迷い子と狼

 森は、ディアにとってはあまり慣れ親しんだフィールドではない。

 基本的に、ディアの勤務先はバラ園であり、整備された女王の庭だった。森には森の支配者がいて、そこに踏み込むことは1度たりとも無かったのだ。


 ここは、木が全て大きい。

 視界を遮られたり、頭をぶつける心配は無さそうだが、しかしその分根も大きいので、地面にかなりの高低差が生まれている。

 酷いときには背丈ほどもある根を、ディアは飛び越えなくてはならなかった。


 そしてどうやら――にとっては、そうでもないようだ。


 走りながら、視線を巡らせる。

 視界の隅で枝がたわみ、葉が舞い散るのを見て、ディアは心中でため息を吐く――引き離せない。


 森の奥に踏み込んで少しして、ディアはその気配に気が付いた。

 僅かな、

 ただ量が少ないのではない。抑え込んで隠して、それでいて漏れ出してしまったような、そんな不自然な少なさである。

 これが【魔女】というやつかとも思ったが、それにしては少し妙だ。クロナ様から聞いた感じでは、【魔女】は殺意を隠したりはしなさそうなのだが。


 何しろ【魔女】は支配者だ。この気配はむしろ、狩人のそれである。


 首を傾げつつ駆け出したディアは、更に困惑する羽目になった。

 

 樹上を跳びながら、見えないはずの己を確りと追い掛けてくる。その速度は、全力のディアにも匹敵するような速さであった。


 ――追われるような心当たりは、無いのですが。


 巡視隊とやらには隠れて侵入しているし、【魔女】なら追うまでもなくディアを捕らえるだろう。魔術師とは共闘関係だし、リドルなら………追い付けはしない。

 盤面を見渡しても、該当しそうな駒が見当たらない。


 ――敵の居場所が解らないのは、不味いですね。


 対して敵の方は、ディアの位置を大まかには探知できるようだ。気を付けてはいるが足跡や音で、或いは他の何かで、狩人は獲物ディアを見付けている。

 問題はその精度だが、時間が立てば立つほど、正確さを増すだろう。


 ――ならば。


 森の中でそれなりに開けた広場に出たときに、ディアは覚悟を決めた。

 広場の中央で立ち止まると、


 突如隠匿を剥いだディアの姿に、姿見えぬ敵の動揺が伝わってくる。

 ディアは【染剣】マーレンを引き抜くと、凛とした声を上げた。


「私はディア! 【輝石の女王クイーン・オブ・ダイヤ】のディアです! あなたは何者ですか、姿を見せなさい!」




「………ふん。騎士のような名乗りを上げるのだな、暗殺者風情が………」


 果たして。

 低い声が、空から降ってきた。


「………暗殺者?」


 ディアは眉根を寄せ、直ぐに気が付く。

 ――この声の主は、クロナ様を狙って。


 何者か。

 勿論ディアは、クロナのことを尊敬し敬愛しているが、その人生が清廉潔白なものではないことも理解している。

 むしろ、その真逆。

 他人の血や憎悪、嫌悪を浴びせられた漆黒であると、理解している。当の本人は既に死んでいるのだろうが、殺された周囲の人間は、彼女への怒りをけして忘れはしないだろう。


 クロナ様は、恨まれている。御自身でも、理解しているのだろうけれど。


 犯人の候補は、即ちクロナ様の人生そのものといえる。見つけ出すには、未だディアは付き合いが浅い。

 そして、探す必要もない。

 何者であるにしろ、どんな事情があるにしろ――クロナ様を害すると言うのなら。此処でその生命花弁、刈り取るまでだ。


「姿を見せなさい」


 再び、ディアは告げた。


「その暗殺者風情が出来ることも出来ないのですか? それとも………姿?」

「言ってくれるな、墓穴堀。ならば、見せてやろう。ただし――!!」


 言葉が終わるか終わらないかの間に、は飛来していた。

 加速した視界の中でなお早く、突撃してくる毛むくじゃらの玉。


「っ!?」


 甲高い金属音。

 構えたマーレンと、毛玉の爪とが打ち合った音だ。


「ほう………」


 毛玉が、感嘆の声をもらした。


「我が爪を、良く止めたな。華奢な割りにはやるものだ」


 飛び退いた毛玉が2本足で着地する。

 それは、毛玉と呼ぶにはいささか筋肉質過ぎる、巌のような獣であった。

 いや、もしかしたら、獣ではないのか。

 毛で覆われた上半身や、尖った耳、大きな口は狼に似ているが、ディアの常識としては狼は喋らない。


 ――クロナ様と同じ、亜人というものでしょうか………けれど。


 どうも違う気がする。

 クロナは、人に動物が混ざったような見た目であり、どちらかというなら人の要素が強く出ている。

 それに対して目の前の敵は、獣に人を混ぜたよう。主体が獣の側にある、2本足の狼といった風体だ。


「驚いたようだな」


 ぞろりと並んだ牙を剥き出しに、獣は嗤った。その生え方は、やはり狼のそれだ。


「貴様のような小娘は知るまい。我が名はマキシム。誇り高き人狼ワーウルフだ」

「人狼………?」

「以前貴様らのような人間に、滅ぼされた種族よ。まあ、現実にはこうして、生存していたがな」


 成る程、とディアは頷いた。

 古来から、人と狼とは共存出来なかった。彼らの爪と牙と、そして誇りを折ることは文明の発展には欠かせず、そこに尊重の文字は生まれなかったのだ。

 社会はムラから始まる――ムラは狼を滅ぼすことから始まるのだ。


「………俺は世界をさ迷った。その果てに辿り着いた居場所。それを貴様らが奪ったのだ!!」

「奪った?」

、貴様らは!!」


 その時、その瞬間まで。

 ディアにとって、彼はただの【恩人の敵】に過ぎなかった。クロナを殺そうとする、クロナに恨みを持つ敵。許せるわけはないが、直接的には何の感情も持たない相手であった。

 だが、その名前は。


 ――


「………そうですか、彼の………。ならば。尚更貴方を、クロナ様に会わせるわけにはいきません」


 こいつは、己の敵だ。

 打ち倒さなければ、自分として生きられない相手。逃亡することもさせることも許されない、不倶戴天の敵だ。

 ディアがクロナの部下ディアとして生きる上で、生存を許してはならない敵だ。


「あなたの復讐は、。だからこそ、私はあなたを討ち果たす。ここで死になさい、誇り高き絶滅種!!」

「上等だ、暗殺者!!」


 赤い刃が飛び、人狼が吠える。

 互いを滅ぼすための戦いが、誰にも見られることのない、森の奥地でヒッソリと始まった――。

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