唸る暗殺者
「………非常に不味い事態なんですよ、クロナさん」
口から出た内容とは裏腹、スーツ姿の男の顔には柔和な笑みが浮かんでいた。
不味いのか嬉しいのかはっきりしろと言い掛けて、私、クロナは口をつぐんだ。不味いから嬉しいのかもしれないからだ。
夜の始り程度の浅い時間、いつものバーで呑み始めた私の隣に、男は音もなく現れたのだ。
バーは古く、床板はどれ程慎重に歩いても軋んだ声を上げるのだが――男の登場は、全くの無音であった。
その手段など想像出来ないが、しかし、私は軽く眉を上げただけで済ます。
何故なら、男は【魔術師】。
どれだけ常識はずれであろうとも、彼らがやるのなら納得できる。
魔術師ベルフェは、微笑みながらため息を吐いた。
「不味い事態です」
「繰り返すなよ、聞き取れたさ」
私の目の前には、確かにスコッチウイスキーのロックが鎮座しているが、そこまで酔ってはいない――そもそも、まだ呑んでいないのだ。
僅かに汗を掻き始めたグラスをチラリと見て、ベルフェが肩をすくめた。
「すみません、僕としたことが。乾杯をしていませんでしたね」
「何にだ? 最悪を肴にするほど、私は年老いてはいないんだがな」
「そうですね………では、貴女の新たな相棒の御活躍に、ではどうです? ねぇ、ディアさん?」
ベルフェが私の左隣を覗き込む。
そこに座っているのは、とある事情で私の部下になった、1人の少女だ。
純白のブラウスに、真っ赤なスカート。長い金髪を三編みに纏めた、端整な顔立ちの美少女である。
ディア。可憐な見た目と、その正反対の実力を持つ少女騎士である。
従者らしく無言でブーツをぶらつかせていた彼女は、水を向けられちょこんと可愛らしく首を傾げた。
「活躍、ですか? 大したことはしていませんけれど」
「………今のは皮肉だよ、ディア」
「脾肉………? どこの肉でしょうか、ステーキですかシチューですか? はっ、もしや、バグ様から聞いた噂のギョーザとかいうものでは?!」
「………反省しろよ、ベルフェ」
「………えぇ、僕が悪かったです」
ため息交じりにグラスをぶつけると、ベルフェはギムレットを一息に飲み干した。
彼にしては珍しく、雑な飲み方である。
よく見ると、笑みの形に細められた目の下には、くっきりとクマが出来ていた。
案外本当に、不味い事態なのかもしれない。私は非常に厭な気分で、グラスを口に運ぶ。琥珀色の液体で喉を潤しつつ、私は口を開いた。
「まあ詰り。先日の活躍とやらが問題だったわけか」
「えぇ。クロナさんファンとしては、誠に遺憾ながらね」
思い当たる節は有る。思い当たりすぎて、なるべく考えないようにしてきたことだ。
私は、椅子の背もたれに挟んだ相棒の存在を意識する。内面的にも実際にも軽く薄っぺらい彼は、今はのんびりおやすみ中である。
何かあれば、叩き起こす必要がある。
「………件の、
「無害では無かったろう」
「しかし、無実ではありました。我々への造反も考えず、真面目に研究に勤しんで居たのですよ」
「まともでは無かったろうさ。人の死を扱う
私が首をはねて、魂も吹き飛ばしたのは、【
その悲願がどこに向いていたかは知らないが、消費される人の死に見合うとは思えない。
ベルフェは、首を振る。当たり前だ、奴は魔術師――彼にとってもまた、人は素材の一部に過ぎない。
「節制を保ってさえいれば、人の死は我々にとって関心事ではありません。それとも――人でなく、羊や兎ならご満足でしたか?」
揶揄するようなベルフェの視線が、私の頭上へ向かう。
そこにあるのは、長く伸びた耳だ――兎のような、と言っても良い。
私は、兎に似た特徴を持つ
私はため息を吐いた。
「………本気でヤバいらしいな。お前がそんな、安い挑発をするなんてな」
「………すみません、そんなことをしたいわけでは無いのですが………」
「良いさ、別に気にしてない」
大したことではない――人間に「この人間め、亜人でもないくせに」なんて言って傷付く奴が居るだろうか。
私はヒトとは違う。
それだけだ。
ベルフェは、安堵の息をこぼす。こいつがこれ程内心を表に出すのは、本当に珍しい。
それは同時に、事態のろくでもなさを示してもいる。
「………問題は、それが『巡視官の手で行われた』ということです。巡視官の策略で魔術師が死んだのなら、巡視隊が殺したも同然ですからね」
「それで、正面衝突か?」
「最悪の場合はね」
ベルフェは深く長くため息を吐いた。
カクテルグラスの浅緑色をゆらゆらと揺らしながら、憂鬱そうな眼で水面を眺める。
「………我々には、指導者が5人居ます。内、1人が好戦的に過ぎるのです」
「あと4人居るじゃないか、そいつらが反対すれば」
「残りは『面白そうだから適当に野次だけ飛ばそう』派です」
「………」
最低だ。
そんなので大丈夫か、
「ファフニル様を脅してどうにか反対させていますが、いつまで保つか………出来るだけ早く、事態の収拾を図る必要があります」
「犯人を、巡視隊から引き取れば良いのか?」
「その辺の交渉もしていたのですが………不味いことに、彼は行方不明です」
ガタッと音を立てて、ディアが立ち上がる。
犯人を取り押さえたのは、彼女だ。その際に何かあったのか………詳しくは聞いていないが、思うところはあるのだろう。王都への護送と聞いて、肩を落としていたし。
ベルフェはチラリとディアを見て、それから話を続ける。
「我々は脱走を疑いましたが、巡視隊は逆に、我々が復讐のためにかっさらったと思っています」
「………そんなことを言い出したら、水掛け論だな」
「えぇ。掛け合うのが水であれば無害ですが、我々も彼らも、それほど優しくは無い。このままでは、非常に不味い。しかも」
「まだなにか?」
「場所が悪い――【森の貴婦人】、彼女の森なのですよ」
私は、口に含んだウイスキーを吐き出した。
「冗談だろ? あそこで、何処の馬鹿が襲撃なんかするんだよ」
いわゆる【魔女】は、基本的には引きこもり。自分の領土から出ることは滅多にない。
放っておけば良いのだが、そのお膝元で騒ぎが起きれば、【魔女】が機嫌良く見過ごす訳がない。
「ならもう無理だ。襲撃者が誰で、リドルが逃げたのでも連れ去られたのでも、どっちも等しく森の餌だ」
「ですよねぇ………そうすると、証が無い。手打ちのしようがないのですよ」
「………多分死体も出ないぞ?」
「何故ですか?」
沈鬱なベルフェと私の様子に、ディアが首を傾げた。
そうか、ディアは【魔女】を知らないのか。
「………【魔女】は、森の中では正に無敵。如何なる者も、樹に変えられてしまうのさ」
「そんな………」
「犯人、リドル君は君の知り合いだったね。残念だけど………」
ベルフェも哀しげに首を振る。
それも仕方がない。【魔女】の森に入ったら最後、【森の貴婦人】の機嫌を害して死ぬか――気に入られて死ぬかだ。
未来は無い。
ディアも、肩を落とす。
「そうですか………残念です」
「あぁ………」
「やっと家族の下に帰れたのに………」
「そうだね………え?」
家族、とはどういうことだ。
目を瞬かせる私とベルフェに、ディアもぱちぱちと瞬きした。
その唇は、もぐもぐと何かを咀嚼している――いつものように。
「あれ? 言いませんでしたか? リドルさんは、【魔女】の孫ですよ?」
その唇から吐き出された、常ならざる言葉。
その内容に絶叫した私たちを、老練のマスターはグラスを磨きながら眺める。
無言で、無表情で――愉しげに。
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