ってるのか?」
「あぁ・・・」
「春(ハル)君は元気にしてるか?」
「あぁ・・元気だ」
「少なくともお前の顔色からそうは思えんが・・・」
「今度飯でもどうだ?」
「あぁ・・・今度時間を作るよ」
無精ひげに洗濯してなさそうな衣類、相変わらずの様子だ。
彼の名前は
奥さんが病に冒されてから彼は変わってしまった。医療研究所から軍に出向、その後戻ってから職場を辞め外に顔を出すことがほぼなくなっている。現在も妙な噂が後を絶たず、それが医療に関するものである事は安易に予想がついていた。おそらく春子さんの病に関わる何か、それが軍も望むものと合致していたのではないかと。帰還後も彼は研究を続けていた様子だ。度々軍の人間が出入りしているのを我々は知っていた。
「秋雄、あのさ、色々と噂を聞くんだが・・・何か調べてるのか?」
「お前には関係の無いことだ」
「そう言われちゃうとなんも言えんが・・・俺で力になれることがあれば何でも言ってくれ」
「あぁ、気にかけてくれる事には感謝している」
そう言うと秋雄は立ち去って行った。
第二次世界大戦が始まり男は徴兵され女が残されていく。ケガで帰還する者もいれば、帰らぬ人となる者、お国の為にと喜ぶ者、大切な命を奪われ悲しみに打ちひしがれる者。そんな混沌とした中であえぐ人生に山来秋雄もまた打ちひしがれる人生を送っていた。愛する妻を病で失い、医者である自分の無力さに絶望していた。こんな近くにいたのに妻を助けられなかった。生きる気力を失いかけていた秋雄にとって医療研究は無くてはならないもの。己の信念の為に、彼はずっとその先を見越していた事を知る由もない。
某日、午後八時頃、空襲警報が鳴り響く。
爆音がとどろきあちこちから悲鳴が聞こえる。
「ハル! ハル! どこにいる!」
父が叫ぶ。
「父さん! 空襲だ! 裏山の防空壕へ急ごう!」
「ハル、家の地下室へ急げ!」
「え? いいの?」
「いいから早く急げ!」
そそくさと地下室へ向かう二人。入ってはいけなという言いつけを守ってきた俺にとって複雑な気持ちだ。時折訪問に来る軍の関係者、彼らが地下室に出入りしている事も知っていた。地下室の事を聞くと父さんは人が変わったような顔をする。それが怖くてふれることが出来なかった。
地下室の中は裸電球が薄暗く灯り、その周りを小さな虫が飛んでいるのが見える。中央に手術台のようなベッド、棚には無数の小瓶に何やら液体が入っている。薄気味悪いが想像していたような怪しさは感じられなかった。ここで父さんはいったい何をしていたのだろう? 聞く勇気も無い俺は父の言葉を待つ。
「ハル、ベッドに横になりなさい」
そう声を掛けられ素直にベッドに横になる。
外からは空爆されているであろう爆音が聞こえ、時折激しい揺れと共に天井から砂埃が落ちてくる。
左腕の袖をまくられ消毒液の臭いが立ち込める。腕に針が刺さる感覚がした。
「これからお前に魔法をかける。長年俺が研究してきた成果だ。それがうまくいくか正直分からない、それでもこれが唯一残せる最後の希望だ。ハル、頼んだぞ。これは人の全てを解くカギになるはずだ」
意識が朦朧としていく中かすかに聞こえる父の言葉が何度も何度も頭の中に響く。
まるで夢を見ているような、現実と夢の狭間が分からなくなっていく。
いったいどれだけの時間が流れたのだろう。真っ暗な部屋に横になっている。そうだ、地下室に寝かされ何やら父に施された。思い出した。あの父の言葉がまた頭に何度も鳴り響く。
「父さん! 父さん! いるの? どこ?」
ひどい頭痛と眩暈でよろめく、真っ暗で何も見えない。頭痛に苦しみ頭を抱えようとするが何かが絡み腕が上がらない。体中に点滴の管らしき物が無数につながっているようだ。それを全て抜き壁伝いによろめきながら階段を目指す。時折物にぶつかり次々と何かが倒れていく。
ようやく階段を見つけドアへたどり着く。勢いよく鉄板のドアを体で押し開ける。明るすぎる光に目がくらみ開けられない。しばらくしてようやく光に慣れ始めてきた。その光景に思わず膝をついてしまった。
一面焼け野原だ。人の形をした黒い人形のようなものが点在している。建物と言えるものが見当たらない、黒い世界へと変貌していた。
「父さん! 父さん!」
何度呼んでも父の返事がない
小さな残り火を手にもう一度地下室へと向かう。
自分が寝ていたベッドの横へもう一つベッドが足されていた。そこには父が横になっていた。父の腕や横腹から何本も管が機械へつながっている。おそらく自分が抜いた管はそれら医療機器を介し父とつながっていたのではと推測できる。
「父さん! 父さん! 起きて!」
何度も体を揺らすが起きない、手首をつかみ脈をとる。
涙がとめどなく出てきて止まらない。父さんは死んでしまった。
「父さん・・・父さん・・・」
鳴咽で声が詰まる。
数日動けなかった。残されたその部屋だけが生きた証となってしまった。たった一度しか入室した事が無い部屋なのに。そこを離れると全てのつながりが断ち切られ自分の存在意義を失いそうな気がしていた。
母を失い、そして父も失い。完全に孤立してしまった俺の頭には絶望しかなかった。ただただ泣き、叫び、むせび、声が枯れる。いつしか泣こうにも涙が出なくなっていた。
時の経過とは恐ろしいもので、こんな状況ですら悲しみになれていく感覚が自分で分かる。そして冷静に考え始めた。
父はいったい自分に何を施したのか? あの言葉からは何もつかめない。何度も死んでしまおうかとも考えた。しかし、父がかけたという魔法がいったい何なのかが気になり突き止めたいという思いがふつふつと湧いていたのだった。
「全てを解くカギ・・・」
父は俺に何かを託した。そう、頼むと俺に言っていた。
地下室は相変わらず暗い。引き出しからローソクを出し火を灯す。予めこうなることを予期していたのであろう。ある程度の食料や水、お金、自分の衣類もあった。
「しばらくは生活できそうだ。まず父さんを何とかしないと・・・」
父をおぶって外へ出てきた。出てきたはいいがどうしたらよいのか途方に暮れ立ち尽くす。そこへ通りかかった中年の女性が声を掛けてきた。
「家族の方かい? 焼くならここをまっすぐ突き当りを右に曲がったところでやってるよ」
そう言って中年の女性は通り過ぎて行った。
早速その場へ向かうことにした。
そこは死体の山だった。無数に横たわる死体、次々と火の中に投じられる様に父を渡す気にはなれなかった。自分で火葬する事に決め家へ戻ることにした。燃えそうな瓦礫は山ほどあった。父を沢山の木材で囲み火を放つ。勢い良く燃えているように見えるが父の姿が炎の中でなかななか変化しない。人は簡単には燃えないようだ。
数日で父の姿は無くなってしまい、わずかな骨と灰だけが残っている。それを蓋付の缶に拾い集める。何故だろう、もう悲しみは感じられなくなっていた。
母が亡くなり、父が軍に出向してから俺は親戚を点々とたらい回しにされていた。どこに行っても迷惑そうな顔をされ、その都度父は何故連れて行ってくれなかったのか、そのことばかり気になっていた。父がケガで帰還してからようやく一緒に住めるようになる。この一緒に住む事をどれだけ待ち望んでいたことか、父はそんな俺の気持ちを理解してはいなかっただろう。それでも唯一の肉親である父を恨むことはできなかった。
父が自分に施した何かの資料が残ってないか棚や引き出しを物色してみたが何も出てこない。何かしら関わる物が残っていそうな感じなのだが、そこら辺は徹底していたのだろう。軍が関わるくらいだ厳しく情報を管理していたのは当たり前だろう。気長に父に掛けられた魔法を探していこうと決心する。その正体を知るまで、死ぬのはその後でも十分だ。
あらためて周りを見渡すと近所はほぼ全焼に近い状態だった。すぐ隣の
防空壕へ誰か残っていないか確認に行ったがもぬけの空だった。特に目立った乱雑さもなく血痕が無いところを見ると防空壕の中は安全だったのではないかと推測される。となると、避難できた人達はたぶん無事でいるはずだ。あの奈美が無事でないわけがない。
少し外れには幼馴染の
後日、町は人であふれかえっていた。どうやら日本は敗戦したようだ。その話題で涙している人たち、これからを話す人達と様々だ。その一方で床に物を並べ商売をしている人たちでごったがえし、子供たちは米兵に物をせがんでいる。こんな状態でも活気あふれる様を見ていると何故か元気が湧いてくるから不思議だ。
すると後ろから呼び声が聞こえた。
「ん? ハルじゃないか!」
「あ、おじさん!」
そこには父と懇意にしていた
「どうしていたか気になっていたんだよ!」
「お父さんはどうした?」
「父は亡くなりました・・」
「そうだったのか・・・やはり空襲で?」
「いえ・・実は色々とわけがありまして」
「それはもしかしてお父さんの研究に関係が?」
「おじさん何か知っているんですか?」
「いや、詳しくは分からない、しかし何かしら力になれるかもしれない」
「ハル君、そこら辺の話も含めてしばらく家にこないかい?」
「ハル君も知っての通り、我が家はちょいと外れにあって空襲を逃れたんだよ」
「君・・一人だろ?」
「はぁ・・僕がお邪魔してご迷惑じゃないでしょうか?」
「君のお父さんには世話になったんだ、そのくらいさせてくれ」
「ハル君がくると月世も喜ぶしね~」
「ということは、月世も元気なんですね! よかった・・・」
「ありがとうございます。正直、一人で途方に暮れていました。お言葉に甘えさせていただきます」
「よし! それではハル君ちょいと手伝ってくれ、食料を確保しなきゃならんからね」
二郎はハルの肩をポンと軽く叩き二人で食料の調達に向かった。
ここは海が近く魚介類が豊富に上がっていた。農作物は不足気味だが海の恵みで何とかやっていけそうな感じがする。実際、道端で売られている大半が魚介類だったからだ。サツマイモと魚を数匹仕入れ長門家へと向かったのだった。
「今帰ったぞ~」
「おかえりなさいあなた・・あら」
「お久しぶりです。おばさん」
「秋雄が亡くなったそうだ」
「あっ・・あら、そうなの・・それは大変だったわね。あがってちょうだい」
「ありがとうございます。お邪魔します」
居間へ通される。
「ハル! ハルじゃない!」
「月世、元気だったか?」
「最近調子がいいの、それよりハルが無事で安心したわ! おじ様は?」
「亡くなったんだ」
「・・・おじ様が・・ハル・・・」
「お父さん、ハルうちに住んでもらったらどう?」
「ああ、ハルさえ良ければそのつもりで連れてきたんだが・・」
二郎さんはチラチラと千恵さんと俺に視線を向け様子を見ている。
「しばらく落ち着くまででも構わない、どうかな?」
矢継ぎ早に千恵さんが声を荒げる。
「ちょっと、あなた達簡単に言うけどただでさえ食料が不足しているのよ、この状態で一人増えるなんて冗談じゃないわよ!」
「まあまあ、そこは俺が何とかするし、ハルも十七歳の立派な男だ。我が家の戦力になってくれるはずだ」
「な、ハル?」
「ご迷惑なようでしたら・・家も地下室は無事だったので住めないわけではないですし・・・」
千恵さんの一声に表情は暗くこわばってしまった。
「お母さん! ハルは私の大切な友達なの、私も出来るだけの事は手伝うわ!」
「あら、あなたに何ができると言うの? 人を一人養う大変さがあなたに分かるとでも?」
「千恵、ハルにはもう身寄りが・・・分かるだろ・・」
千恵さんは困ったような顔で耳の後ろをぽりぽり掻いている。
「・・・ふ~、それなりの働きはしてもらうわ、穀潰しを置いておくほどの余裕なんてないんですから」
「お母さん! ありがとう」
月世はうれしそうに母へ笑顔を向ける。
「ハル、いいでしょ? 遠慮なく家にいて!」
月世がそう言ってくれるのはとても嬉しい、喜んでそうしたいところだが、正直おばさんとうまくやっていけるか不安だ。
「あぁ・・ありがとうございます。足をひっぱらないよう仕事をがんばらせていただきます。もしご迷惑ならすぐにでも出て行きますので遠慮なく言ってください。しばらくお世話になります」
そう言って深々と頭を下げた。
「食事の用意は出来てるわ。冷めないうちに片付けてちょうだい」
「おう! うまそうだな~ハルも一緒に」
「遠慮なく食べてね」
月世の笑顔に寂しさが軽減されていく気持ちだ。
何日ぶりだろう・・人数のいる中で食事をする。子供の頃を思いだした。母さんと父さんと俺・・・母さんは俺が七つの時に病で亡くなった。明るく楽しい父さんの表情が変わってしまったのはその時からだ。母さんも月世のように体が弱くその為に父は奮闘していた。しかしその努力は実ることなく他界した。母に抱かれるあのぬくもりは今でも忘れられない。
「さてと、食事も済んだし。ハル、ちょっと外に出ようか」
少し二郎さんは神妙な顔で俺を外へ呼び出した。
長門家には広くはないが小さな庭がある。子供の頃はよく月世とこの庭で遊んだものだ。戦争をしていたことがまるでウソのように静まりかえった静夜。月が大きくとても綺麗だ。
「お父さんが亡くなった詳しい経緯を教えてもらえるかな?」
「はい。分かりました」
「空襲が始まって防空壕ではなく家の地下室に二人で避難しましたーーーーーー」
あの時の事を二郎さんに詳しく話した。
「・・・・全てを解くカギ」
その話を聞いて二郎さんは何やら考えこんでいる。
「おまえの父さんがハルに何をしたのか、軍も関わり何かしら研究をしている事は知っていたが・・いったい何を?」
「とりあえず、今は研究所も休止状態だ、町が落ち着くまで何とかしのぎ、一度検査をしてみよう」
「俺自身、秋雄が行っていた研究には興味がある。ただ、解明できるかどうかはやってみないことには分からん」
「ハイ、まずは明日のことからですね?」
「だな、ハルには少しがんばってもらうよ」
「二階の月世の部屋の隣に小さな部屋がある。よくかくれんぼで隠れていたあの部屋だ。おまえも分かるだろ? あの部屋をしばらく使ってくれ」
「懐かしいな~ それではお世話になります」
俺は深々と頭を下げ部屋へ向かった。
「月世いる? 隣の部屋借りるよ」
隣の部屋からひょいと顔を出す月世。
「どうぞ~ 好きなように使ってちょうだい」
「あっ、でも私の部屋に聞き耳立てたり覗いたりしたら承知しないわよ」
「はぁ? するかそんなこと!」
「な~に顔赤くしてんのよ~」
「若い男女が隣あわせで生活するのよ~ それともハルはあっち系なの?」
「んなわけあるか、ちゃんと女に興味があるよ、って・・・何言ってんだ俺」
赤面全開である。
「な~んて冗談よ、ハルよろしくね! 色々大変だったでしょ、お休み」
「あぁ、こちらこそお世話になります。お休み」
月世がもし病気じゃなかったら、きっとクラスの人気者だったろう。美人で思いやりがあり何よりやさしい女性だ。
月世は子供の頃いつも言っていたことがある「おもいっきり、全速力で走ってみたい」そんな普通のことができない月世が不憫でならなかった。そんな気持ちとは裏腹に月世を独り占めできる事が子供ながらにうれしくもあった。それが今この世にとどまっている理由の一つなのかもしれない。
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