第1話 「終わりと始まり」

 ひと際広い四つの大陸から構成され、多数の種族が存在する世界――それがこの『ネビュラ』

 ネビュラ広しと言えど、魔王を知らぬ者はおらず、その冷酷非道で残虐性(ざんぎゃくせい)の代名詞である魔王に人々は日々恐怖し、怯(おび)えながらの生活を余儀なくされた。そして、このネビュラを構成する大陸の一つである、闇に巣食う者たちが生きる大陸『ザラム』。


 そこに城を構え、〝位階(いかい)十四(じゅうよん)眷属(けんぞく)〟と呼ばれる最高位の悪魔と数万の兵を束ね、殺伐とした魔界を統べ、人間に恐れられ、忌(い)み嫌われる象徴となっているのが、魔王サタン――絶対の君臨者。


 位階(いかい)十四(じゅうよん)眷属(けんぞく)と数万の兵、そしてサタン自身も動員し、勃発(ぼっぱつ)した勇者軍との大戦は恐怖の象徴、そして絶大な強さを持つ魔王軍の勝利は初めから見えており、それに人々は恐怖し、種族の根絶は免れないと言われていた。


 だが、現実はそうはならなかった。


 魔王を打倒せんと、現れた『勇者』によって魔王軍は次々と殲滅(せんめつ)され、ついには敗北を喫することになったのだ。自らが持つ聖剣を武器に戦場へ現れ、悪魔を殲滅する姿はまさに神々の如く豪快で、優雅で、悪魔の流す血ですら、演出をしているかのようで、見ている者を魅了する。

 サタン自身、人間を尊い存在と見ていた反面、非力な存在とも思っていた。脆弱(ぜいじゃく)で刺されれば死ぬ。体力にも限界がある。精神が崩れやすく感情変化が激しい。これのどこに『強者』を見出せと言うのか。勇者程度、臣下と兵を総動員すれば、人間の駆逐(くちく)など容易いと、そうサタンは勘違いをしていた。


 それが魔王の――魔王サタンの根本からの間違いだったのだ。


 それは、強さゆえの慢心(まんしん)。

 魔王の慢心に付け入るかのように、勇者は縦横無尽に戦場を駆け巡り、ついには魔王城を攻め落とした。


 そして、魔王サタンは苦渋の決断で逃亡することを、自己容認する。


「訊(き)け、勇者。此度(こたび)は引いてやる。だが次は、この魔王サタンが貴様ら人間に誅を下すその日まで、せいぜいこのネビュラに居座り続けるがいい。そして誅を下した暁には我が魔王軍がこの地を治めることをここで宣言しよう」


 事実上の魔王の敗北宣言は、ザラムだけでなく、ネビュラ全土に轟いた。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 転移魔法により撤退した先はザラムの果て、魔王城が点に見えるほど離れた場所にサタンはいる。幸いなことに、ここまでは戦火は行き届いていなかったらしい。木々が生い茂り、生暖かい風が頬をなでる。

 そんな気分に浸っている暇もなく、まずはやらなければならないことがある。魔王軍の生存者の確認だ。あの場で確認できたのは位階(いかい)十四(じゅうよん)眷属(けんぞく)の第一位である、アドラメレクを勇者とその仲間が存在する玉座の間に置き去りにしてしまったこと。

 彼の生存も気になるが、まずは順に生存確認をしなければならない。

 まずは序列最下位である十四位のユーフィールから。<伝達魔法(レタア)>という、離れた仲間と通信をする魔法。ネビュラを見渡せど、この魔法を行使することが出来るのは、この魔王のみ。


「ユーフィール、応答せよ」


 数秒後、サタンの呼びかけに反応するように、彼の脳内でザザッと音がなり、柔らかい声が返ってくる。


「こちら、ユーフィールです。魔王様、戦況はどうなっておりますでしょうか?」


「ユーフィール、申し訳ないが今はオチオチと話をしている時間が無い。すまないが一言だけだ――我が軍は敗北した。今はみなの生存を確認するため、伝達を使っている。全員の確認が取れ次第召集する故、安全の確認が取れる場所にて待機、いいな?」


「かしこまりました。では」


 ユーフィールとの会話が終わると、立て続けに確認を取り、ゼパル、ベルト、アスタロト、エリアス、エキドナとの伝達が繋がり生存確認が出来たが、アドラメレク、ベリアル、シャクス、モロク、フルーレデイ、グレンデル、バファメットの生死確認は取れなかった。残るは一柱、セイレーンだ。


「セイレーン、応答せよ」


 サタンの言葉が響いた瞬間。


「ご主人様ぁ~! 早く会いたいでごじゃいますぅ~!」


 耳がもげてしまうかのような声が響く。

 いや、正直こうなることは予想していたサタンであったが、いざ来ると、疲労感と共に頭が痛くなる。


「セイレーン、生存確認ご苦労。では」

「ああん、ちょっとまってくださいよー! セイちゃん頑張ったんですよー? ご褒美とか欲しいなぁーって」


 この状況を完全にぶち壊すかのようなハツラツとした声が響き渡り、それにサタンはうんざりする。『声』という特殊な能力を有しているセイレーンは確かに常人よりも使う体力が多い。ましてやこの大戦だ。戦う術を持っていないセイレーンは、生存するのには困難な道のりだったことだろう。


「すまぬが、今はみなの生存確認を行っている。そなたと話すのは後の召集後だ。もう少し我慢してくれ。セイレーンよ」


「むぅー。ご主人様がゆうんだったらセイちゃん我慢しますぅ。

――では、無事のご帰還、お待ちしております」


 最後の一言に全てが詰まっていた気がする。と、サタンは微笑する。

 

 これでサタンのしなければならないことが終わった。勇者がここを特定するのも時間の問題だろう。召集もかけなければならない。


「召集をかけた後はどうしようか。臣下共を引き連れ、ネビュラから脱出というのも一興かもしれんな」


 「絶対にそれはないだろうが」と付け加え、ぬかるんだ地面を歩く。

 そんな独り言の直後、何かが落ちる音と共にサタンは全力で地面を蹴り距離を取る。


「ってぇ……。なんだここ」


 そこにはサタンと容姿がまったく同じの少年が倒れていた。


「貴様は……」



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 永近春斗(ながちかはると)は日本の東京に住む、平成八年生まれのゆとり教育が曖昧な感じになっている世代の人間である。父親と一つ下弟と裕福でもなく貧乏でもない普通の生活を営んできた。


 父は大手自動車会社の店舗店長。母親は他界しており、それにより、自分たちが頑張らなければと言って、長男である春斗は努力を始め、周りの期待に答えようと勉学に励んだ。

弟である夏樹も兄に影響されたかのように小学校の頃から塾へ通い、兄弟そろって秀才と呼ばれ、近所の評判は良かった。

 そして中学生に上がる前のある日を境に、春斗は人助けに興味を持つ。頼まれればなんでもやる。昔憧れた『正義の味方』のように、助けを請(こ)われればすぐに向かう。

 春斗にとって、人助けは至上であり、自分が生きていると実感できることこの上ない。

 喧嘩の仲裁(ちゅうさい)にも入ったし、それで自己が脅かされても春斗は人助けを止めなかった。


 だが、父親の期待とたびたび舞い込んで来る人助けの依頼もあってか、ついには高校一年で体調を崩し、不登校となってしまう。

 父親には「勉強でいっぱいいっぱいになって体調を崩した」と言った。

 今までの努力を知っていた父親は、彼の言葉を信じた。だが、〝サボる〟ということを学習してしまった人間は徐々に堕ちていく。依頼のない日々、勉強に苦しまなくてもいい日々。

 息抜きに読んでいたライトノベル、そして、深夜アニメを見始めてから、彼の生活は一変してしまった。


 その後、担任教師から成績を聞いた父親は春斗には期待をするのを止め、干渉するのを控えるようになった。その後の生活は長く、言葉ではいい表せないほど酷いものだったため割愛する。

 不登校から開放され三年で学校に復学するも、すでに友達という繋がりは消え失せ、〝永近春斗〟という人間が『転校』してきたという扱いになっていた。

 周りの人間が彼に干渉しなくなったのも、通っている高校が進学校であることだ。


 進学校だけあって一年次から大学受験を考え始めるため、他人に干渉している暇はないという事だ。つまり彼が入学してから友達と思っていた人間たちは、総じて初めから彼を友達と認識していなかったということだ。春斗は『人助け』という欲を押し殺し、自分が殺害されるその日まで戦々恐々の日々を送ることになる。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 最近読んだライトノベルのジャンルが確かこれだったな、と春斗は直感で感じ取る。現世で死んだと思えば、見知らぬ地で目を醒ます。これは俗に言う『異世界転移』というやつではないのだろうかと。


「仮に今の俺の目の前の風景が異世界のものだったとして、……確認することは、まぁあるよな」


 異世界物の主人公たちは、驚くべき察しの良さで転移または転生した異世界生活を謳歌する。そんな生活に憧れの念を抱いていた春斗ではあったが、実際のところ当事者になってしまうと処理落ちしてしまいそうになる。

 周りに人一人おらず、あるのは周囲を取り囲む木々のみ。少しぬかるんだ地面は先日雨でも降ったのだろうかと疑問を抱かせる。


「まず、異世界って雨は降るのか?」


 そんな言葉を漏らしつつ、舗装されている道を突き進む。春斗が確認しようとしているのは他にはどのような文明が発達していて、地球のように機械が発達しているのか。言葉は通じるのか。といった極めて当たり前のことだ。

 異世界か否かという疑問に関しては、差し当たっては別段気にすることではない。


 坂道に差し掛かり、先ほどから景色の一向に変わらない木々の群衆から場所を移す。座れるぐらいの岩があり、周囲の音からして近くに川でもあるだろうと思しき場所に腰を下ろす。


 腰を下ろすなり、今までの出来事を整理する。


――今、おそらく自分はなんらかの別の世界、あるいは他国にいるはずだ。

異世界ではなく山奥に捨てられた説も考えてはいるが、あの致命傷から自分が回復するとも思ってない。刺された箇所である背中や腹部に、手を這(は)わせて確認したけど目新しい傷は一切無かった。

 それに、あの夜の出来事を夢で片付けてしまうのも正直吝(やぶさ)かだ。全然楽しみが無い。それなら、今はこの異世界生活を楽しむのもありなんじゃないか?


「……異世界、か。なんだかいざ来てみると実感沸かないな」


 遅くして厨二病を発現させた春斗にとって、異世界転生という言葉には胸が躍る。


「……あっ」


 ふいに何かを思い出したかのように、自分の容姿に変化がないか自らの顔をまさぐる。そして履いていたジーンズのポケットからスマホを取り出し、内蔵カメラで顔を写し出す。


「……いつも、通りだな」


 そこに写っていたのは見慣れた長近春斗の相貌(そうぼう)。数年前までは割と整った顔だったはずなのだが、ここ数年は引きこもり生活をしていたせいか酷い有様となっている。無造作な茶髪に生まれつきの茶色の瞳、季節が夏だったこともあり半袖の白シャツにジーンズ。


 すると、春斗の座っていた岩が鈍い音を立てる。


「な、なに?」

 

 勢いよく立ち上がり、少し離れ怪訝そうな目で岩を見つめる。

 ぬかるんだ地面に、表面がつるつるの岩。坂道。滑り転がるのは自然の摂理である。


「……え?」


 岩は音を立てながら春斗に向かってくる。

 転がるのではなく、地面を滑りながら。


「なんでさぁぁぁぁ! ぶっ」


 全力疾走を開始した瞬間、ぬかるんだ地面に足を滑らせ勢いよくヘッドスライディング。岩は軌道を変え、木々を薙(な)ぎ倒し進んでいった。


――顔面モップゥ……。


 そんな馬鹿らしいことを考えながら、勢いよく地面に顔面を叩き落とし、かすかに感じる土の味によって、口の中に土特有の苦味が広がる。


「うぉえ、異世界に来て初めて食った物が土かよ」


 春斗は口に残った土をぺっぺと吐き出し、周囲を確認する。先程の場所から百メートルも動いていないはずなのにガラリと景色が変わっている。空には雲一つない満点の星空。だが、その星空も目で追っていくと、赤焼けの空と混じり合って妙な光景となっている。


「ってぇ……。なんだここ」


 春斗は地面に打ち付けた顔をさすりながら身体を起こす。どうやら鼻血は出ていないらしい。口を切ったようだが、それもたいした傷ではない。


「貴様は……そうか、そういうことだったのか」


 どこからか聞こえる、馴染み深い声に春斗の身体は反応し振り返ると、そこには、自分と同じ顔、同じ身長、そして馴染みを感じた自分と全く同じ声をし、中二じみた外套(がいとう)を羽織っている人間がいた。


――なんだか自分の黒歴史を掘り返されている気分だ……。


と、春斗は頭に手をつく。


「ええっと、ここって死後に黒歴史掘り返すところだったりするのか?」


 彼の問いかけに対して目の前の男は口を開かず、ただただ春斗を見据えている。


「異世界転生したって俺が勘違いしてただけなのかぁ、恥ずかしいなぁコノヤロー」


 自問自答している彼の行動に男はようやく口を開く。


「お前は、魔王になる覚悟があるか?」


「は?」


 何言っているのかといった表情で目の前の男を半眼で睨む。


「……ま、まぁいいか。死んだ後だし自由にしても許されるよな。なる、なりますよー」


「では、二つだけ、そなたに託そう。一つ目は、この魔王サタンが魔王たる所以の証である『外套(がいとう)』を」


 言って、魔王サタンと名乗った男は羽織っていた外套(がいとう)を彼に着せる。先刻の話の内容がまったく頭に入らない。

 なぜならその男、魔王サタンと名乗る人物の覇気が凄かったから。凄いという曖昧な感性で表していいのか判らないが、サタンからは、春斗にないもの全てを持ち合わせている気がしたからだ。


 いわば完成された永近春斗。


 だから目の前の魔王サタンと名乗る男の言葉を疑いもせずに飲みこむ。


 自分と同じ顔。


 同じ身長。


 同じ声。


 自分の黒歴史を投影されているとしか言えない光景に、抱えたくなる頭の中で春斗は処理速度を追いつかせようと脳を働かせる。それと同時に、この男が自分の代わりに日本で生活を送っていたらどうなっていたのだろう、とも思う。

 いつの間にか死後の世界と勘違いしていた春斗の脳内には、異世界転移して魔王に転職したという事柄が刷り込まれており、この一連の行動に納得してしまっている。


「アンタは――」


「すまぬが、問答している時間はない。二つ目、この『ユスティーツァ』を。この指輪とそなたに着せた外套(がいとう)があれば、我の仲間をも欺けるであろう。『ユスティーツァ』は後に合流する我の仲間に教授してもらうことだ。それと、これだけは実際否めんのだが、知識の違いは必ず露見する。であれば、当面の間は記憶を無くしたと偽っておくことだ」


 外套の次は、彼が『ユスティーツァ』と呼ぶ指輪を春斗の手に握らせる。

 ほっそりとした、だがしっかりとした手のひら。筋肉も、春斗と変わらないはずなのに風格というか、凄みを感じるナニカがある。


「……それで、アンタは今からどうするんだ?」


「もう死んでもいいと思っているゆえ、どこかで死ぬのもありかもしれんと思っておるが?」


 春斗のお頭(つむ)でも理解した。

 この魔王サタンと名乗る男は嘘をついている。

 死にたいという人間が、こんなにも晴れやかな笑顔をするはずがないのである。


「それはアンタの本心か?」


 春斗には死に行く人間を引きとめる権利を持ち合わせていない。死にたいというのであれば見送るし、それに一切の私情を持ち込まない。

 だが〝死にたい〟と〝死ぬのもあり〟というのは大きな違いである。


「本心ではないに決まっているだろう。貴様に全て渡したのだ。我が魔王サタンとして君臨する意味も無くなり、我の目的であるレムド奪還も叶いそうにない。ゆえに死を選ぶ」


「たぶんさ、色々理由あると思うんだけど、なんで俺なんだ? 顔が似て無くったって別の奴にそれを任せればいいだろう」


「我自身ではないと、世界は救えん。これは絶対の自信ではなく、そうしなければならんということだ」


 世界を救う。魔王が? と、ハルトは疑問を隠せない。いつだって世界を滅ぼすのが魔王、それを倒すのが勇者、どうにも話についていけない節がある。


「すまぬが時間は無い。ではな」


 その言葉を言い残し、サタンは姿を消した。


「ちょっ、おい――!」


 ハルトには今の現状を飲み込めていない。今の一連の出来事で、ハルトは異世界に転生したことを確信した。それと同時に自分が魔王になったことも。出来の悪い嫌がらせかもしれないとも考えた。だが先刻の魔王と名乗る人物の表情、声音がハルトの深層心理から離れないでいるのである。



「異世界に来て、就職先は魔王、か。笑えねぇ」


 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ハルトがうな垂れていると同時刻、サタンは焼け野原を駆けていた。本来ならば魔力で跳躍など容易だが、ハルトに『外套』、そして『ユスティーツァ』の両アイテムを託してしまった。かつサタン自身も勇者との戦闘での消費した魔力が大きすぎるため、今は簡単に魔法を行使することが出来ないのだ。


――う……む。伝達魔法を教えるの忘れてたわ。それにあのままだと勇者辺りに見つかって殺されるだろうが……まぁなんとかなるだろう。


 魔王軍の中では、堅物と有名な魔王サタンの口元に笑みがこぼれる。

 だがサタンの行く手を阻む集団が一つ。


「やはり貴様らか。彼女を裏で操っていたのも、天使を呼び寄せたのも、貴様らの思惑通りというわけか」


 サタンの眼前にいる白髪頭の爺は小柄な体躯に見合わない威厳を持ち、魔王の目の前であるのにも関わらず、絶対的な自信に満ち溢れた表情をしている。


「ああ、そうじゃ。あの小娘を勇者に仕立てたのも、聖剣を持たせ肉体改造を施したのも、全てこの儂じゃよ。器となり得る媒体を探すのは苦労したわい。じゃが、そこで見つけたのがあの小娘。聖剣と完全に適合する人間は儂も見たのは初めてじゃった」


 老人特有のしわがれた声で笑う爺にサタンは不快感を露にする。


「我は外道は好かん……」


 サタンは眉をひそめ、目の前の爺を睨む。


「なんじゃ、たかだか六百年程度しか生きておらん半悪魔の分際で儂に外道と申すか。カカカッ。こりゃたまげたわい」


 目の前で声を上げて笑う爺に対し、サタンはやり場のない怒りを覚える。爺の後ろには数百の王都騎士が剣を顔前に構えている。いつでもこちらの命を屠(ほふ)れるのだと言わんばかりの眼光に背中を悪寒が通り抜ける。


「同行してもらわんと困る。それに、ぬしに拒否権など用意されておら――」


「弱体化しているとはいえ、我は……俺は魔王。魔王サタン。勇者に誅(ちゅう)を下す前に、貴様ら塵芥(ちりあくた)に鉄槌を下してやろう」


 サタンの残り魔力は少ない。魔力がゼロになる――つまりは生命力の消失。

そうなれば、魔王とて死ぬ。そのことがわかっていながらもサタンは今から行うことに悔いはない。彼の今まで積み上げてきたものは、自分の写し身に宿したのだから。後は移し身となったあの少年が魔王としてもう一度、ネビュラにその名を轟(とどろ)かせくれることを願う。


「――エクリシウス」


「貴様、それは!? 何をするつもりだっ!」


 サタンの身体を魔力が包み込む。


エクリシウス――元素・火。水属性魔法との複合魔法であり、最上位魔法の一つ。体内の全魔力を体外に放出せず、体内で拡散させる自爆魔法。通常なら大爆発程度。だが発動者は魔王。



 規模。

 火力。

 全てが段違い。


「貴様ら塵芥(ちりあくた)に、あれと接触されてしまわれるのは困る。故に――」


 そして。


「ここで道連れにしてくれる。そして、いつか世界を救い出す。新たな魔王がな」


 爆散。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 サタンが騎士たちと対峙している頃、春斗は永遠に続く森道を歩いていた。いつの間にか舗装路も終わっていたようで、一歩踏み出すごとに柔らかい土の感触が身体全身に伝わる。

 いきなり魔王になれと言われ、それを承知したはいいがこれから何をすればいいのかわからない。それにここが異世界だということは判っているが、今身に付けている趣味の悪い銀の指輪に黒の外套(がいとう)――人に出会わない以上は傍から見ればただの痛い人である。


「……これからどうするんだよ……。正直、こんなことになるんならあの時死んでた方がマシだったかもしんないな……」


「止まりなさい」


 凛とした声が響き渡る。

 特上の美質を兼ね備え、響きを耳にするだけで、数多いる芸術家が挙(こぞ)って打ち震えるだろうその声音に、咄嗟(とっさ)のことで反応が遅れながらも、ハルトは声の方向に振り返る。


 そこには、春斗がこの十八年の人生で出会ったことのないような、可憐な少女がいた。


 まるで幻でも見ているかのような気分にさせられる。


 一言で言えば、女神――だろう。


 歳は十六、七歳辺りだろうか。腰まで伸びた美しく、ゆらりと伸びた黄金の髪。金を溶かしているのではないだろうかと疑問に思うほど、その少女の髪は美しく、かつ魅入られた。鎧と長いスカートは赤を基調としているのにも関わらず、その黄金の髪によって全身が金で彩られているのではないかという錯覚に陥る。

 丸い卵型の子顔に、零れ落ちそうな大きい瞳。外見的特長から華奢な体付きだとは思うが、少女からは強い力を感じる。だが逆に触れるとすぐに壊れてしまいそうな儚さ、尊さもあり、一歩間違えれば、こちらが命を落としてしまいそうな雰囲気がある。


「えっと――」


「止まりなさいと言ったのです」


 ハルトが足を踏み出そうというところで少女はなおも凛とした声を響かせる。大きな瞳を瞬かせる度に金色のまつげも揺れ動き、少女の白のブーツが一歩踏み出す。

 砂利を踏みしめる音を立てながら少女はこちらに向かってくるが、その姿にハルトはただただ見蕩れていた。声を上げることもできず。ただ見蕩れている。


「……やはり」


 少女はハルトと五メートルほどの距離に立ち、口元に手を当て何か呟いている。


「ち、ちょっといいか? 君、だれ?」


 春斗の放った言葉により少女は激昂を露にするように顔をみるみる赤く染めていく。


「忘れたとは言わせないわよ。私は、あなたの軍を壊滅させた勇者レティア。そして――今からあなたを殺す者よ。さっきは鉄兜を被っていたから顔は判らなかったでしょうけど、これで覚えたでしょう」


 流れる動作で剣を構える勇者レティアと名乗る少女に、ハルトは戸惑いを隠せないでいる。


「……え? ……あのさ……俺、別に恨み買うような事をした覚えがないんだけど」


「何虚言(きょげん)を吐いているのか……。とぼけないで」


 この瞬間、春斗はやっと理解した。

 あの時、サタンの「時間がない」という発言。そして同じ容姿に同じ身長に同じ声。


「……そういう……ことかよ……」


――おそらく、よくある勇者と魔王のいざこざに巻き込まれた挙句、容姿が同じという理由で魔王に役割を交代されたって感じか。そんでもってその勇者とのいざこざが終わってなくて、俺が狙われたと。


「まじで……なんでこんなことに」


「どうしたの? さぁ構えなさい、魔王。場所と立ち位置がどうにも気に食わないけど、今は我慢するわ。無抵抗なあなたを殺しても、仲間たちの亡骸に報いることができないし」


 剣を構えるレティアに、無気力にうなだれる春斗。


――お父さん、俺、就職先の前任の人のせいで殺されるみたいです。まじで割りに合わねぇ。


 春斗は心の中で叫び、決意する。

 素早く三歩後退し、足を曲げ正座をする。

 激しく地面に頭を打ち付け、その後地面から1センチ話したところで停止。


「(状況よくわかってないけど)もうしわけございませんでしたー!」


 誠心誠意自分に否がある事を全面的に認め、それを相手に伝える方法。それがこの土下座である。





「は、はい?」


 案の定、レティアは素っ頓狂な声をあげ、その場に無音の空間が完成した。



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