第8話 「領主アナライ」
ここ最近、やっと慣れ始めた匂いがする。ハウスダストとは無縁の、他人の家の布団のような匂い。瞼まぶたに感じるわずかな光に刺激される。
腹部がかすかに冷えるのか、寒気を感じて布団を手繰り寄せる。だが、それは馴染み深い布団ではなく薄い毛布で、布団を求めるように手が二、三度宙を掻いていると、ハッとしたように意識が覚醒する。
覚醒したての鈍い筋肉に鞭を打ち、上体を起こし、首を周囲にめぐらせる。いつの間にか、あの場で気を失ったらしい。
服がぐっしょりと湿り気を帯びていることに気づき、周囲の気候を確認する。
「当たり前か」
外は暗闇広がる深夜であるが、おそらく気温は二十度以上あり、窓から見える曇天と夕立が来たかのようなじめじめとした湿気。
時刻は現在夜の十一時。気絶をしたと思われる時刻が九時頃だったはずなので、睡眠時間、もとい気絶していた時間は二時間程度だろうか。セイレーンの魔法のおかげか、体の疲労は完全に取れているため、すぐに立ち上がることが出来た。
わずか数時間前までは狭い空間と思えた宿の一室が、異様に広く感じる――肯定、広いのだ。とてつもなく。
「どこだよ、ここ」
ハルトの視界に映った景色は、真っ白の空間で、ベッドやタンス、その他一通りの家具が揃っている。
「目覚められましたか。ご主人様」
白い壁に縁取られた扉の前に、少女が立っている。
ハルトが気絶する前に見た、水色の紙を持つ少女。
「あぁセイレーン、悪いな、急に気絶して」
「何を仰いますか。ご主人様はあの男との戦闘で磨耗していたではないですか」
セイレーンは、あの時のようなふざけた態度ではなく、真剣な顔をつきで話している。ハルト自身、自分ではわからないのだが、やはりあの時の光景が脳に焼きついているのだろうか。
「そうか、まぁありがとうな」
ただの数日、されど数日もの間、ハルトは彼らとの日常に喜びと救いを感じていた。ハルトにとっての『救い』を救うために、あの奇人に立ち向かい、負けた。厳密には負けたのではないが、あの場でエリアスやセイレーンが現れていなければ、もしかしたらという可能性があった。
「んもぅ! 感謝の言葉などいりませんっ。わたくしはご主人様のためのセイちゃん。記憶が無くなろうと、貧弱な身体になろうとも、この身はご主人様の物。ボロ雑巾のように、ゴミのように扱っていただいても私は構いません! むしろそっちの方が……」
最後の言葉だけは耳に入れないようにし、ハルトは備え付けてあったソファに座る。
「ひ、貧弱……。あぁ、えと、それで、ここはどこなんだ?」
見たこともない部屋。おそらく宿屋ではない部屋の一室。
「私が先日、強奪……コホン、頂いた家です。富裕層の方が献上してくださいました」
「あー、……そう」
――同じ悪魔だからってのもあるんだろうけど、この子もエリアスと同類か。
「はい」
とびきりスマイルを炸裂させると、ハルトはあはは、と薄ら笑いを浮かべる他ない。
この空間に二人はきつい、とハルトは感じながらも、目の前にある少女の笑顔を無碍むげにはできないというか、無視することができないというか、そんな感情がうごめいている自分の頭を掻きまわす。
次の瞬間――
窓が開き、影が飛び込んでくる。
「ただいま戻りました、ハルト様」
見れば、銀髪に翠色の瞳。セイレーンと同じハルトの(厳密言えば魔王の)部下であるエリアスが、部屋に入ってきていた。
「おかえり、エリアス。あと玄関から入ってきなさい」
「申し訳ございませんっ」
言って、エリアスは窓から離れ、数秒経たぬうちに玄関から帰って来た。
「ハルト様、あの後あの奇人が追加で洗脳した人間がいないか捜索をしていましたが、それらはおりませんでした。
そしてもう一つ、帰宅の際に領主の書記なる者からの通達があります。『このたび、バーミルエリア襲撃に関しての報告を』とのことです。おそらく、あのサエラという男により操られていた騎士たちのことを、聞かれるやも知れません」
「あぁ、わかった」
すると、今まで黙っていた水色の髪の少女バカが爆発する。
「エーーーーリーーーーちゃぁぁぁぁん!!」
ハルトの眼前を飛び、エリアスに抱きつく水色の髪の少女。
「な!? やめなさい、セイちゃ……セイレーン!」
抱きつかれたエリアスは、最初は抵抗していたが、徐々に諦めるように抵抗を止めていった。対するセイレーンは、エリアスに抱きつき、頬ずり、頬キス、胸に顔をうずめるの三連コンボ。やはりこっちのキャラが常設なのだろう。
――そういえば、いつかエリアスが言っていたな。自分ことを「エリちゃん」と呼ぶ存在がいると。それがこのセイレーンなんだな。
目の前で二人の絡みを見ているハルトとしては、仲の良い二人で良かったと思える。様々なゲームをプレイしてきたハルトの感性からすると、最強集団の中には殺し合いをするほど仲が悪い奴等がいるものだ。
犬猿の仲の者達がいないといことが救いというものだ。それに、微妙な仲の二人が揃われても、深刻な雰囲気になりそうでならないという難点ばかりの空間も良しと思わない。
そんな二人の光景を微笑ましく見守っていると、エリアスがハッとしたような表情で我に返る。
「セイレーン、魔王様の御前で何をしているのですか! この……ん、ちょ、は! な! れ! な! さい!」
「だってあの時は深刻な空気だったし……ふんぎゅっ」
エリアスが放った、セイレーンの頭部への一撃は、ハルトが食らったのであれば頭蓋骨から背骨にかけて砕け散るであろう威力だったろう。悪魔の耐久力が異常なのは、ハルトもなんとなく察していたが、「ふんぎゅっ」で済むということは、やはりそういうことなのだろう。
「そういや、エリアス。宿で寝かせてある女の子どうした?」
完全に忘れていたが、夕方、助けを求めた少女を、ハルトはそまま宿に保護していたのだ。
「あの者ではあれば、宿にはすでにおりませんでした。それともう一つ、拠点をこの家にしようかと思いまして、宿にはすでに金を支払い、荷物の運搬は終了しております」
ということは、体調を戻し出て行ったということだろう。
行方がわからないのはハルトとしては心配だが、彼女の自身の意思を尊重するしかない。
「わかった。とりあえず、俺もまだ寝たりないし、ちょっと寝るわ」
ハルトはわざとらしく欠伸をする。それを見ていた二人は顔を合わせると、さっと立ち上がる。
「ハルト様の眼前での痴態、申し訳ありませんでした。ごゆっくりお休みくださいませ」
深々と頭を下げ、二人は部屋から出て行く。セイレーンに関しては「ご主人様ァ!」と手をこちらに伸ばし、何かの洋画で見たことがあるような構図を取り、エリアスによって部屋の外へ吸い込まれていった。
まったく芸の多彩な奴、とハルトはこぼし、ベッドへ寝転がる。
「あの男は間違いなく俺の命を狙ってくる。それと、七つの大罪とかいう奴等も」
『守るもの』がないということは、後に何かを失うこともなく、決して『勝負に負ける』ということはない。
今のハルトにとって、『守るもの』はこの日常。だがその日常は、欠けた硝子のように綻びを見せている。
だから次はない。ハルト自身にも『守るもの』がある以上、負けるわけにはいかない。彼女たち――エリアスやセイレーンに助力を願えば、あの奇人を殺すことが出来るだろう。
だがそれはダメだ。それはハルトのプライドや信念を曲げることになるし、なによりあの奇人よりも強い悪魔がハルトの命を狙っているとなれば、それに応戦できる戦力を温存しておかなければならない。
「だから――あいつは俺が倒す」
気絶していたとはいえ、ベッドに寝転がれば自然と眠気は来るもの。
ウトウトとしてきた目をこすり、布団を被り、眠りにつく。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ハルトは朝に弱い。
日本では、ハルトの言う早朝とは昼を過ぎた時間帯のことで、深夜というのは日が登り始めた頃を言う。ハルトは、異世界に来ても生活習慣を改めない。というより、改めることが出来ないのだが。まずアラームが無い。時間の感覚は地球と同じなのだが、ハルトの身体が、覚醒する時間帯を決めてしまっている所為せいか、通常の時間に起きることが出来ない。
そして現在、正午。
昼の日差しが差し込む、その一室で二度寝から起床をする。いつもならもう少し微睡まどろみに意識を預けるのだが、それを阻止するかのように、何かが手に触れた。
ふにんふにん。
――柔らかい、何か。……こ、これは――!
無意識に、それを撫でるように揉む。謎の柔物を手元で弄んでいると、ハルトの横から「んっ」という甘ったるい嬌声が聞こえる。ハルト自信、その柔らかい物体の正体がわからないわけではない。
ゆっくりと目を開ける。
横向きで寝ていたハルトの目の前に、全裸の美少女が寝ていた。昼の日差しを浴びて、輝く銀髪。雪花のように白く透き通った肌。翡翠色の瞳は、今は瞼まぶたに覆われており、滑らかに描く肌理きめ細やかな肢体は、少女のようで淑女を思わせる。
そして今現在、ハルトの手中に収まっている、ようで収まっていない大きな膨らみ。判っていながらも、硬直してソレから手を離すことが出来ない。
「ご主人様、何をしているんですか?」
ハルトの背後から聞こえる声。ハルトのベッドに潜り込んでいるがエリアスということを知らないであろう少女は、何知らぬ声音で尋ねてくる。
「え゛!? い、いやーおっぱいは偉大だなーなんつって」
「え?」
と、セイレーンは一度、自分の断崖絶壁の胸部をさすった後、ベッドを覗き込むように毛布を捲ろうとする。
「ちょ、ちょっと待て」
捲めくられそうになる毛布を、鉄壁の思いでそれを阻止し、さらに毛布の壁を頑丈にする。
「どうしたんです?」
「今、俺下半身全裸だからさ、あんまり覗き込まれると――」
「なお良しでございます!」
「よくねぇよ!」
盛大なツッコミが炸裂し、その声の所為で、隣に寝ていたエリアスが起床する。
「……うん」と寝ぼけながらの起床第一声を放つと同時に、ハルトとセイレーンも固まる。魔王サタンと慕う男のベッドから全裸の臣下が顔を出したのだから。
「……セイ、レーンさん?」
ハルトは笑顔を引きつらせながら、セイレーンの方へ顔を向ける。案の定、セイレーンは怒っていた。だが、その怒りの矛先がエリアスなのだ。普通であれば、ハルト自信が怒られるのが当たり前なのだが、怒られたのはエリアスのほう。
「エリアス」
いつもの「エリちゃん」呼びではなく、彼女の真名を言葉にするということは、それなりの真剣な案件なのだろうか。そして声音が冷たく、恐ろしい。
「セイレーンですか、どうしました?」
エリアスは寝起きは弱いのだろう。眠そうに瞼まぶたをこすり、小さく欠伸あくびをしながら体を起こす。
「どうしたもこうしたもない! 『ご主人様と初夜を迎えるのは誰か』っていうのやつ、まだ決着付いてなかったでしょうに! エキドナも怒りますよ!」
「あの蛇女風情、私の槍で削ぎ落としてくれる」
エリアスとセイレーン、その間に挟まっているハルトの喉から「ひぇ」とこぼれる。これが女の戦いなのか。
――怖いよぉ。
「エリアス」
今度はハルトが問う。
「お前ほんとになにしてたんだ?」
「ハルト様が寂しそうでしたので、抱き枕にでもなれればとでも思い、全裸でベッドの中へ」
「何やってんだよ」
セイレーンもたまらず苦笑する。
そんな絶え間の無い会話が進む。あの奇人との戦闘から翌日。魔王の下で生きてきたエリアスたちにとっては、あのレベルの惨劇は日常茶飯事だったのか。
帰宅した瞬間、ハルトの手足に溜まっていた疲労が一気に体へ押し寄せた時は死ぬのかと錯覚したほどだ。それに対し、エリアスとセイレーンは余裕といった表情で、世間話のようなものに花を咲かせていた。
もうあんな面倒ごとに巻き込まれるのは御免だが、ハルトの立ち位置が『魔王』である以上は、ハルトの身は常に危険に晒さらされていると言ってもいいだろう。だからこそ、今は力をつけなければならない。
「さぁ今日も一日頑張ろうか。ファイトーイッパツ!」
両手を天に突き出し、その勢いで立ち上がる。その様子を見ていたエリアスとセイレーンは、「どうしたのか」といった表情でハルトを見ている。
すると、家の扉がノックされる。
「っと、俺が出るよ」
セイレーンが玄関へ向かうとするのを制止し、ハルトは玄関へ足を運ぶ。
扉に手をかけ、ゆっくりと開くとそこには、おそらく富裕層であろう綺麗な身だしなみの男が立っていた。
「どちら様?」
「私は領主アナライ・ララの秘書を勤めさせていただいております、サリソンと申します。昨夜、バーミルエリアが騎士たちに襲撃された後、その場に集まった人たちが全員殺害されたという情報を知り、領主の命であなた様の家に来た次第です」
「アンタ……探偵にでもなればいいじゃないか?」
じと目で言うハルトに、サリソンは苦笑する。
さすがに、情報なしでこの家まで辿り着くのは人外じみた推察力だ。
「用件ですが、騎士たちを洗脳し、その場に居た人間を虐殺した男を撃退したことに領主が感謝の言葉を贈りたいと申しておりまして、お時間がよろしければ今からでも領主邸に来ていただくことは可能でしょうか?」
「……俺は大丈夫だけど。ちょっと下で待っててくれ。すぐに着替えるから」
十分後――
「待たせたな」
「いえいえ」
あの黒い外套は着用せず、直したてのシャツとジーンズに着替え、外へ出る。富裕層エリアの最西端、白い住宅が立ち並ぶその場所に、セイレーンの家がある。どのような経緯で手に入れたのか判らないが、住みやすいことこの上ない。そしてサリソンは、ハルトの存在に気づくと同時に、馬車の扉を開け、待機する。
「どうぞ」
と、サリソンはハルトを馬車の中へ入れる。ハルトは促されるまま馬車へ乗り込み、サリソンは御者席へ乗り込む。
「発進の際、少し揺れますのでお気をつけください」
なんて忠告を受けながら、ゆっくりと馬車が発進する。カラカラと車輪の回る音を聞き、職人や住人たちの仕事を眺めつつ、馬車は領主邸へ向かっていく。
元々セイレーンの家が富裕層エリアにあったために、領主邸へはそれほど時間はかからず、少しすると、領主邸が見える。黒い屋根、西洋の屋敷を連想させるような煉瓦れんが造りの屋敷と言ったところだろうか。二階建てで、領主一人住むには少し広すぎるのではないか、という疑問さえ浮かぶ大豪邸。
「あそこに領主さんが一人で住んでいるのか?」
ハルトは馬車の奥から顔を出し、御者をしているサリソンに言う。
「いえ、私ともう一人、使用人が住んでいます」
「ほう」
ハルト感嘆したように頷く。
――使用人とはつまり! メイドさんという可能性がある! 日本にもメイド喫茶なるものがあるが、あれは商品という名目で言うと人工物なのである!
誰の物も模倣せず、この地で生まれ、人に癒しを与えるために改造を施されていない天然物――完全な原典の使用人。それこそがメイドさんなのであるッ! 俺も見たこと無いけど!
ちなみにメイド服というのは一説によると、主人と使用人という立場を区分けするために、あえてあのような格好をさせたというのを、いつかハルトは見たことがあった。日本での、あのひらひらした男に媚びるような衣装は、正規のメイド服ではないということである。
そんなこんなで、領主邸到着である。
「間近で見るとやっぱすげぇな」
壮大にして荘厳という言葉が似合う。海外や西洋館のある都道府県に行ったことのないハルトにとって、目の前に広がる西洋館は『凄い』の一言に尽きる。
「どうぞ、こちらへ」
「ああ」
屋敷へ入ると、ハルトの視界に豪華ごうか絢爛けんらんな空間が映し出される。洋風な内装は高級レストランをイメージさせ、赤味のくすんだ茶色を基調とする壁には、名だたる画家の絵画が飾られており、床に敷かれている赤と金を基調としているカーペットがさらに高級感を醸かもし出している。
「領主は二階におります。どうぞ、こちらです」
二階へ続く螺旋らせん階段を登りながら、ハルトは周囲を見渡す。
豪華で、絢爛で、だが質素。
この街の領主がどういう人間なのか、それが窺うかがい知れる内装。所々に飾られた街の子供たちによる寄贈絵の数々。それが壁に飾られている。
「アナライ様、連れて参りました」
サリソンがノックをし、奥から男性と思われる声音で、入室を許可すると言った返事が返ってきた。
「では、どうぞ」
ゆっくりと扉が開き、入室を促す。
ハルトは、サリソンを一瞥いちべつし、領主室へ入る。
中へ入ると、そこは書斎と言っても過言ではないほど、部屋の壁に本が納められていた。そして中央奥の机に肘を付き、特務機関ネルなんたらの総司令官ばりの姿勢で待っていたのは、この街の領主アナライ・ララ。
見た目は四十台後半と言ったところだろうか。角刈りの髪型に、口髭くちひげ・顎あご鬚ひげ・頬ほお髯ひげの三点に加え、吊り上がった目。完全にどこかの軍人かと錯覚するぐらいであるが、実質領主なので問題ないのかもしれない。
「良く来てくれた、そして礼を言おう。ありがとう。此度の事件、とても悲惨なものと聞いている。……あぁ、自己紹介がまだだったな。このフィルスヘイトの領主をさせてもらっている、アナライ・ララだ」
「ナガチカ・ハルトです。よろしくです」
アナライが握手を求めるように手を差し出したので、ハルトもそれに応じる。がっしりとした手のひら、おそらく鍛えてあるだろうその手をハルトは臆することなく握る。
「此度の事件、首謀者である男の顔を見ているのは君だけだ。それを聞きたいのと、謝礼として呼び出したのだ」
「はぁ」
確かに、あの場でサラという奇人の相貌を見たのはハルト、エリアス、セイレーンの三名のみ。それと少なからず過激に戦闘を行ったのはハルト。であれば、ハルトから聞き出すのが正解だろう。
「首謀者はおそらくというか、確実に悪魔だ。七つの大罪、怠惰に属するって言ってたし」
「何!?」
瞬間、領主の動きが固まる。
「七つの大罪だと!?」
「あぁ、確かそう言っていた。名前はサラとか言っていたな。赤と白の目立つ服を着ていたから見ればすぐにわかると思うけど。殺されたのは、あの場所に集まっていた野次馬数十名、あいつに操られていた騎士が殺したのは、バーミルエリアの人間ほぼ全員。生き残りの女の子は保護してたけど、勝手に出て行ったみたいだ」
「なるほど。報告感謝する。今日はそれが聞きたかっただけなのだ。ハルト君の時間をとらせるわけには行かないからな」
言って、アナライは机の引き出しから封筒を取り出す。
「これはほんの礼だ」
「これは?」
「何、わずかばかりだが金が入っている」
正直、『わずかばかり』と言われても、封筒の厚みでどれぐらいの大金が入っているかが判る。
「何も言わず持って帰れ。呼び出していて悪いが、一応私も領主だ。仕事が少し溜まっているんでな」
「は、はい」
押し付けるように封筒を渡され、追い出されるように部屋を出る。部屋の外にサリソンは居らず、ハルトは螺旋階段下りながら、そっと封筒の中身を覗くと、
「三十万メルト……」
自分が金貸屋で必死で借りようとしていた額よりも多い金額がそこにはあった。
――よっしゃぁ……借金返済……でも。
「お送りします」
一階に居たサリソンがそう言ってくるが、ハルトは手で大丈夫と合図を送り、外へ出る。
いつの間にか夕方になっていたようで、瞳に差し込む夕日にハルトは、わずかに目を細めつつ、ぽつりとこぼす。
「なんだろう。この分不相応な大金の封筒。今すぐ返却したい」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
フィルスヘイトの郊外、門から東へ数キロ、その道を両思いの二人組が通れば、いつか必ず、その想いが成就じょうじゅされる――『親愛の道』と呼ばれる道がある。そこは噂が噂を重ね、国中に広まり、皇族もそれを信じ通ったと言われている。昔は荒廃したただの道、だが今は多くの富裕者が投資し、美しい舗装路となっている。
ある夜、その道の端に一台の馬車。馬車の御者席には誰もおらず、荷台の奥――カーテンに模した布の奥では、男女が唇を合わせている。
男の名はエレン。女の名はセリア。
すると、隣から聞こえる車輪音に反応したエレンは、馬車から顔を覗かせる。
「どうしました?」
エレンの視線の先には、一人の女。腰まで伸びた美しい金髪に、痩せ型の体に見合わぬ大きな尻、卵型の子顔には見合わぬ妖艶さを持っている。その後ろに止まっている馬車を見ると、彼女も思い人と一緒に来たのだろうか、と思うと共にエレンは少しの間、その女に魅入ってしまった。
だが次の瞬間――
「――……え?」
エレンは何が起こったのかわからず、視線を自分の腹部に向ける。じわりと広がる紅血と、それに染みる白い上着。何か異物が刺さっているのではない、斬られた――否、斬られたのではなく、貫かれたのだ。一連の動作を瞬きせずに見ていたエレンでさえ、女が何をしたのかわからなかった。というより、考える間を与えず、エレンはその場でうつ伏せに倒れる。
「どうしたの? ……ひっ」
奥から出てきたサリアは、腹部に血が滲み、倒れているエレンの存在に気がつき、小さく悲鳴をあげる。
が、サリアもまた、女により頭部を貫かれる。
「あ、あれ……真っ暗……エレン、どこ」
流血による視界封鎖ではなく、単純に眼球が潰されている。何も見えない闇にサリアは何度も手を泳がせ、そして血の海に沈んだ。
女はぼそりと、だが確かにその名を呟く。
「さてと、『半神の神子オブルート』を見つけに行こうかしら」
代理魔王の逆理世界 黄坂 祥 @osaka_sho
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