魔女のお願い

「………やれやれ。愚かなことじゃのぅ」


 虚空を見詰めたかと思ったら肩をすくめ、そして突然呟いた【森の貴婦人】を、リドルは不気味そうに眺めた。


「妾の森に攻め入るとは、ほほ、笑わせるわ馬鹿者め。まったく、若さとは時に愚行に走る毒に過ぎぬよな」

「………なぁ、ばあさん。その独り言癖? まさかこれまでずっとそうやってたわけ? うわーひくわー」

「黙れ馬鹿者」


 指1つ動かしていないのに、どこからともなく何か、棒状の物が飛んできてリドルの顔面にぶつかった。


「ぶわっ!! ………なんだこれ」

「武器が欲しいのじゃろう。用意してやったぞ?」

「へえ………」


 それは素直に有難い。

 リドルは一応、血筋ゆえ魔法を使えはするが、それほど効果が強いわけではない。あの人狼を叩きのめす以上、剣の1本でも用意しないことには心許なかった。


 飛んできた細身の剣は、どうもレイピアのような形である。使い慣れてはいないものの、素手よりは遥かにましである。動物の皮を貼った鞘は、デザインとしても中々だ。

 それに、軽い。

 リドルは、加速させた身体能力で撹乱し、隙を見て電撃で動きを止めるのが基本的な戦法だ。重苦しい武装は苦手なので、軽いのは有難い限りである。


 ――まさか、俺用にあつらえたなんてことは無い、よな?

 邪推しながら、鞘から引き抜いてみる。

 真っ直ぐ伸びた、純白の刀身。金属的な光沢は無く、代わりにすべすべとした、滑らかな乳白色が刀身を包んでいる。

 ………というか。


「これ骨じゃねえかっ!!」

「うむ、魔獣の骨だ」

「何堂々と言ってやがんだ! 俺は電撃使いなの! 金属を!! 鉄かせめて銅の剣を寄越せババア!!」

「ふ………妾は【魔女】だぞ? 鉄なぞ扱うわけがあるまい。それに――?」


 眉を寄せつつ、リドルは改めてその骨の剣を見て、そして気付いた。


「………なんだこれ、? こんなの、現代の生物が持つ魔力じゃない………?」

に仕留めた、【雷鯨プラズマホエール】の髭じゃ」

「てめえが幼い頃に………って、神話級の素材じゃねぇか。なんだよその鯨、てめえは森にいたはずだろ」

「ん? うむ、?」

「あぁ、もういい。てめえの時代の出鱈目さにいちいち突っ込んでたらキリがねぇし。とにかく、こいつは電気を扱えるんだな?」

「うむ、おまけに、【魔女わたし】への恨みが満載じゃ」


 上等、とリドルは笑う。

 多少は改善されたとはいえ、リドルの魔法の根本は他人への憎しみだ。【魔女】に打ち倒され、その血縁に扱われる無念は、リドルに更なる鋭さを与えることだろう。


「では、頼んだぞ我が孫よ。あぁいや、可愛い我が孫よ。

「言い直すんじゃねぇよ気持ち悪いな。………んで、どこに行く気だ?」

「来客のようでな。ふふ、主人ホストとしては、


 愉しげに微笑むと、【魔女】は音もなく地面を蹴り、枝葉の中に消える。

 ひどく上機嫌なそれを見送り、リドルは肩をすくめる。

 ――誰だか知らないが、ご愁傷さまだねぇ。

 な【魔女】の相手なんて、自分だったら死んでも御免だ。


 ………何となく。

 そんな無茶をする奴の顔が頭に浮かんだ気がして、リドルはため息を吐いた。

 ――他人事では、済まないかもな。






 突撃隊の編成は、キルシュの他に12名。

 キルシュと同じく馬に乗った者が3名。それぞれの両脇を剣士が固めて、もう1人、何も持っていない者が続く。

 4人一組が、3つか。


「多いと見るか、それとも………」

「多過ぎるさ。こんなの、【魔女】に生贄捧げるようなもんだよ」


 私は、枝の上から彼らの様子を窺う。

 被っていた【蛇の目頭巾】はバグの中に戻していた。枝の上からなら彼らに見付かる心配は無いし、【魔女】相手にはそもそも着ていても無駄だ。

 無駄なものなら、脱ぐに限る。


「【魔女】相手なんだ、何人で来ようが気に入られる時は気に入られるし、門前払いならそうなるさ」

「なるほどねぇ。ギャハハ、なんなら1人でノックした方が可能性高ぇんじゃねぇの?」

「だろうね。しかし………あの3人、何の役を?」


 剣も持たず、大した荷物も………背中に籠を背負っているくらいか。

 何だろう。私は巡視隊や、兵の定石は良く知らないのだ。


「あの籠………何が入ってる?」

「良く見えないねぇ。しかし、ギャハハ、絶対いいもんじゃあねぇぞ?」


 だろうね。

 私はため息を吐く。【魔女】の森に突入なんて真似をする奴らの用意した道具だ、事態を良くしてはくれないだろう。


 ドスン、と乱雑に置かれた籠に巡視官はしゃがみこみ、


 直ぐにもくもくと立ち上る白煙が、風に乗って森へと流れ込む。


「………何あれ」

「お前さんにわからなきゃ、俺にもわからねぇさ!! しかし、俺なら毒だと思うね。木ごと森を枯らすようなヤツ!!」

「考えがエグい………」


 それに毒なら、装備が軽すぎる。いかに風上にいるとはいえ、少なくとも貴族の坊っちゃんはマスクくらいしそうなものだが。

 それに、臭いも漂っては来ない。私はそれなりに鼻が良い方だが、単なる煙の臭いしかしてこない。

 いや、少し魚臭いか?


「魚? ………あぁ、そういやどっかの島国で、そんな魔除けがあったような………」

「ふふ、鰯じゃろう? 

「………っ!!」


 突如として沸いた、背後からの聞き慣れない声。

 ディアよりも幼く、あどけない子どもの声が、。それだけで、ただの子供という可能性は無惨にも潰える。


 同時にのし掛かる、圧倒的な魔力。

 息が苦しい。

 振り返ることも出来ない圧力は、枝ごと折れて叩き落とされるのではないかと思う程だ。


 精神的な威圧が、物理的にも私を押し潰さんとする、この現象。

 何より恐ろしいのは――

 ちょっとしたおふざけ、稚児の駄々。

 まるっきり、本気ではないという事実だ。


「………【森の貴婦人】」

「如何にも。ふむ、その名を知って踏み込むとは、蛮勇か、それとも愚者か?」


 声は幼子のものだが、含む気配は間違いなく老練な賢人のそれ。

 全身を刺す【魔女】の気配に、手のひらがじっとりと汗ばむ。


 最悪だ。この距離で、【魔女】に背後を取られている。

 最悪。【魔女】がここに居るということは、ディアは自由フリーということ。

 ここで、私が【魔女】に交渉すれば、まだ何とかなる。問題は――喉が動かないこと。威圧された舌は、震えるばかりで言葉を紡ごうとしない。


 喋らなければと思えば思うほど、私は言葉を無くしていく。

 このままでは、ただ死ぬ。


「ギャハハ!!」


 その時。

 私の腰から、馬鹿みたいな笑い声が響いた。


「ようよう何だよ、魔女っていうからボインボインと思ったら、魔女っ子の方かよ! 悪くねぇけど、ギャハハ、ちょっと残念だぜ!!」

「………バグ」

「ほらほらお前さん、お喋りの時間だぜ? 気楽に話そうじゃねぇか!!」


 羽よりも軽薄で、調子の良い相棒の声が、私の緊張を解していく。

 動く。

 振り返ると、森の色をしたワンピースに身を包んだ小さい子が、金の瞳を好奇心に輝かせていた。


「………妙な鞄じゃの、バグ、と言うたか?」

「私の相棒だ、【森の貴婦人】。仲良くしたいなら紹介するが、おすすめはしないぞ」

「ふむ、良い仲のようじゃな、羨ましい」


 くすくすと微笑む少女の態度からは、最早威圧を感じない。単なる、可愛らしい幼子だ。

 もちろん、油断はできないが。

 私は慎重に、言葉を選びながら舌に乗せていく。


「………少し、探し人があってね。貴女の森に、入り込んでいないかな?」

「ふむ、探し【人】か? それとも【狼】かのぅ?」

「狼? ………巡視隊の護送車を、襲ったヤツがいたはずだが」

「ふふ。いたかもしれんのぅ? それで? 妾に見付けて欲しいのか?」


 私は、首を振る。【魔女】との交渉での鉄則だ――


「探したい。入る許可をくれないか?」

「ふむ………」


 幼い【魔女】が、何事か考え込むように顎に手を当てる。

 あくまでも、考え込むだ。【魔女】の金色の瞳には、既に計画が浮かんでいる。


「ふむ、妾としても、客人をもてなすのはやぶさかではないしのぅ。では、妾の住処に案内してやろうか。………


 やはり、わざとらしく、【魔女】が何か思い付いた手を叩く。


「しかし我が家が、こうも魚臭くてはな………あー、どうにかあの煙、収まればなー」

「………」


 私は深くため息を吐いた。

 果たしてどちらの方が面倒だったか――【魔女】と戦うのと、その依頼を果たすのとでは。

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