第6話 「伸ばした手に救済を」
さかのぼること数時間前――
「一つよろしいでしょうか?」
ベッドに寝転び、スマホを手元で弄んでいるハルトにエリアスが声をかける。
「ん? どうした?」
「先日から思っていたのですが、なぜハルト様はユスティーツァをお付けにならないのでしょうか?」
「そういやそうだな。でも俺、使い方とかわからないんだけど」
「……申し訳ございません! 私としたことが、説明をしておりませんでした。この秘具、ユスティーツァは、型としては珍しく指輪の形をしておりますが、能力は破格の一言。所有者がに魔法を使えなくとも、自動的に魔力を吸出し、専用の能力を与えるものです」
――……え、あれってそんな凄い指輪だったのか? サタンがむちゃくちゃ言ってたのは覚えてるが、内容まではちゃんと聞いてなかったな。
「それじゃ、今の内に付けておくか。いつ効果現れるんだ?」
「ハルト様の魔力が機能せず、リングの能力供給がリセットされていると仮定するなら、付けてから早い方で数時間、遅くとも一日経てば効果が現れるかと思います。ですが、付ける際にご注意を。
そのユスティーツァは武器の一種。なれば、武器と契約するということになります。以前ハルト様は左手の甲に契約の刻印があったのですが、それをお見受けできないということは、契約が破棄されていると思われます。ですので、それを付けた瞬間に契約を結ぶのですが、強烈な痛みを伴いますので、ご注意ください」
「わかった」とハルトは頷く。
言いながら、リングを左の人差し指につける。
刹那――
ハルトの身体がドクンと跳ねる。
「かはっ」
胸元の押さえ、ベッドでのた打ち回る。
「あぁ……あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁあああああああ!」
唐突に訪れた胸の痛みに、ハルトはただ痛みに耐え絶叫するしかなく、普通なら心配し、駆け寄ってくるはずのエリアスも、今はただ一連のハルトの動作を見守っている。
以前、通り魔に殺害されたあの夜のように、口の開閉を何度も繰りかえし、酸素を求めるように空気を吸う。
「……ア……ッハァハァ」
胸中に溜まった痛みを全て吐き出し、ようやく落ち着いた
そして今度は正面――胸の皮膚に灼熱感を感じ、ハルトは痛みに耐えながら服の隙間から熱源を見る。
「……こ、れは?」
ハルトの左胸――心臓部の表面の皮膚に、三本の剣が円形になっている刻印が刻まれていた。黒の線で十センチほどの範囲で刻まれた刻印は、ハルトの呼吸に合わせて脈を打っている。
「無事、契約出来て何よりでございます。どこか痛むところはありませんでしょうか?」
「ないよ」
スマホの電源を落とし、ハルトはベッドから降りる。
「とりあえず、外に出るか。まだ街を探索し終わってないし」
時刻は現在夕方五時。夕食にはまだ早いが、ハルトは外へ出ることにした。早いとこスマホを売りに出さなければならないし、魔王サタンという立ち位置であるハルトにこの街で生活基盤を作り、生きていくという選択肢がない。
白米やパンや調味料を口にせず、この街で一番安く、何が素材なのかわからない固形物しか食べていないハルトにとっては、脳から送られてくるブドウ糖を含む食品への欲求が高まりつつあった。というわけで、今夜の食事は平民層で人気の高い「アレア」という店を昨日の内に予約している。
予約時刻は夜七時。宿を出るにはまだ早いが、寄り道をしながらであればちょうどいい時間ではある。
「では身支度を整えますのでしばしお待ちを」
「あーゆっくりでいいよ」
ハルトは部屋から出る、が宿の扉はそこまで層が厚くないため、時折聞こえる布の擦れる音が妙に艶かしく、意識してしまう。
――はぁ、男って辛い。
その後、宿を出たハルトは連日会っている彼らの元へ向かった。
街の隅に住むスラムの人間――の子供たちである。数日前に仲良くなったのを皮切りに、ハルトは彼らに会いに行くようになっていた。エリアスも嫌々ながらにも付き合ってくれており、エリアス自身も子供たちに人気がある。特にティナから。
ティナからすれば、エリアスは「The・大人の女性」らしく、エリアスを褒めちぎり、肌の潤いはどうすれば保つことが出来るのか、などを聞いている。人間嫌いのエリアスなら無視を決め込むと思っていたハルトの予感ははずれ、褒めちぎれば褒めちぎるほど、エリアスは饒舌になっていく。
彼女もなんだかんだ言って、人間の子供には甘いということなのだろう、とハルトは思った。
広場の方へ向かっていくと、街の様子が先日とは違うことにハルトは気づく。
「なぁ、アンタ。これなんの準備をしてるんだ?」
近くで作業をしていたハルトよりも、歳は十ほど上ぐらいの男にハルトは尋ねる。
「あぁ、これはこの街で一年に一度開催される豊穣の神、バアルゼブル神を称える祭り『レイシア』の準備さ。明日の夜からこの一帯に屋台とか出るしよ、兄ちゃんたちもオレの店に寄ってくれよな」
そう言うと、男は今しがた行っていた作業に戻る。その動作があまりにも自然すぎて、まるでゲームの世界にいるNPCなのかと錯覚してしまった。それぐらい、今の動きが無機質だったというだけなのだが。
「あぁ、ありがとう」
聞こえているかわからないが、礼を言い、ハルトはその場を後にする。
街行く景色は活気溢れ、宙には魔法で作られた電球が入っている提灯のような物体が一定の間隔で吊られている。そして、昨日よりも街に人が多いように感じられ、本格的に祭りの開始が告げられるのを心待ちにしている人も少なくはないだろう。
「あ、ハルトお兄ちゃんだ!」
路地裏に入り、少し歩くとティナが出迎えてくれた。いつものように元気で明るい笑顔を振りまく彼女を見ていると、ハルトの表情も和らぐ。
ティナの後ろを見ると、ミナキ、トアイ、ネムの三人も木箱に座って待っていた。
「元気だったか、お前ら。昨日ぶりだが、あの騎士共になんかされたりしてないか?」
「うん! ハルトお兄ちゃんとエリお姉ちゃんがあいつら倒してくれたおかげでもう大丈夫だよ!」
大きく手を挙げ、ティナはハルトとの元へと駆け寄る。
「それで、今日は何して遊ぶんだ?」
「……えっとね……、今日はお話がしたい!」
「へぇ」とハルトは感心する。
なぜなら、この子供たちは自分たちのことをあまり話したがらないのだ。騎士の一件も、ハルトたちがこの街に来る前からたびたび絡まれていたそうだ。それを反省したのか、彼らが話してくれる気になったのだ。ちゃんと聞いてやろうと、ハルトも思う。
「いいよ、そこ座ろうか」
ハルトの視線の先にはミナキたちが座っていない木箱がある。そこに腰掛け、ティナたちと話し始める。
主に会話を先導するのはティナで、それに相槌を打つハルト、無言で話を聞くのがエリアス、盛り上げるのが残りの三人ということになる。
「それでアンリお姉ちゃんがね――」
意気揚々と自分の大好きな人のことを話すティナに、後ろの三人もうんうんと頷く。
「ミナキもツンケンしながらも、なんだかんだでそのアンリエッタって人が好きなんだな」
と、興味本位でからかうと
「ち、違うやい! 別にオレはアンリ姉ちゃんの事なんか……」
もごもごと言うミナキを横目で見ながら、ティナの〝興味のあることに対しては饒舌じょうぜつになり、瞳が光り輝く〟という日本のオタクさながらの瞳を真っ直ぐと見据える。
「一回、その人に会ってみたいもんだ」
ぽつりとそうこぼすと、そっとエリアスがハルトに耳打ちをする。
「ハルト様、そろそろお時間かと」
エリアスの持つ時計を見れば、時刻は午後六時半を過ぎており、予約した店まで行くのに要する時間が十分強なのでちょうどいい時間といえる。ハルトは「わかった」と返事をし、子供たちに向き直る。
「悪いな、俺たちこれからちょっと用事があるんだ。また明日な」
「エリお姉ちゃんとデート?」
「違う違う」
――子供ってのは、なんでもかんでも恋愛話に持っていくのな。
初めてエリアスを連れて来た日から続くこの一連の流れに、やや面倒だなと感じつつ、ハルトは路地裏を後にする。
「ばいばーい」と手を振る子供たちに片手を挙げる。
表通りに戻ってきたところで、ちょうど腹の虫が鳴った。
店の場所は現在いるメレイル中央広場から東に抜けた大通り。そこからもう一度中央広場へ行き、北へ進む。富裕層が暮らす地域の手前、領主邸が真正面から見える所に『アレア』は位置している。
大通りを歩いていると、日が沈み、辺りが暗くなってきたところで街に吊られている提灯に電灯りが灯った。赤・青・黄・緑・白・橙・桃の七色の光が灯り、辺りを照らしている。
「本日は前祭というものらしいですね。本格的に始まるのは一週間後のようですね」
看板を見たらしいエリアスがハルトの方へ首を向ける。
「前祭ね」とだけ呟くと、ハルトの脳内には高校の文化祭が思い浮かんだが、黒歴史でしかないのですぐに考えるのをやめた。
やがて、大通りを抜けてメレイル中央広場を北西へ直進する。すると、徐々にではあるが二階建ての煉瓦作りの大きな店が目に入る。外観は煉瓦を主に使った作りになっていて、均等な間隔で設けられた窓から店内の様子を見ることができ、店内は多くの人間で賑わっていた。
エリアスに確認を取ると、「予約していた店で間違いありません」と言ったのでハルトはそのまま店の扉を押した。
店内に入ると、名前からは想像もつかないような光景が目に入る。まずは店内の様子。これは完全に日本のサイ○リアのような内観で、上を見上げれば天使の絵画が飾ってある。席数は二階がどれくらいかはわからないが、およそは四十席ほどだろうか。家族連れやカップル、一人で来ている客も見受けられる。
「予約していたナガチカです」
店内に入り、近くに居た店員に予約した名前を告げると、慣れた手際で店員は席へ案内してくれる。
案内された席は二階の右奥の席だ。
前述の席数を戻せば、二階の席数は三十一で、一階と合わせれば七十一席あるため、かなり大きな飲食店ということになる。
「はぁ」
ハルトは大きなため息を吐く。メニューを見ようにも異世界語を理解していないハルトには文字が読めないため。
「そういえばさ、俺たちの目標とかのはないの? いや、離れ離れになった仲間を集めるってのが主目的だけど、結論は最終的にどうするか」
「最終目的としては、人間に占拠されたレムドの奪還でしょうか。以前ハルト様が語っていた夢というものを言うのであれば、世界の平和と言っておりましたが」
「へぇ、俺そんなこと言ってたのか」
――世界平和、か。
確かに、あの時魔王サタンは世界を救うと言っていた。それが夢であるのであれば、ハルトが叶える必要はあると思うし、世界を脅かすナニカがあるのであればそれを払うのみであるが。
「……なんで俺こんなこと考えてくるんだ」
「どうしました?」
「あーいや、なんもないよ。まぁ目下目標は奪われた大陸の奪還か」
その後、運ばれてきた料理を平らげ、早々に席を立ち上がる。
「もうお帰りになられますか?」
「ああ、俺ってなぜだか知らんけど飯食ったらすぐに帰りたくなるんだよ」
「かしこまりました」
言って、エリアスも立ち上がり、会計に向かった。
会計をエリアスが済ましている間、ハルトは店の外で待っていた。人気店なだけに会計が被ると、人が混み合って時間がかかってしまう。
前を歩く人ごみを眺めていると、歩行者の中でも明らかに異質の人間がいることに気づく。
「おいおい」
おかしいだろ、とハルトは漏らす。異質な存在と感じたソレは少女だったのだから。そしてその少女が倒れかけているのを、周囲の人間がまったく気にしていないことだ。
ハルトは動揺を隠しながら、人ごみを掻き分け少女に近づいていく。大通りの中央で倒れかけの少女の前まで行くと、何かを言っている。
「……ゆうしゃ……さま。どうか、おたすけ、ください……」
掠れた声で少女は言う。
流れ出た涙は少女の頬を伝い、鼻水が顔をぐしゃぐしゃにしている。
ふいに少女は手を伸ばした。
伸ばされた手をハルトは、反射的に取ってしまう。
「どうした? 怪我でもしたのか?」
「……あなたは、ゆうしゃさまですか……?」
ハルトの問いに答えるわけではなく、少女は先程と同じように「ゆうしゃ」という単語を繰り返す。その虚ろな瞳はハルトではない別の何かを見ているようだった。
だがハルトは知っている。勇者という人物を。
黄金の髪を携えたあの少女のことを。
「いや、違うけど」
ハルトに対しての問いではないとしても、永近春斗はきちんと答える。
「そう、ですよね」
少女は落胆したように肩を落とす。
もし――もしもだ。目の前で自分よりもか弱い存在が倒れそうになっていたら、どうするだろうか。人ごみ溢れるその空間で、誰も気にしないその人間のことを、何も考えずに手を取れるだろうか。
無視をする人間なんてのはいないだろう。
親切な人間は気にかけるかもしれない。
周りの目を気にする人間は恥ずかしがって知らないふりをするかもしれない。
正義感の強い者は手を差し伸べるかもしれない。
永近春斗は後者だ。と言ってもかもしれない・・・・・・というのは彼にとってはありえない。
必ず手を差し伸べる。
「でも――」
困っている人がいたら助ける。子供でも知っている簡単なことだ。
少女の目に光が戻る。
瞬間――
初めてハルトは少女の顔を見る。
見ていると癒されるような薄い赤色の髪は腰まで伸び、ハルトに手を取られたことにより見開かれた黄蜜色の瞳から止め処なく涙が流れている。
「勇者じゃないけど、アンタを助けることはできるかもしれない」
反射的に出た言葉だったが、その言葉は少女を救うのには充分だった。「え?」と言葉をもらす少女に、ハルトは微笑みかける。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
少女は名をアンリエッタ・エナードと言った。
それは、数時間前にハルトが聞いた名だった。バーミルのリーダー的存在であり、ティナたちの姉のような存在。
だが、体のあちこちにある傷を見て、ハルトは疑問を浮かべる。
「何かあったのか?」
「わ、私の家が……みんな、が」
アンリエッタの声には生気が篭っていない。
それどころか、彼女の体は座り込んでいるのにもかかわらず、今にも倒れこみそうなほどに脱力感に溢れている。
「バーミルエリアのみんなが……殺されたの」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その後、会計を済ませたエリアスを引き連れ、ハルトはバーミルエリアへと足を進めた。アンリエッタは狼狽し、歩けるほど落ち着いてなかったため、宿のベッドに寝かせている。
途中、馬車に乗せてもらい、一時間もかからずに着いたその場所は、街の外れにもかかわらず、数十人の野次馬が群がっていた。
ハルトは目を疑ってしまった。野次馬の隙間から見えた光景はまさしく『地獄』そのものだった。だが、ハルトが疑ったのはそこではない。おびただしい数の人の『死』。それを野次馬は嬉々とした表情で見ていた――それにハルトは驚愕きょうがくを隠せなかった。
「な、にを?」
ただ見ているだけの人間もいる。
このおぞましい光景の地に足を踏み込もうと、自分の勇気を試そうとする人間もいる。
今頃は、この場所とは対象的にメレイル中央広場では前夜祭と称した賑やかなパレードを住人たちは眺めたりしているのだろう。宙に吊られた提灯ちょうちんと街に流れるパレードが相まって、街全体が七色に輝いているのだろう。
その光はここには届かない。
野次馬を掻き分け、瞳に飛び込んだのは光ではなく『闇』だ。この街の闇だ。
赤黒い闇がハルトの眼前を覆い尽くしている。
野次馬どもの静止する言葉を無視し、ハルトは死地に踏み込んだ。エリアスは無言で後に続く。
血と肉の激臭に眉一つ動かさず、ハルトは歩を進める。
飛び散った血飛沫。
切断された肢体。
転がる首。
そして見つけてしまった。見つけたくないと、そうであって欲しくないと心の中で願っていたハルトの意思を踏みにじるように、それはあった。
「ミナキ」
心臓部を貫かれ、沈黙しているミナキの体がそこにはあった。スラムの人間たちが殺されているこの現状で、彼らだけは助かって欲しいという願望があった。
幼いミナキの体を支え、周りを見渡す。
「ネム」
目に入ったのは、うつ伏せに倒れこんでいるネムだった。ミナキを抱きかかえたままネムの元へ歩み寄る。目立った外傷は無く、『もしかしたら生きているかもしれない。気絶しているだけかも』と期待をしたハルトだが、ネムの体を起こすと、それは虚言だと確信した。腹が縦に割かれている。
よく見ると、ネムの周りには血溜まりが出来ていた。ハルトの靴にも染みる量の血。ハルトは心の中で、彼らの死から目を背けていたのだ。そして今になってそれが感情として沸いてくる。
抱いているミナキの心臓部が貫通しているのを目で確認し、ネムの腹を、臓物を目で確認した。
「……ぁあ……あぁ……」
嗚咽おえつにも似たものがこぼれる。
「……ティナは、トアイはどこ……に……?」
ミナキを地面に寝かせ、ハルトはまた歩き出す。
途中、手や足が転がっているのをハルトの目には入らない。
そして何かがハルトの足に当たった。否、蹴ってしまった。それが何か理解する必要も無く、この場では該当するのはおそらく一つしかない。人間の体の部位で一番重いのは頭部だ。その質量の物体が足に当たった。
反射的に、足元に当たった物体を求めて足元を睨む。
そこにあったのは、
ティナの首だった。
――切断面からは血は流れておらず、虚空を映し出しているティナと目が合ってしまった。
その隣にはトアイの首もあった。
――トアイの首の近くにはもげた両腕が力なく落ちている。
ハルトの目には涙が浮かんでいなかった。その代わりに、沸々と沸いて出る感情を極限まで押し殺している。ハルトが思っている以上にその感情は大きく、肥大化していく。
やがて、その感情は瘴気となってハルトにまとわりついていく。その出所は彼の左手の人差し指――ユスティーツァ。
すると、ハルトは壁側に沈黙している騎士がいるのを発見する。近づくと浅いがまだ息をしており、何かの衝撃で気絶しているのだろう。
「た」
「?」
不意に呟いた男に、ハルトは怪訝な顔で首をかしげる。
「た、たた、たたた、た――」
そして、急に発した出した男にハルトは慄く(おののく)。
「狂ってる……のか?」
それならば日頃の騎士たちの非道にも説明がつく。何者かによって操られているという可能性が浮上してきた。
「エリアス」
「ここにおります」
エリアスは傍に控えており、ハルトの呼びかけに反応する。
ハルトからは先ほど発していた怒気のようなものは感じられず、今はただ落ち着いた物言いで周辺を調べている。
「これを胸元に付けている人間は、おそらくまだ近くにいるはずだ。そいつらは多分、何者かによって操られてる。もしかしたら街の人間に手を出すかもしれない。悪いが、洗脳を解いてきてくれないか? 何なら実力行使で気絶させてくれれば証拠云々で助かる」
「かしこまりました」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
エリアスがその場から消え、場にはハルトと野次馬だけになった。
ハルトは野次馬が見守る中、殺された人間全員の死体を端に寄せ、切断された腕や脚の部位をかき集め、付近にあった順で胴体の上においていく。
「――っ」
ハルトは腹が煮えくり返りそうになるのを抑えながら、彼らの亡骸を埋葬する準備をしている。
そこでハルトはようやく気づいた。
先程から聞こえていた野次馬の声が聞こえない。
振り向くと、野次馬の姿は無く、その全員がその場に伏していた。
そこに立っていたのは、身長は百八十センチ後半、細すぎる手足と胴体。赤と白の縦縞が入ったスーツのような服に真っ白のシルクハット、顔に入った小じわが歳を悟らせる、奇人のような男だった。
「どうもどうも。ワタクシはベルフェゴール様の使いで参りました。サエラと申します」
男はその場でお辞儀をし、笑みを浮かべる。
だがその笑みが丁寧すぎて気色が悪い。
「何か、用か」
ハルトはあくまで野次馬の死体には目もくれず、静かに言う。
「魔王サタン様、此度こたびの大戦により、あなた様は冥界の規定違約を破りました。そして七つの大罪の方々が判定をお下しになられました。
ここ数日の生活を観察していると、魔王だった頃の記憶を無くし、力を失い、人間としての生活を愉たのしみ、営んでいる。その三つの要素を鑑みて、あなた様を人間として、この地で命を刈り取ることを許可していただけました」
「――――――――」
ハルトは黙っている。口を開くことが出来ないのでは無く、ただ静かに怒っている。今のハルトにはその感情しかなく、目の前の奇人に向ける感情など、一ミリもないからである。
「その許可を得たのはこのワタクシ。よって、この場であなた様を処断いたします」
サエラも事務的に、かつての同胞に痛み入るわけでも無く、ただ機械的に。そしてハルトの意識も、サエラへ向けられる。
「お前は、俺を殺すって言いたいのか」
「ええ」と肯定するサエラをハルトは静かに睨みつける。そしてあの奇人が放った言葉の中に気になるワードがいくつかあった。『七つの大罪』『ベルフェゴール』『冥界』――だが、今はそれどころではないのだ。ハルト自身の命が狙われていること、そしてこの奇人が、この騒動を引き起こしたのか、だ。
瞬まばたきした瞬間――サエラの両手に二本のナイフが現れた。
「一つ聞きたい。これは全部お前が仕組んだものか?」
怒気の篭ったハルトの問いに、サエラは表情を崩すことなく、淡々と答える。
「ええ、この街に滞在していた騎士を洗脳し、僭越せんえつながらこの舞台を揃えさせていただきました。あなた方がいる場所まで生き残りを誘導し、そしてこの光景を見たあなたがエリアス嬢に命令を下すところまでは展開を想定しておりました」
「もういいよ」
サエラの言葉を遮り、ハルトは顔を上げる。
胸元の刻印が激しく躍動する。脈打つ速度は倍速し、リングを通じてハルトの体に未知の異物が流れ込む。『魔力』という異物だ。それは血液のようなものではなく、完全な異物。
全身を駆け巡る異物の感覚にハルトは顔をしかめ、歯を食いしばって耐える。
そして、知りえないはずの単語を告げる。
「――形成、顕現ステイルーン――」
胸元に刻まれた刻印が光り輝き、無力なハルトを援護すべく、刻印が詠唱を紡ぎだす。刻印が拡散し、リングと同調する。
大気中の魔力が、空気がハルトの味方をする。大気中より取り込んだ魔力にユスティーツァが膨脹するように、それと同時に彼の体は人間の体であることを忘れ、悪魔の体へと変貌するかのように。
リングとの軋轢あつれきに蝕まれ、痛覚を刺激され、悲鳴をあげそうになるのをハルトは全力で耐える。
自らの理性に従うように、ハルトはラストスパートをかけるように身体に流れ込む異物の奔流ほんりゅうを最大限に加速させる。
渦巻く瘴気しょうきと舞う突風。目の前に佇むサエラは先程の陽気な表情を崩し、怪訝けげんな顔つきに表情を変化させる。そしてユスティーツァから溢れ出た魔力がハルトの左手に形を成していく。
それは魔剣ではなく、悪魔が持つような武器でもなく。
――ただ一振りの鋼剣つるぎ。
ユスティーツァが形にするのは所有者の願望。ハルトの願望は『正義』。そしてそれを体現した結果がこの鋼剣つるぎ。
着飾ることなく正義を執行する無慈悲な一振り。差し込む月明かりに照らされた剣身は光り輝き、精緻せいちな装飾が無いにも関わらず、ズシリとした重みが左手から伝わる。
「これは――」
ハルトは手に握った鋼の剣を、唖然とした表情で見つめている。
「……く……くくくくっ。あーはっはっはっは……魔王サタンが剣を召還するとは……。杖はどうしたんです? まぁ、最期に粋なジョークを見せてもらいました」
ひとしきり笑った後、サエラはナイフを構え、地を蹴る。
何かで強化されているのか、それはハルトが目にしたことのないモノ(はやさ)だった。視力A判定を受けているハルトの目ですら追いつけない超人の域。
「らぁぁぁ!」
人間では目で追うことの出来ないその一撃を剣で迎撃する。
当たるかどうかという賭けではなく、当てるか外すかの二択。
そして――
「どういうことでしょうか」
サエラは静かに驚愕する。手を抜いたとはいえ、ハルトの心臓を狙ったナイフは粉々に粉砕され、剣の切っ先がサエラの腹部を貫いている。
ハルトは、自分が剣を召還したことは理解している。だがその性能は理解していない。ただ一つわかっていることは、この剣があれば目の前の男を殺すことが出来るということだ。
奇跡的にも、ナイフの切っ先はハルトの頬を掠め、振り切った剣先がサラの腹に埋まっていた。
刺さる剣の隙間から血が滲み、サエラの目の色が瞬時に切り替わる。
「――いいですねェ。手ごたえの無い仕事さつじんはどうにも性に合わない。元魔王、弱体化したただの人間とはいえ、あなた様が戦闘する気になってくださるのであれば、恐悦の至りであります」
サラは後方へ跳躍し、丁寧口調が徐々に崩れ、奇人の面が完全に表に出てきている。
「ふぅ」と浅く息を吐き、鋼剣をサエラに向ける。
「俺は今、お前を殺したくて殺したくて殺し尽くしたくてたまらない」
すっと細めていた目をゆっくりと見開く。
「だから大人しく俺に斬られろ」
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