第7話 「怠惰の手先」
バーミルエリアに、剣と剣がぶつかり合う音が響く――
方や、ナイフのエキスパート。
方や、剣のド素人。
両者の剣戟けんげきに、差がないように見えるのは性能の差だった。量産型で市販型のようなナイフと、ユスティーツァから生み出された鋼剣つるぎの撃ち合い。
強力な剣を手にしているハルトが、敵である奇人に決定打を撃ち込めないのは、単に彼が剣を振ったことの無いド素人で、剣技すら持ち合わせていないというのもあるが、サエラとの決定的な違いがある。
それは『体力』だ。
異世界に来てから、ハルトのステータスというものは少しも変わっておらず、数度剣を振れば息が荒れる。
対してサエラは何度剣を振っても、何度地を蹴り走ろうが息が上がらない。ハルトは駆け、息を上げながら何度も剣を振る。
素人のハルトと、いつまでも底の無い全力を出し続けるサエラとの間に生じたその差は瞬く間に詰め――
そして限界が訪れた。
ズシャッ!! という音ともにハルトの皮膚が服の上から切り裂かれる。
「ッ!?」
声を殺し、痛みに耐えるハルトにサエラは追撃を仕掛ける。
振り下ろされた二本のナイフを剣で受け止めた瞬間、影で遮られていたサエラの左脚がハルトの腹部にめり込む。
「が――ああああああああああああ!!」
常人ではありえないその一撃に、ハルトは一度も地に着くことなく、三十メートルの距離を吹っ飛ばされ、彼自身が鉄砲玉にでもなったかのように、バーミルのテントを次々と破壊していく。三十メートル吹っ飛んだ地点で沈黙し、地に叩きつけられたハルトは胃からこみ上げてくる嘔吐感に耐えられず、胃液と消化しきれなかった野菜の破片が流れ出る。
「あのような戯言を仰ったからには、もう少し楽しめるとは思っていたのですが……。もう終わりでしょうか、魔王」
サエラの声に籠められているのは単に失望。魔王を殺すという任務をおっている彼ではあるが、彼自身はただの戦闘狂なのである。記憶を失い、力が弱まっているとはいえ、魔王に自分を殺すと宣言されてしまえば、自然と高揚感が増す。
だが、テントの群に埋もれているハルトは沈黙し、問いの答えることが出来ない。
右腕の皮膚と右腹部から流れる血が、ハルトの動きを制限し、答える余裕を与えない。
――どうすれば勝てる。この男を殺すには、どうすれば――。
単純な力の差に絶望感が沸いてくる。
だだ〝怒り〟に任せて、地に手を着く。
そこに自らの限界を量る術は持ち合わせていない。
「まだ、立つのですか?」
「その声は頭に響くから黙れ」
言って、ハルトは剣を持ちなおし、機能しなくなった右腕を力無く身体に添える。
「なるほど、よくわかりました」
「ぜったいに、ぶっ殺してやる」
力無く佇むハルトには、すでに勝算などない。剣の力に全て託すしかないのだ。
彼自身は無力なのだから。
ふいにサラが「そういえば」と切り出す。
「あなた様、あの外套がいとうはどうしたのですか? てっきりワタクシ、隠し持っておられるかと思い、魔法の発動はしなかったのですが」
――あったところで、この現状は変わらないのなら一緒じゃねぇかよ。
「ねぇよ」
「では、遠慮なく」
サエラはゆっくりと、そして深く流麗な動きで腰を沈める。
瞬間――
サラは深く沈みこんだ状態から一気に飛び出し、地を滑空するように接近し、一閃。反射的に身体をひねり、ハルトはナイフの一撃をかわした――のだが、ハルトの頬には鋭利な物で切り裂かれたような傷がある。
「!」
その傷に気づいた刹那、ハルトの後ろの壁が崩壊した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ゴフッと血塊を吐き出し、瓦礫に埋もれた下半身を見つめる。魔王という曰く付きだが、二度目の生でさえ、楽に生きることが出来ないのかとハルトは思う。死ぬことに抵抗はない――が、恐怖はするし、今すぐにでも誰かに救ってもらいたいという救済願望はある。
ここは異世界。自らが望んだわけではないが、永近春斗はここにいる。神か誰かは知らないが、こうして自分に二度目の生を与えてくれたことに感謝をしている。
だから、死ぬ時は潔く、無抵抗で死ぬ。
だが今はその時ではない。
そんなことを思っていると、ふと身体の違和感に気づく。
「何が、起こっているのですか?」
サラは呆気に取られた表情で瓦礫の中を注視する。
瓦礫の山ではない、そこにいる存在の変化。
先刻、右腕を切り裂かれ、横腹を切り裂かれたはずなのに、瓦礫で下半身を潰したはずなのに、上に圧し掛かる瓦礫をもろともせず、ハルトは立ち上がった。
――無傷で。
「何が、起こったのですか?」
先程と同じような問い。だが今度は明確に、質問はハルトに向けられている。
「まだ、負けてねぇよ」
憤怒の神の如く、ハルトは立ち上がる。ハルト自身、傷が消えたこと、瓦礫の山の存在に気づいていないわけではない。だが、その瓦礫すら軽いと感じるこの体に違和感を覚える。
なぜ傷が癒えたのか。なぜ瓦礫から重さが消えたのか。
「お前にだけは負けられない」
「なぜ、あなた様は立ち上がれるのです! 間違いなく! 潰れる一歩手前だったでしょうに! ……もしや、力を取り戻し――」
「俺がお前の敵だからだ。理由なんてそれだけでいい」
ハルトの放った言葉にサラは「え?」と唸る。
そしてもう一度ハルトは息を吸い、宣言する。
「俺は正義の味方だ。だから、悪であるお前を滅ぼす権利がある」
今度こそハルトの放った言葉の意味を理解したサエラが、目を白黒とさせる。
「……フッ……フフフハハハハハハハッ! やはり面白い! 記憶をなくしてからのあなた様の言動には楽しませてもらっていますぅ……が、魔王が! 大悪魔であるあなた様が! 正義のォ味方!? あっはっはっは……ハァ。実に、実に実に実に愉快でありながら、不愉快極まりない。御身が七つの大罪の一柱であることを疑ってしまいそうになります」
サラの盛大な皮肉をハルトは「ハッ」と吐き捨てる。
「なんとでも言えよ。俺は正義の味方だ。善を助け、悪を挫く
「何を言いたいのか、ワタクシには判りかねますが……いいでしょう。そこまで仰るのであれば、魔王が正義を語るのであれば、ワタクシも容赦は致しません。悪魔の面汚しとはこのこと」
距離は十五メートル。ハルトの実力ではあの奇人を倒すことが出来ない。そのことは十二分に理解している。
サエラの不気味な笑みに悪寒を感じ、ハルトは一歩後退した。
――刹那。
勢いよく飛び出したサラに、ハルトは限界まで体をのけ反り反応する。
「――……ツッ!」
だが、ハルトの胸元から腹部にかけて衣服が破れており、日焼けしていない白い肌に、薄っすらと、だが痛々しい傷が刻まれていた。今の瞬間にハルトが後退していなければ、間違いなく体が切り裂かれていただろう。傷口からスッと血が流れ、服を赤く汚している。
浅い傷にしろ、ズキズキと痛む身体を押さえながら、ハルトはさらに後退し、サエラを睨みつける。体の傷の全治癒という一矢報いたとは言えないが、もう一度対等な土俵に立ったはずなのだが、絶望的な状況は依然変わらない。
「どこを見ているのですかァ?」
「はああぁ!!」
高速で振り下ろされたのナイフを、直感で感じ取り鋼剣で弾く。
「いい反応ですねェ。ですが、少しでも打ち合いでワタクシに勝てるとでもお思いなら、そのお考えは捨てることです」
言った瞬間、ハルトの直感でさえ感じ取ることできない、高速の域のナイフの剣技をサラは放つ。ハルトの動体視力を超えたその剣技に、鋼剣をナイフにかすらせる程度しか出来ず、じわじわと体力と血液が搾り取られていく。
そして唐突に来る強打。
ナイフばかりに気を取られていては元も子もないということだ。
先刻同様、下から伸びてくる脚蹴りに上手く反応することが出来ず、ハルトは数十回に渡り地を転がる。脳がシェイクされ、吹っ飛ばされた時よりもダメージが大きいような気さえする。
「な!?」
気づいた時にはすでに、ハルトの真上にサエラが跳躍しており、渾身を篭めた一撃を放ってくる。それを間一髪のところで鋼剣で迎撃し、辺りに激しい火花が散らす。力の差は歴然、だが負ける気はさらさら無い。その力の差を埋めようと、ハルトは唇を噛み、脳内に信号を送る。
全神経を両腕の筋肉に収束させる。
「……あ――ああああああああああああああ!」
絶叫と共にサラの一撃を押しのけ、かつ伸ばした斬っ先がサラの脚部に命中し、この戦闘で初めて、サラの表情に苦悶が現れる――が、同時にサラが投擲したナイフが右肩に刺さり、灼けるような痛みがじわじわと伝わってくる。
肩のナイフは刺さったまま、ハルトは奇人との距離を取る。
「……ッ……ダ、ハァ……いてぇ」
くぐもった深呼吸を繰り返し、ナイフを引きぬく。傷口からはどろりと血が流れ出し、乾き始めた血塗れの袖をゆっくりと上書きしていく。機能しなくなった右手から左手へ剣を持ち変え、構えなおす。
「もう諦めた方がよろしいかと存じ上げますが。……いえ、今のお忘れを。ワタクシとて、久方ぶりの大悪魔との戦闘。実力が伴わないとはいえ、ワタクシ自身もこの戦いを楽しんでいたのも事実。遊びは終わりです、とでも言いましょうか」
ニヒ、と不気味な笑みを浮かべる。おそらくサラにとって、ハルトという存在は唯の塵芥じんかい程度のもの。軍の兵にすら劣るこの魔王は、未だ生きる事を諦めていない。
まだ勝機を見出そうとしている。その事がサラには意味が判らないようだった。
サラは笑みを浮かべていた表情を納め、険しい表情で告げた。
「あなた様は、どうして生きようと足掻くのですか?」
「お前には、そう見えるのか?」
右腕を引きずるように身体に添え、ハルトは答える。
「悪いが、自分でも行動理念がわからない。突然目が覚めたら自分が魔王になって、やっと仲良くなった人間を殺された挙句、自分の命まで狙われる」
「何を、言っているのですか?」
「唯一わかってることは……。――お前を殺すっていう殺人衝動だけだよ」
ハルトは地を蹴る。聖剣を携えた左腕を眼前に添え、サラの元へ駆ける。
――体が、軽い。
対するサエラは、予備のナイフを懐より取り出し、構えなおす。
「はぁぁぁぁぁ」
サラが甲高い咆哮を上げ、突進する。
「う――おおおおおおおおおおおお!」
ハルトも怒号に似た咆哮を放つ。
ハルトの意識が加速する。動き自体が変わっているわけではない。思考の処理スピードが、相手の行動を読む速さが徐々に増していっている。今まで味わったことのない思考の加速に、ハルトの脳は不可に耐えきるかのように、徐々に頭痛が増していく。
その痛みに歯ぎしりしながら、ハルトは己が持つ鋼剣を振るう。
鋼と鋼が交差する。その二剣は剣戟中、融け合い、暗い路地裏を照らす一対の光――まさに神の威光となる。
「……な、んとぉ!?」
サエラが驚愕の表情を浮かべる。
撃ち出す剣技がことごとく撃ち落されている。それに加え、ハルトの撃ち出す乱軌道の剣技がサラの皮膚を徐々に削り取っている。
「ぬ――おおおおおおおおおおおお!」
ハルトに圧倒され、徐々に後退しつつあるサラも、自らの言葉遣いを捨て去り、絶叫する。経験の差か、地の強さの差か、自らの剣技によって生まれた隙を突くように、サエラは怒涛の連撃をハルトに撃ち込む。
対するハルトは、サラの驚異的な連撃にも臆することなく、神経全てを使って受け流し、靴底が擦り減るような突進で距離を詰め、豪神の如き一撃をサエラのナイフの上から叩き込む。
ゴシャン! という甲高い音を立て、二本のナイフが砕け散る。
「――……お、らぁぁぁあああああああああああ!!」
間髪いれず、上段斬りの構えを取るが、サエラも咄嗟の反応で一本のナイフを取り出し迎撃――することも叶わず、鋼剣によってナイフが砕け散り、割れた破片が宙に弧を描く。
――勝った……!
そう確信したハルトは、凄まじい気迫を鋼剣に乗せ、最大威力の一撃を叩き込み、サエラの体は半身に斬り捨てられる――はずだった。
「な、に?」
消えた。
文字通り、サエラという奇人の身体そのものが目の前から消失した。手応えは無かった。ゆえに不気味。
「まさか」
後ろから聞こえる声にゾッとすると同時に、勢いよく振り返る。
「まさか、剣戟で圧倒されるとは、思いもしませんでした。さすが元魔王、と言ったところでしょうか」
ハルトは身動き一つすることが出来なかった。
その男、サエラの身体には傷が一つも、あまつさえ切り裂いた衣服すら修復されていた。
「先程の動き、生身ではありませんね。やはりなんらかの力、あるいは魔法。無意識に使ったとなれば、それはそれで厄介。
ではやはり、かの王の意向に従い、ここで処断しておくのが正解でしょう」
サエラは「では」と前置きする。ハルトは、さきほど感じた『身体の軽感』が未だ残っていると直感で感じ取る。
まだ勝つことを諦めていない。
「しかし、覚悟していただきたい。これより披露するは、人理を超越せし絶大な魔法ちから。人の身では甘んじるこの力を、今ここに」
スッと掲げたサエラの腕から、どろりとした黒い泥のようなものが溢れ出す。それが地に触れると、舗装された地面を溶かしていく。
「これは魔人の泥。我が主から賜りし、究極の力」
不気味だ。
ただそれだけしか感想が生まれなかった。
〝今の俺は絶対に負けない〟と、ハルトは心の中で確信を持っていた。
「く、そ――」
サエラの説明を無視し、猛虎の如く突進し、ハルトに襲い掛かる泥。
泥は規則性があり、ハルトの踏み出した軸足に反応し、襲いかかるため躱すのは容易。
だが、それが一体だけであればという話であるが。
ヒヒヒッ! と笑うサエラに、ハルトは止まることなく地を蹴り、真正面から迎え撃たんと地を蹴る刹那、
「――ハァッ!」
突如宙より振り下ろされた槍によって泥は弾け飛ぶ。
「エリアス!」
素人剣士と奇人の戦闘に介入してきたのは、銀槍の担い手エリアス――
振り下ろされた銀槍は蔓延る泥を弾け飛ばし、襲い掛かる泥を振り払う。
「魔王様、到着の遅れ、申し訳ございません! 操られていた騎士たちの解呪完了しました」
言って、エリアスは眼前の奇人を睨む。
「貴様、怠惰の者か。憤怒を司る魔王サタン様に剣を向けるなど、万死に値する行為だと知れ――!」
エリアスは槍を構え直し、今にも突進しそうな気迫を放っており、対するサラは飄々とした表情でそれを眺めている。
「何をおっしゃいますか、エリアス様。あなたも知っているでしょう。七つの大罪の悪魔が結ぶ規約を。
人間と争いを起こせば当事者は処断されるのが、大罪を冠する悪魔たちの中での暗黙の了解でしょうに」
ハルトは目の前の光景に唖然としながらも、手に握る鋼剣を離すまいと手に力を籠め続ける。
「ワタクシとて、ここで引けば大悪魔の方々に殺されかねません。エリアス様程度であれば
、あしらうことは容易」
「やってみるか? 怠惰の下郎」
サラは跳躍し、距離を取る。
両者、距離は十メートル。
サラは、二本のナイフをエリアス向ける。
反対に、エリアスは下段の構えを取り、右手を太刀打ちに添わせている。
刹那――
「ハァ!」
サラは地を蹴り、二対のナイフがエリアスの寝首を掻かんと打ち出される。
「シッ」
エリアスはその二対のナイフを下段から跳ね上げ、追撃の刺突を繰り出すが、サラは左手に残ったナイフでこれを打ち払う。
だが、エリアスは打ち払われた勢いを活かし、回転、サラの手に持つナイフを弾き飛ばす。
「チッ」
思うように行かないサラは舌打ちし、後退する。
「接近戦では分が悪い模様……。怠惰たる力の一つ、呪いで一手打つとしましょうか」
「呪いなどという陳腐な魔法を至高の方の御前でする物ではありませんよ」
路地裏に響き渡る声。
それは、エリアスでもなければアンリエッタでもない。はたまた勇者レティアでもない。
初めて耳にする声。
ハルトは呼吸を忘れ、サラの後ろから見える人影を凝視する。
コツコツというヒール特有の踵音を鳴らし、こちらへ近づいてくる少女。
黒タイツに包まれた、すらりとした美脚を持つ水色のショートボブの少女。
華奢な体を覆う衣服は、戦闘用の鎧や柔軟性に優れた装備でもない。一般的に言うと、『ゴスロリ』ファッションだった。ドレスの端々には黒い薔薇が基調され、どこかの貴族で、今から舞踏会に出ると言っても通るだろう。ドレスから伸びた手足は真白く、ドレスの色と相まって、白と黒の対比構造が完成している。
垂れ目の双眸の奥に見える灰色の瞳は、気怠るそうで陰湿そうな印象を受ける。だが、その少女が今まさに、優しく、柔らかな声音でありながら、この空間に響き渡る声を発したのだ。それも、ハルトが相対している奇人に向かって。
もう一度、満面の笑みで少女は口を開く。
「死ね、下等生物風情が」
「どちら様でしょうか? ワタクシ、魔王サタン様のお顔しか拝見したことがありませんゆえ、その配下の方々については存じ上げておりません」
「では名乗りましょう。私は位階十四眷属十一位、セイレーン。至高の王をお助けすべく、参上しました」
ハルト自身も聞いたことのある名だった。
セイレーン――ギリシャ神話に登場する海の怪物。上半身は人間の女性で下半身は魚。半身半魚の悪魔。漁師や船乗りを歌声で惑わし、遭難させ、その者たちを喰らう。
だが、今目の前に存在するセイレーンと名乗る少女からは、その要素を一切感じさせない。まずは、人間の足。神話では魚の尾ひれがあるはずの場所には人間の足、そしてその上からタイツを履いている。そして二つ目、これはエリアスの時から感じてはいたが、人間の少女という原形のせいか、どう見ても悪魔には見えないという事だ。
「控えなさいな、下郎。このセイレーンに殺されたくなければ、矛を収め、直ちに主の元へ戻りましょうね」
「……なるほど、セイレーン様でしたか。ここで増援を呼び、あなた様とエリアス様、魔王サタンを殺しても良いのですが、そうしている間に街の騎士が集まり、少しばかり騒ぎになる。そうなると手に負えませんね。
まだ街を落とすのは早い。いいでしょう、この場は退かせていただきます。ですが、魔王サタン様、あなた様の命は七つの大罪全席が狙っていることを、努々(ゆめゆめ)お忘れなきよう」
言ってサラは闇の中へ消えた。
突然の出来事に、脳の処理速度が追いついていないハルトは座り込む。いつのまにか、戦闘中に感じたあの『軽感』は消えており、いきなりずっしりと重くなった自分の体に微苦笑を浮かべながら頭に手を当てる。
「ありがとう、エリアス。それにセイレーン、でいいのか?」
「いやんっ、何を仰いますかっ。不詳セイちゃんこと、このセイレーンは身も心もあなた様の物。感謝される覚えなどありません」
――あれ。さっきとキャラが違うくないか。
ハルトの引きつった顔を見て察したのか、コホンと可愛らしく咳払いをする。
「……一つ聞きたいんだけどさ、セイレーンって普通は半身半魚じゃないのか? 見ればアンタの下半身は人間のソレだ」
ハルトの視線がセイレーンの下半身に移った瞬間、恥らうように内股になる彼女を見て、ハルト自身も恥ずかしさのあまり目を背けてしまう。
「……ご主人様……いえ、今はハルト様と仰っていましたか。記憶が無いことも全てエリちゃ、コホン、位階十四眷属、第三位エリアスに聞いております。私の半身についてですが、少しお時間を頂きます」
「あぁ」
「私セイレーンは、初めからこの肉体を持ってこの世に産み落とされました。以前、と言っても二百年ほど前ですが、魔王様も今のハルト様と同様のことを言っておられました。当時、魔王様は驚嘆なさっておりましたし、私は何のことか判らなかったのですが、魔王様の知るセイレーンというのは半人半魚というものらしく、私も困惑させられました。
レムドに存在する悪魔のほとんどは、異形の者はおれど、全ての原形が二足歩行の人間の容姿をしておりますので、魔王様の知るものとはかけ離れたものとなっております」
「なるほどな」
――つまり全ての生き物の原形は人間と……やっぱ人間って偉大だわ。本当か知らんけど。
「もしかして、傷を治してくれたりしたのもお前のおかげだったりする?」
「はい。途中、騎士を追っていたエリアスに会い、その際、魔王様の居場所も特定いたしました。遠距離での発動でしたので、能力が発揮されるのか不安でしたが、きちんと発動したようで良かったです。私が使えるのは、治癒魔法全般。ですので、ハルト様に使用した魔法は体力の全回復を発動致しました」
「なるほどな。まぁありがとな」
「いえいえ! 私にはもったいな……くないお言葉ですね! 私、頑張りましたし!」
「あ、あーうん。……そういや、セイレーンとしての力でも、死んだ人間を生き返らせることは出来ないのか?」
ふと、そんなことを聞いていた。
本心で生き返らせたいとは思っているわけではない。死んだ人間を生き返らせることは、死んだ者への冒涜だ。
だが、このままではあまりに残酷すぎる。ハルトの手でなくとも、彼らをどうにかして供養してやりたい。
「可能です」
「本当か!?」
「ですが、生者や死者でもない、餓鬼同然のモノに成り果てる可能性があります」
――……だよな。そんな都合の良い話があるわけがない。
「じゃあ、いいや。とりあえず、ここに死んだ人たち全員を供養してやりたい」
「ではそれは私がやっておきますので、ハルト様はお休みになられてください。あの男との戦闘で、少なからず体力は消費されているはずです」
「ああ」と答えようとした瞬間、ひどい眠気のようなものがハルトを襲う。
「……む」
視界が悪くなり、ぼやけた頭でぼうっとしていると、セイレーンが心配をしたのか、顔を近づけてくる。
「どうかなされましたか?」
思考が緩み、瞼まぶたが重くなる。
そしてコンセントからケーブルを引き抜いたように、ハルトの意識はぷつりと切れた。
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