第3話 「躓き始めはいつも通り」

 エリアスは、春斗の言った言葉の意味を理解できなかったのだろう。おそらく、〝魔王が幹部の情報収集をするというのだけでも「何を言ってるんだろうか」という感情があったというのに、この魔王はこの街に住むというのだ。本当に意味が判らない〟と言った所か。 


「申し訳ございません、魔王様。その……この街に住むと今仰られましたが、何か意図があっての発言と受け取ってもよろしいのでしょうか?」


 エリアスからすれば、この現状を覆すために一刻も早く魔王に力を取り戻してもらい、他の魔王幹部を魔王に探してもらうというのが比較的手っ取り早いと思っているのだ。


「えっと、俺たち2人で何かしようにも戦力も人脈も足りない。俺が魔王の力を取り戻すって言っても現段階で魔力がないみたいだし、いつ力を取り戻せるかもわからない。だから今は人間社会に溶け込む。俺はそう考えたんだけど、どうかな?」


 春斗の提案は至極単純だが、そうそう思いつきそうなことではない。だが、このネビュラの現状の全てを知っているわけではない春斗のこの提案は、エリアスを悩ませた。魔王の居所が勇者に知れれば命の危険もある――魔王を敬愛するエリアスにとってその事が唯一の気がかりと言っていいほどのものだった。


「魔王様がそう仰るのであれば私からは何も申し上げることはありませんが――」


 エリアスが言い終える前に春斗は「あと」と前置きし、


「その『魔王様』って呼び方はやめよう。誰も居ない所でならいいけど人間の前では絶対にダメだ。不審に思われたらまずいし」


「では、なんとお呼びすればよいのでしょうか?」


「んー。悩むな」


――本名、を言うか。もしくは他の名前を考えるか。


「それじゃ、ハルトって呼んでくれ。それからエリアス、お前の名前は今からエリだ。変装の魔法があるならそれ使ってくれたほうが助かる。無理なら髪くくるとかさ」


 ネビュラには応用の利く魔法は多数存在するが、悪魔種は応用魔法を行使することが出来ない。純粋な悪魔であるエリアスはおろか、位階十四眷属及び魔王軍の全ての悪魔はこれらの応用魔法を使うことが出来ない。


「ハル、ト……様、でよろしいでしょうか? ですがなぜそのような名を……『サタン』を少し変化させるなどをすればよいのではありませんか?」


「まぁ今は気にせずハルトで通しておいてくれ。魔王サタンをもじった名前使うと訴えられかねんから」


「は、はぁ。了解しました。ですが、その私の名前のエリというのが少し……」


 「どうした?」という風に首をかしげるハルト。


「その、同じ位階いかい十四じゅうよん眷属けんぞくの一柱に、私のことを「エリちゃん」と呼ぶ人物が居たので少しむず痒いと言いましょうか」


 顔を俯うつむかせ頬を染めているエリアスを、ハルトは微笑ましく見守る。あだ名で呼び合うといった経験がほぼない春斗にとっては、エリアスに羨望の眼差しを向けてしまうのも仕方が無いのかもしれない。だが、ハルトには嫉妬という感情がない。その感情を欲した時はあったが、全て自分が出来損ないだがら、の一言で片付けてしまう。

 弟の夏樹の時もそうだったが、悪いのは自分だ、この結果が――この現状は全て自分が招いたものと理解しているがゆえに、ハルトは自分の中で溜め込んでしまう。


「まぁでも他にないしなぁ。我慢できない?」


 胸の内に溜まるどす黒い感情を抑えながら、ハルトは言う。


「……魔お……ハルト様が仰るのであればなんとか許容できます」


「よし、それじゃ呼び方も決まったことだし、とりあえず街を探索するか」


 ベッドから降り、宿の扉へ向かうハルトを追うようにエリアスもベッドから腰をあげる。


「はい!」


 魔王を愛し、魔王の伴侶になりたいと切に思い七十年強。エリアスの蜜月の想い虚しく、関係は完全に白紙になった。

 宿の扉を閉める瞬間のエリアスの悲痛の表情をハルトは気づかない。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 かつて、現代まで血統が続いている勇者の一族であるベストール家で、初代『勇者』で、勇者の家系の創生者、ヘルティア・リムス・ベストールが、ある人間との戦いに勝利し、奪い取った領地を開拓した。

その土地は、ネビュラに存在する人間種のおよそ七割が住む大大陸となった。

 大陸リュード。そのリュードの中心部に位置する王都べストールから北西へ数十キロ。王都と各街を両断するかの如くそびえたつ山脈――リュードの通貨の原料となる金の採掘場でもあるメルトルト山脈。

 山脈を越えてから数キロもかからず到着するその場所は、メルトルト山脈の北端の麓に活気溢れた巨大な街――それがこの『フィルスヘイト』。人口は十万人を超えるが、その約2割が行商人や旅者が占めいている。

 一番近場の街であるエレストエレスまでの距離は、モーメル街道を数十キロ程度。馬車を使えば二日とかからない。

 街の中央広場には街の象徴とも言える『豊穣の塔バルミュラ』が立っており、世界の創造主とされるバアル・ゼブル神を奉るために建築された。高さは三十メートルで、頂上の広さは半径十メートル。

 観光スポットや待ち合わせ場所によく利用され、料金を支払えば頂上へ登ることが可能。


「建物を構築してる建材も石とか木が基本か。てことは機械も無さそうだし、見た感じでは西洋が舞台って感じか」


 行商人もさることながら、このフィルスヘイトには多くの名産品やネビュラ全土に誇るべき物や事柄が多くある。」


 宿の前に店を構える青果店の品々を眺めるハルト。不思議そうに品々を眺める彼に店員の女性は話しかけている。だが、彼の背に立つ人物はその事を良しとせず、目を細め鋭い眼光を店員の女性へ送っている。


「ハルト様、まずはどこに赴おもむかれるのでしょうか?」


 耐えに耐えかねず、エリアスは品物を物色するハルトに声をかける。


「あー悪いな。珍しい物だったんで目が眩んだ」


 ハルトが考えるのは、まずは資金の入手。その後、手に入れた資金で家を買う。日本の通貨はおそらく使えないと彼自身は理解しているため、まずは資金の調達をしないと何も始まらない。


「んー、まぁ最初はとりあえずブラブラ探索って感じかな。金を入手しないとダメだし。だからエリは付いてきてくれればいいよ」


 最終の目的地はこの街の富裕層の人間に取り入ること。だがその目的地に到達するにはまだ足りない。そのため、ハルトはまだ目的地には向かわない。先程の通り、資金を入手するためにまずは街を探索し、富裕層らの情報を集め、彼らに売却する物資の入手が先決となる。


「資金が必要なのであれば、私があの家畜共を脅せば沸いて出てくるものと思いますが」


「エリさん、そういうのは無しで。第一、俺たち目立つ行動して見つかりでもしたら大変なことになるだろ? 悪魔だし、やりそうだから釘刺しとくけど、人間を殺すのも絶対にダメだ。ていうかアンタ計算高い系キャラと思ったけど結構抜けてるのな」


 果たして、人間をゴミ同然に扱う銀髪美少女(悪魔)を連れて、今日一日を平穏に過ごせるのだろうか。そんな不安を覚えられずにはいられないハルトだった。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 あれから小一時間、ハルトとエリアスはフィルスヘイトの街を観光、もとい探索した。街は豪華に着飾られ、街のあちこちを覗けば祭事を執り行なっている店もあり、街全体が生きているかのような錯覚に見舞われる――錯覚ではないのだろう、この街は生きている。春斗は自らが生きていた東京という名の都とこの街を照らし合わせる。


――文明も進んでなくて、ビルも無いし、機械も無い、か。


 わずかに笑みを浮かべ、足を進める。


 途中途中でハルトは気になる店に入っては出て、入っては出てを繰り返し、その度に自らが無一文だということを悔やんだ。今となっては無意味ということはわかっているが。財布や腕時計、ペンや紙は全て異世界召還された際に紛失したトートバッグに入れているため、正真正銘ハルトの手持ちはスマホのみとなっている。だがそのスマホさえも今のハルトには不要すぎる品ではある。


「いや、待てよ」

「どうかなされましたか?」


 ふいに足を止めた春斗をエリアスは不思議そうに見つめる


「そうだよ、これがあったじゃないか!」


 唐突に叫びだすハルトに今度こそエリアスは目を丸くし、首をかしげる。

 そして、ハルトがジーパンのポケットからおもむろに取りだした薄い板にまたもエリアスは目を丸くする。


「それは……」


 エリアスはハルトの取り出したスマートフォンをマジマジと見つめる。エリアスの表情を読み取ったハルトは「凄いだろ」と言い、スマホの電源を入れる。すると、画面がぱっと光りメーカーの名前が浮き出す。


「俺自身もよくわからないんだけど、勇者に馬車に乗せられそうになった時に盗んだんだよ」


 今のハルトは記憶を失った魔王サタンを演じているであるがゆえに、エリアスに本当のことは言えない。もし本当のことを打ち明けてしまえば、人間を嫌っているエリアスは間違いなくハルトは殺すだろう。


「さ、さすがは魔お……ハルト様です」


 一度魔王と言い掛けたエリアスはこほんと咳払いをし、ハルトと言い直す。外見は完全に春斗と同年代の少女にしか見えないため、ハルトは親近感が沸くと共に顔をほころばせる。エリアスは彼の表情を見ると、瞬きを数回した後笑みを返す。


「それで、その光る板を売却するとお考えでしょうか?」


「まぁそんな感じだな。でもまぁすぐにいくと買い取り手の人も不信に思うだろうし、ちょっとは俺の名前を売ってからにするかな」


「では、まずはあのゴミども……いえ、人間たちに取り入ることから始めるということですね」


「ま、まぁそうだな。だからこそ、ちょっとエリは宿で待っててくれるか? こういうのは一対一でやったほうがいいんだ」


 ハルトの言葉にエリアスは一瞬肩を震わし、まるで自分が要らない存在と言われたかのように脳に焼きつく。


「かしこまりました」


 エリアスは踵きびすを返し、宿への舗装された道を歩いていく。その後姿を一瞥いちべつし、ハルトは足を進める。


「いや、待てよ。エリアス……宿代どうしてんだ?」


 後払いであれば、稼いだあとにでも払えばいいのだが、先払いだとかなり面倒なことになる。というより、エリアスが店員を脅したという可能性すらある。


「はぁぁぁああ。魔王になったってより、傍付き従者になったって気分だわ。魔王らしいこと一つもしてないし」


 重苦しそうにため息を吐いたハルトは、足を進める。今の彼の服装はネビュラに来た時と同じだ。Tシャツにジーパン。『外套』はさすがに着るとまずいため、エリアスに預けてある。そして『ユスティーツァ』は気恥ずかしいと、ハルト自身つけたくないと思っているため、もらった瞬間からずっとジーパンのポケットに沈んでいる。


 すると、建物の隙間の路地からの視線を感じる。


「ん?」


 不思議に思い、ハルトは路地に足を踏み入れ、進んで行く。


 路地裏というからには小汚い場所を想像していたハルトの予想を裏切り、清潔とまではいかないが、想像していた路地裏の汚さというのはなかった。

 しかしながら、表とは違い長年に渡って染み付いた生ゴミなど悪臭に頭が痛くなる。表通りの明るさとは対照的な裏路地の暗さにようやく目が慣れ始め、先程の視線の元を探すように回りを見回していると奥から数人の影が歩み寄ってくる。その人物に春斗は驚嘆の声を漏らす。


「……子供……?」




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 ハルトと別れた後、エリアスは名残惜しそうにしながらも春斗の言いつけ通り宿に戻った。とんだ忠犬である。宿のフロントに腰掛けている店主がエリアスの姿を見つけるなり話しかけてくる。


「エリちゃん、おかえり……っと、出て行くとき一緒だった男はどうした?」


 エリアス自身、人間と話すこと自体が不愉快極まりないのだが、宿泊料の支払いを後にしてもらっている以上、むげに扱うことが出来ない。それに主である春斗に人間の扱いについて説教されたばかりであるし、ここは穏便に済ませておくのが吉とみたエリアスも対面上は愛想を振りまく――のが普通なのだが。


「はい。あの方は少し用事があるため外に出ています」


 きっぱりと、そう言った。

 エリアスは「はぁ」と息を吐き、部屋へ向かう。


 部屋へ入るなりエリアスも自らが考えていることを整理する。大戦時、大陸リュードに攻め入ろうと移動を続けていた最中、突如顕現した大天使ミカエルの存在によって部隊は分断され、後方から現れた勇者軍により兵を駆逐され、また位階十四眷属のフルーレデイが天使を単騎で食い止め、その隙にエリアス他は離脱した。


 死してザラムを守りぬくと誓ったエリアス含め、位階十四眷属はサタンが記憶を失う直前の会話で詫びた。


 何度も。


 何度も何度も。


 だが後悔はしてはならない。エリアスが幼かった頃、サタンに謁見する機会が与えられた際の話である。祭事の祝いの品として悪魔種の子供がサタンへ花を献上するというのがあり、その大役を任されたのがエリアスだった。震える足を鼓舞し、サタンの元へと歩み寄っていく。

 だが、サタンを目前にした所で足が絡まり前へ倒れてしまう。献上するはずの花はサタンの足に落ち、散った花がサタンの足を覆った。今のようにエリアスは何度も詫びた。だがサタンも放った言葉は許すものでもなく、また怒りのものでもなかった。


『俯くな。後悔をするな。済んでしまったことは仕方の無いこと。今そなたが考えなければならぬのは、今このように失敗した、だが次は間違いを犯さない。こう考えるのだ。俯いてばかりいては明日は見えん。顔を上げてこそ明日という名の未来が見える。さぁ顔を上げよ、エリアス』


 この時のため、あの時エリアスは魔王サタンに忠誠を誓った。


 だがその前に。


「こ、これが……魔王様の『外套がいとう』……」


 ハルトに手渡された外套を頭上に掲げ、鼻息荒くエリアスは凝視している。


「だ、誰もいない……わよね?」


 周囲に隠密の気配無し、結界構築完了。自らの魔法をフルに動員し、舞台を作り上げる。

 そして持っていた外套に顔をうずめる。


「すぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 外套の温もりと匂いを鼻だけではなく身体全身で感じる。そして外套の温もりをじっくりと味わう。


 傍から見れば完全に変態である。


「…………ハァ……ハァ…………」


 完全にスイッチが入ってしまったらしいエリアスは、そのままベッドに潜り込んだ。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 ハルトの目の前には子供がいる。物陰に隠れているためよくは見えないが、体の長さから子供と見て間違いないだろう。


「何か用か?」


 ハルトは一番近くの物陰に隠れている子供に声をかける。だが警戒心が強いのか中々反応をしない。

 だが一番遠くに隠れていた子供が物陰から出てくる。


「アンタはあいつらの――騎士の仲間なのか?」


 子供はハルトの記憶に無い単語を使い、疑問を問いかける。


「あいつら? 騎士? 俺は今日ここに越してきたばっかだけど」


 すると、疑いを知らないのが子供であるという代名詞に沿うように、ハルトの言葉を全面的に信じたのか警戒心を解き、「コイツは大丈夫っぽいぞ」と、曖昧な表現で隠れている仲間を呼ぶ。すると、その言葉を聞いて安心したのか次々と子供が出てくる。

 臆病な幼獣を思わせる挙動に、次第にハルトも警戒心を解いていく。


「お兄さん、名前教えて!」


 ハルトに興味津々な少女は、少し小汚い身なりをしているが、ハルトの茶髪よりも一層明るい茶色の髪を肩まで伸ばした、元気な女の子という印象を受けた。そのほかの子供達も、この少女と同じような身なりをしていて、おそらくこれがスラム――貧民者ということなのだろう。

 春斗は理解した。活気溢れた街でさえ、闇があるのということを。


「俺か? 俺はハルトだ。君は?」


「あたしの名前はティナ! こっちがミナキでこっちがネム、それからこっちがトアイ、それであれが――」


 ティナはその場にいる子供の名をハルトに教える。一番最初にハルトに話しかけてきた坊主頭の少年がミナキ、黒く長い髪を後ろで結んでいるのが少女がネム、ちょんまげのような髪形をしている少年がトアイ。他にも子供がいたが、春斗に近づいてきているのがティナ含め、この四人だ。


「んで、その憲兵つったっけ? それって誰のことなんだ?」


「えっとね――」


「ティナ」


 ティナが事情を説明しようとすると、ミナキがそれを許さない。


「あぁ悪いな。俺は部外者だし、話しちゃいけないなら話さなくていいよ。また遊びに来るよ。具体的に言うと明日ぐらい」


 ハルトは表通りの方へ振り返り、歩を進める。


「わかった! ハルトお兄ちゃん! また明日!」


――かはっ……今のは聞いたぜ……まさか幼女にお兄ちゃんと呼ばれる日が来るとは……異世界グッジョブ!


「ああ」


 名残惜しさを残し、ハルトは裏路地を後にした。



 その後


 沈みかけの太陽の光が、通りをとぼとぼと歩くハルトの背に差し込む。


「……今思うと、夕飯食ってなかったんだよな、俺」


 日本で春斗は大学の帰り、時間は七時を過ぎていた。ネビュラに転生し、目覚めたのはおそらく昼過ぎ、もしくは夕方。体感的には今は日本の深夜二十四時を迎えていることだろう。色々なことがありすぎて空腹のことなど忘れていたが、少し落ち着くと腹の虫が鳴る。


「……腹減ったなぁ……」


 すると、直感的に何かを察する。


「……なんだ……?」


――誰かにつけられてる?


 夕方になり、人ごみも少なくなってきたところで物陰からこちらの後をつけている者がいるようだ。これは直感的に感じただけで、本当かは判らない。もしかしたら先刻の子供たちかもしれない。

 そこから数分歩くが、追跡者はなおも追ってくる。大通りや路地を観光者のようにブラブラと適当に歩きながら、追跡者を撒く。表通りの道は綺麗に整備されており、上手く撒けるかが心配だったが、先程と同様の路地裏に入り、道なりに歩くと、思ったよりも簡単に追跡者は諦めたようだ。


建物の壁から身体を少し出し、ハルトを追っていた人物を見る。


――なんか危ない臭いしかしないが。俺を追跡する理由もわからんし、俺が魔王サタンってことがバレているのか? いや、それだと追跡なんてことはせず大勢で倒しに来るだろう。


 ハルトの頭に中ではいくつもの疑問点が織り交ざり、行動するしかないと決意したハルトは追跡者を逆に尾行してみる。

 白の鎧に身を包んでおり、頭部は鉄兜に覆われているため、その相貌は確認することは出来ない。


「体格からして男か。男のストーカーとかまじで自殺もんだろ、これ」


 男は移動手段を徒歩に限定しているようで、そのまま街の大広場の人ごみに潜り込む。大広場には中央に大きな噴水。そして、いくつかのベンチと馬車で物を売りに来ている行商人などがいる。男は辺りを気にしながら噴水広場の近くに停めてあった馬車に乗り込む。ハルトの移動手段は徒歩のみのため、ここで尾行は諦めた。


「なんだったんだ?」


 追跡者の意図を汲み取れず、少し複雑な気持ちになっているハルトの腹がまた鳴った。


「腹減ったな」


「兄ちゃん、腹減ってんのか?」


 腹をさすりながら歩いていた春斗を呼び止めたのは、身長百九十センチあるだろう体躯にがっしりとした筋肉、顔に一閃傷が入っている強面の男だった。


「一文無しで来た以上はこうなることはわかっていたんだが、実際考えてみると空腹で死にそうだ」


「あっはっはっはっは。この街に一文無しで来る馬鹿ってのは商品売れなかった行商か、もしくは本物の馬鹿だけだ。そしておそらく兄ちゃんは後者と見た」


「まぁ、そうだな」


 重いため息を吐き落胆している春斗の肩をがっしりと掴み、男は言う。


「ここで会ったのもなんかの縁だ。今から行商の会合に行くんだが、来るか? 会合っつっても数百人規模で食ったり喋ったりするだけなんだが」


「いいのか?」


「おうよ、それに俺は飯屋やってるだけあって、店前で空腹訴えられちゃあ見逃せねぇよ。今日は店閉めちまったからなんも奢おごってやれねぇが、会合に来れば飯にはありつけるぞ」


「連れもいるけど」


「ああ、いいぜ。俺はガゼフだ、兄ちゃんは?」


「俺はハルト。よろしく頼む、ガゼフ」


 ハルトは自らの名前を口にし、感謝の意を籠めた挨拶をする。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 宿に戻り、スッキリとした表情のエリアスに困惑しながらも、事情を説明し会場へ向かう。会場は中央の大広場から数分歩いたところにある大きな酒場だった。中へ入るとウエイトレスのような女性が迎えてくれた。


「いらっしゃいませ。ハルト様とお連れ様ですね。お話は伺っていおります、どうぞこちらへ」


 ウエイトレスの案内で大広間に通された瞬間、日本でのことを思い出してしまった。

 長い机に長い椅子。奥では赤煉瓦の暖炉が赤々と燃え上がっている。体温的な暖かさではなく、感覚的に暖かいというべきだろうか。だが半袖の格好でも大して寒さを感じないのに、暖炉に火をつけるのはどうなのだろうかとハルトは苦笑する。

 そして会場自体は活気に溢れているというか、騒がしい。今まさに数人のウエイトレスによって料理が完成されようというところだった。


「兄ちゃん、来たか!」


 ハルトとエリアスを見つけたらしいガゼフは手を挙げ、こっちに来いとジェスチャーをしている。


 ハルトとエリアスはガゼフが座っている席まで向かう。その途中、エリアスの姿を見た男達は途端に視線を送ってしまう。銀髪の美少女――美しさの権化とでも言わんばかりの彼女の姿に見るもの全てが落とされていく。ガゼフの席に辿り着く頃には感情の全ての視線を釘付けにしていた。ハルトからすれば肩身がせまいことこの上ない。


「んだよ、兄ちゃん。連れっつうから男かと思ったが、女かよ。しかもとびきり美人。平凡な顔して良い女連れてるじゃねぇか」


「あぁ、それで――」


 ハルトが話し始めようとしたところで料理が完成したようだ。酒の入ったグラスを片手にこの集団のリーダーらしき男が全員の前に立つ。ざわついていた会場が徐々に静かになっていく。


「此度の王都遠征、ご苦労であった。繁盛した者、そうでない者、どちらでもない者。今はそれを忘れ、この宴を楽しもうではないか」


 リーダーの男が乾杯の音頭を取る。


「では、存分に食らい、存分に飲み、存分に楽しもう! 乾杯!」


「「「乾杯!」」」


 ところどころでカンッとグラスがぶつかり合う音が鳴り、宴が始まる。


「嬢ちゃん、名前はなんて言うんだい?」


 数人の男がエリアスを取り囲み、質問責めにしている。ハルトとしてもその方がありがたい。ここからの話に割り込んでこられると面倒というか、本心で人間を脅しそう、というのが春斗の結論である。


「ガゼフ」


「なんだ?」


 持っていたグラスを置き、ガゼフはハルトの方を向く。


「交渉……っていうには材料が足りないんだが、珍しい物品を買い取っている人とか知らないか?」


「珍しい物品ねぇ。兄ちゃんは何か持ってんのか?」


「いいや、まだ持っていない。だが手に入れる予定だ」


 今スマホを持っていることをこの場で公表してしまえば、この会場中が騒ぎになり、情報収集どころではなくなるだろう。ハルトは持っていないということを強調しながらガルフを注視する。


「そんな物好きな人物はこの街には巨万ごまんといるが、特別『誰が』とかはいないな」


「そっか」


 ハルトはグラスの中に入った紫色の液体を喉へ流し込み、一息つく。

 今まさに異世界での生活の始まりと、これからどうするべきなのかという心配の意味を兼ねて、最後にもう一度大きくため息をついた。

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