魔女か人か

「………なあ」

「………うむ」

「なんか爆発音と、地響きと、雷と遠吠えが聞こえたんだが」

「あと、魔力な。なんか、正直とんでもない化け物レベルの魔力がぶわーって沸き起こったのぅ」

「………………………」

「………………………」

「………帰るか? ギャハハ!!」






「|雷雲蠢き、大気を満たす。踊れ精霊、謳え悪魔。哭き叫べ《ドゥン・ナー・シュナーク・ドンナー》、【泣き虫魔女サンダーレイン】!!」


 加速した時間の中でなお1秒以上の時間をかけたリドルの詠唱。

 魔法も魔術も、呪文を唱えれば唱えるほど効果は上がる――同じ言葉を繰り返したり、或いは古くから伝わる文言を読むことにより、世界を歪める力を高めるのだ。


 ましてや、リドルは【魔女】の血族。

 本来必要の無い詠唱をわざわざ付け加えたことにより、魔法の威力は大幅に増した。

 視界を埋め尽くすほどの雷の雨が、一斉に巨大狼マキシムへと殺到していく。


 何しろ、的は呆れるほど大きい。

 外すわけもなく、雷雨はマキシムの前足に直撃した。毛が焦げるような嫌な臭いに、マキシムは不愉快そうに顔をしかめる。


 


 リドルの全力の魔法は、マキシムの表面を焦がす程度の威力しか発揮できなかった。

 舌打ちするリドルの足下に、影。


「リドルさん!?」

「チッ!!」


 慌てて飛び退いた目の前を、巨大な爪が薙ぎ払っていく。

 抉れた地面を見下ろして、リドルはため息を吐いた。


「あぁ、くそ。だから嫌だったんだよ。あの【魔女】め、ろくな仕事回してこねぇ!!」

「【薔薇染めの赤光マーレン・ローズ】!!」


 ディアが赤い斬撃を放つ。

 腕力と魔力とで刃の如き鋭さを与えた液体は、マキシムの腕を半ば抉り、そこで止まった。


 流石に痛かったのか、マキシムは大きく吠えて、そして後ろ足で立ち上がった。

 人狼の頃とは違って人らしく立つことはできないが、両足を高く高く持ち上げることはできるらしい。


「あー………、これ、最悪だな」

「まっするぅ………」

「………お前後で反省会な」


 持ち上がった腕は、勿論落ちてくる。

 まるで流星のように、二本の前足が振り下ろされた。


「っ、うおおおおおおおおっ!?」


 全力で、リドルとディアはマキシムから離れるように走る。

 着弾した前足の質量は地面を大きく陥没させ、めくれあがった岩と土が、波のようにリドルたちの後を追ってくる。


「ま、まっするぅ!!」

「ふざけてねぇで急げ! 巻き込まれたら死ぬぞ流石に!?」


 二人は矢のように突っ走り、広場の隅、木が密集している方へと飛び込んだ。

 背中で、幹に岩がぶつかる音が響き、そして止まった。


「はぁ、はぁ、はぁ………くそ、サイズが違いすぎるぜあんなの」

「………リドルさん………?」

「はぁ、はぁ、何とかなったか………? あ? なんだよ、お嬢ちゃん?」


 大木に背を預けて身を隠すリドルに、ディアが不思議そうな目を向けてくる。

 なんだ、いったい。

 リドルが首を傾げると、ディアも同じように首を傾げる。


「なんだよ。悪いんだけど今忙しくてさ、遊んでやる時間はねぇんだけど?」

「………今、同時でした?」

「あぁ? 飛び込んだときか?」


 必死だったからあまり覚えていないが、確か一緒だったような気がする。

 だから、なんだ。

 不審そうに眉を寄せるリドルに、ディアは、言葉を選ぶように言った。


「………あ」


 そういえば、そうか。

 リドルとディアとでは、発揮するスペックに大きな差がある。同時に全力で走ったなら、ディアの方が早くならなければおかしい。

 そうならないとしたら、ディアが手を抜いたか或いは――、


「俺の魔法が、強くなっていた………?」

「そうか、ここは、【魔女の森】。貴方の力も、強化されるのでは?」

「………」

「リドルさん?」

「………あぁ、いや。成る程そうかもな」


 嫌そうに、リドルは頷いた。

 魔法を唱えたときはともかく、走ったときにはなにも考えずにとにかく全力で走ったから、いつの間にか元々の限界を越えていたのか。

 だとしたら、魔法だって威力は上がっているのかもしれない。無意識のセーブラインよりも、今のリドルの限界は上にあるのか。


「………どうかしたのですか?」


 突破口にもなりえる情報。

 にも拘らず、リドルの顔は苦々しげである。ディアは首を傾げ、遠慮せずに尋ねた。


「いや、なんつうかさ。俺ってやっぱ、【魔女】なんだなぁってな」

「………」

「はは、半分は人間で、巡視官に育てられて、どっちかっつうと人間寄りだと思ってたんだけどなぁ。………人間らしく、処刑されるつもりだったんだけどなぁ」


 下らねぇけど、とリドルは呟いた。

 結局、どれだけ人間らしく振る舞っても、のだ。


 世界に、社会に、怒りを向けた時も、心のどこかで感じてはいたのだ。

 自分が怒る筋合いじゃあ、無いんじゃないかと。

 そんな資格は、無いんじゃないかと。


 だって、自分は――。


「それが、どうかしたのですか?」


 平然と、ディアは首を傾げた。

 その、曇りの無い瞳で言われたことを、リドルは思い出した。

 静かな口調で言われたことを、リドルは、再び思い出した。


 ――ったく。下らねぇな、マジで。


「はははっ、。ちょっとした感傷センチメンタルだ、気にすんな」

「はぁ。似合いませんね、それ」

「お前ほんと、後でぶっ飛ばすからな。………まあ、先約を片付けたらな」


 背後で、バリバリと音が鳴り響く。

 木々の隙間が狭すぎるのだろう、入れないらしいマキシムが、懸命に鼻先を突っ込もうとしているようだ。

 今は大自然の力が勝っているようだが、いずれは突破されるだろう。


 マキシムなら、この森を薙ぎ払うくらいわけない筈。それで【魔女ババア】が困るのは大いに結構だが、ラデリンの治療を頼んでいる今、彼女に負担をかけるのは上手くない。

 癪な話だが、仕方がない。

 何より――悪い気分ではない。


「それじゃまあ、役割交代だな、お嬢ちゃん。今度は、俺が前衛フロントだ」

「えぇ。【魔女】の力、存分に見せてもらいますね」

「へいへい。あー、ったく。何でこんな役回りばっかりかねぇ。まあ、いいか。………特と見とけペンキ屋。多分――二度とやらねぇからな」


 リドルは剣を握り締める。その顔に、晴れ晴れとした笑みを浮かべながら。

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