怒鳴る魔剣士

 ――【魔女】。

 遥か昔、神々と同等の旧き時代から、彼女は在った。

 天使や悪魔、竜や妖精と並び立つ、幻想界の来賓ファンタジスタ

 今でこそその意味は薄れ、邪神や悪魔のしもべとされることが多いが、しかし。

 その原初の存在は、しもべどころかその同位でさえあったのだ。


 そして、今。

 目の前の【魔女】は、確実にそうした原初オリジンの存在だった。


「【森の貴婦人フォレスト・ミストレス】………俺の、祖母さん?」

「その呼び方はいささか傷付くな、坊や」


 面白そうに肩を震わせながら、彼女は泰然自若として在った。


 自然、ごくりと喉が鳴る。


 填められた【妖精殺し】のお陰で、リドルの魔術的な素養は殆どゼロにまで抑えられている。だが、それでも、目の前の存在から感じるのは桁外れの魔力だ。

 生きている生身の人間だと、思えない。

 例えるなら、魔力そのものが何かの間違いで――或いは悪ふざけで――ヒトの形を採ったような、常識はずれの気配である。


 それが、自分を『孫』と呼ぶ。


「現代に、【魔女】が………」

「信じられぬか? ならば、


 パチンと、乾いた音が森に響く。【森の貴婦人フォレスト・ミストレス】が指を弾いたのだと気が付いた頃には、

 リドルの両手を戒めていた【妖精殺し】が、周囲を囲む鉄格子が、全て消え失せていたのだ。

 跡に残ったのは、真っ白な灰。


 恐怖が、背筋をぞろりと舐め上げた。


 刻まれた【魔術式コード】によって魔術的な力の一切を封じ込める【妖精殺し】は、人狼の襲撃にさえ耐えた程、素材としても超一級品だ。

 ヒトが神秘に対抗すべく造り上げた、最先端の技術。

 それが、これほど簡単に。

 長年積み上げたものは、最古に容易く崩されるのか。


 愕然としながら、しかし、リドルの瞳に浮かんだのは、やはり疑念だった。


「疑い深いのぅ。そこは眼を輝かせ、拍手喝采鳴り響かせぬか童」


 そう言われても、とリドルはじろじろと眺める――【森の貴婦人フォレスト・ミストレス】の艶姿を。


 それは、姿

 リドルに輪を掛けて年若く見え、森染めのワンピースに包まれた肢体は折れそうな程細く儚い。

 地面につくほど長い金髪と、瞳だけが、ヒトならざる神秘を証明している。


 か弱く、庇護されるべき幼さから感じる、絶望的なまでの魔力の差。

 認識を歪められるような、矛盾の塊。

 それこそが、【魔女】。


「さて、妾が【魔女】だと理解してもらったところで………

「………断る」

「おやおや、未だ何も言うておらぬぞ?」

「てめえが【魔女】だと理解しただけで、断るには充分だろうが」


 願いを叶えて、代償を。【魔女】の取引は、平等さからは縁遠い。

 子供が欲しいと願う夫婦に、などと持ち掛けるような生き物だ。

 彼女らの代償は、いつだって願う者の破滅、願望の破壊だ。取引なんて、死んでも御免である。


 実に楽しそうに、【貴婦人】はやれやれと肩をすくめた。


「随分な口の聞き方じゃな、坊や。折角助けてやったというのに」

「頼んだ覚えはねぇよ、祖母さん。………言っとくがな、俺はあんたが、? それこそ、実際に手を下した奴らよりもな」

「それは、仕方ない。あれは、ヒトとして生きたかったのだろうさ。その結果、ヒトとして死ぬとしてもな」


 だとしたら。

 その子である俺もまた、ヒトとして死ぬだけだ。


「やれやれ、困ったのぅ。確かに妾が勝手にやったこと、実際に助かったとしてもそれでは恩を着せられぬな」

「当たり前だろ」

………?」

「っ!!」


 倒れ、血を流すラデリン。

 あれからピクリともしないが、まさか――そこまで深傷なのか?


「ははっ! 良い顔じゃな、坊や」

「っ、てめえ………!!」

「言うておくがな。妾は【魔女】。願われなければ何もせぬし――。ヒトの命くらい、容易く拾い上げてやろう」


 ニヤニヤと、幼い顔に悪魔のような笑みを浮かべながら、【貴婦人】は瞳を輝かせる。

 金色の光に照らされながら、リドルはぎりぎりと唇を噛み締める。


「そらそら、どうする? 全てお前次第じゃぞ、リドル。。………そいつが生きている内にな?」

「………ったれ」

「うん? いやいやすまぬなよう聞こえなんだ! ははは、何せ婆故な、ははは! もう少し大きな声で、この森に響くように朗々と告げてくれ我が愛しの孫よ!!」

「くそったれ!! ばばあてめえ、録な死に方しねぇからな!!」


 嬉しそうに楽しそうに嗤う【魔女】の足元で森が蠢き、ラデリンを包む。


「何をすればいい、とっと言いやがれ」

「おやおや。妾が愛し子に条件を出すと? ふむ、そういうつもりではないが、そういえば最近森にたちの悪い狼が居着いてな。腕の良い狩人が欲しいと思っておった――ヤツが居なくなれば、まあ妾も気分が良くなるじゃろうなぁ」

「………例の人狼か。良いだろう、奴には俺も、借りがあるからな」

「おぉ、そうか! いやいや、優しい孫に恵まれてババは嬉しいのぅ」

「うるせえ! さっさと治せよばばあ!! うっかり死んだら許さねぇぞ!!」


 吐き捨てながら、リドルは立ち上がる。

 人狼に転がされた身体の傷は、もう跡形もない――身体に流れる【魔女】の血が、力を増しているのをリドルは感じていた。


 これなら、たかが狼狩りなど容易い。


「………やれやれ、こういうのからドロップアウトしたつもりだったんだけどなぁ………ったく、先輩、貸し1つっすね」


 貸し1つだ――借りは、幾つになるか解らないが。

 返してもらうし、。そのためには、死んでも生きてもらわなければ。

 樹の繭に包まれたラデリンに軽く微笑むと、リドルは【魔女】に向き直り、獰猛に嗤う。


「………武器を寄越せ、くそったれ。その代わり、獲物は全部くれてやる。血も肉も骨も――魂もな」


 森の奥で、【魔女】の猟犬が牙を剥く。


 恩返しのためだ――死ね、狼。

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