そして狩りが始まる
私が根城にしている街から、歩いて半日ほどのところに、その森はある。
広大で雄大な自然は、遠くから見ると緑の要塞のようにも見えた。まあ、この意見には私の内情が深く影響してはいるが。
王都へ向かうためにはここを通るか、或いは大きく回り道をして、海岸沿いに走る街道を行く必要がある。
街道を行くと、王都までは馬でさえ2週間は掛かる。その上、森には居られないような悪党も現れることがままあり、それほど安全なルートとは言えない。
しかし、無策で森を突っ切るよりは遥かに安全だろう。
森を抜けて無事で済むのは、基本的には3種類の乗り物だけだ――【魔女避け】を施した乗り合い馬車、ケンタウルスの荷馬車、そして、巡視隊の護送馬車である。
他にも、竪琴の名手が歩きながら奏でた子守唄が、あまりに見事で森が眠ってしまい、無事に通れたという逸話があるが、まああまり参考にはならない。
この中で私たちが使えるとしたら、【魔女避け】だけだろう。
私は相棒、喋り鞄のバグを叩く。
「お前の中に、【魔女避け】は無いの?」
「あると思うのかい? 生憎この中には、
「だろうね」
馬を使うまでもない、私とディアは歩いて森の入り口に向かう。
バグは喋る他に、【ありとあらゆる武器を吐き出す】という能力を持ってはいるが、反面武器以外は私が入れない限りは持っていない。 そして、私も夢や希望を入れた覚えはなかった。
ディアが何か紙袋を入れていたが………中身は聞いていない。多分、彼女にとっての夢や希望だろう。
マスターに作ってもらったハムサンドを食べながら、ディアが首を傾げた。
「その、【魔女避け】とは何ですか?」
「珠とか箱とかあるんだけどね、一番多いのは、【魔女の瓶】かな」
「瓶? 薬品ですか?」
バグの中に手を突っ込み、適当な大きさの小瓶を取り出す。
無色透明な液体の入ったそれは、私が詰めた飲み水だ。爆薬ではない、筈だ。
「このくらいの瓶に、魔女の犠牲者の爪や髪を入れる」
「………」
「地面に埋めて使ったり、吊るしたり、火にくべて破裂させると魔女が死ぬなんて言われてるが………まあ、基本的には避けさせる程度だね」
「そんなものぶら下げてたら、誰だって避けるとは思いますが………」
それが良い――というよりも、それしかないと言うべきか。
残念ながら、【魔女】に対して確定的に有効な道具は存在しない。そんなものがあったなら、魔術師か騎士のどちらかがとっくに【魔女】を滅ぼしているだろう。
彼女らは、感情的な嵐だ。
避けるには近付かないか、近付きたくないと思ってもらうしかない。
「ヒヒッ、だから、夢や希望って言ったろ? 『これさえあれば助かる』なんて題目、精神安定以外には何の価値もねぇのさ!!」
いささか穿ってはいるが、概ね間違いない。
この世に絶対の武器も防具もない。臨機応変、どんなものでもまるで役に立たない時はあるし、その逆も有り得るのだ。
がらくたを詰めた箱が、【魔女】に効くことだってあるし、効かないこともまあある。
「まあ、仕方がない。私はラヴィだし、ディアも魔力を見せれば普通の人間ではないと解るはずだし、何とかなると信じよう」
「行き当たりばったりだな?」
「バグ、お前にも言っておくけど。【魔女】と付き合うのに必要なものはただ1つ………『諦め』だけだよ」
彼女らは、究極の気分屋だ。
何を考え、求め、好み嫌うか。本人にさえ、もしかしたら解らないかもしれないのだから。
森の入り口にたどり着いて、私はため息を吐いた。
見上げる木々は、私が全力で跳ねても届かないくらい高い。
相当の樹齢なのだろう。森の主のご機嫌を損ねないために、木こりが気を使って伐った結果だ。
恐れとは、うまく使えばこのように、守るための武器ともなる。もしもすべての森に【魔女】がいたら、無意味な森林伐採は起こらないだろう。
程ほどの領分を守って、共に生きられるのではないか。自然との共生は、ある程度進んだ文明に共通する課題である。自然への畏れは、その解決手段の1つとなり得る。
そんな私の感傷は、視線を下へと下ろすに連れて掻き消される。
森を囲む、巡視隊の姿である。
掲げる剣が、槍が、既に高い陽射しを跳ね返して、無遠慮に輝いている。
「さて、どうする? ここを突破しないと、中には入れないぜ?」
「話し合って、通してはいただけないでしょうかね?」
「無理だよ。彼らに犯人を引き渡す訳にはいかないんだからね」
「では………斬り込みますか?」
そういうディアは、赤いマントを羽織って既に臨戦態勢である。
マーレンに赤い膜を張るディアを、私は慌てて止めた。
「馬鹿、無茶するな! 騒ぎを大きくしたら、【魔女】にまで見付かる」
「では、どうしますか?」
「大丈夫。ベルフェからいいものを借りてある。これなら誰にも見付からずに森に入れるよ」
私はバグから用意しておいた小道具を取り出しつつ、祈るように呟く。
「もしかしたら襲撃者にもばれない内に、片を付けられるかもね」
「………来た」
森の奥、クロナがどうやっても届きそうにないと思ったほど高い樹上で、マキシムは短く呟いた。
風上から流れてくる匂いは、主の家に残っていた嗅ぎ慣れぬ匂い。獣と、少女の匂いだ。
亜人と人間のコンビかと、マキシムは当たりをつける。自分の襲撃を知り、始末をつけに来たのだろう。
だが――マキシムはニヤリと笑いながら首を振る。
狩に来るには、少々無作法だ。わざわざ匂いを撒き散らしながら、風上から森に入るなど素人のやり方である。
暗殺者だかなんだか知らないが、森には不慣れらしい。マキシムは鼻を動かし、更に居場所を探り始める。
先ずは亜人。得てして身体能力に優れた亜人を仕留めれば、ただの人間は脅威ではない。
………この時点で、互いの誤差は同程度。
クロナは
マキシムは
そして、両者共に無視していた事象が1つ。
「………チッ。めんどくせー」
誰もが死んでいると予想するリドルが、静かにマキシムを追っていたこと。
誤算が積み重なる。
歪み曲がった塔の果てで、己れが望むものを手にするのは、果たしてどちらか。
役者は揃い、幕は開く――戦いの時が来る。
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