Age -11 社の鬼
色鮮やかな木の葉の見頃が過ぎ、年の瀬が見えてくる終秋。小間として使ってやっている鬼の小僧は、宵を迎える度、酌み交わす相手のいない孤独な酒宴に耽っていた。孤独。あの人間の坊主が還った頃から、奴の背に哀寂な影が掛かり始めたように
「随分と御無沙汰だったな、神様。もやの晴れない哀れな鬼を嘲笑いに来たか?」
「そう邪険にするな。今宵は名月。最高の肴で妾も酔いに浸りたい気分なのだ。」
「そうかい。なら、勝手に飲んでいきな。」
鬼は妾の隣に杯と酒瓶を手配すると、別の瓶を開けて、直接飲み始めた。せっかく来てやったというのに、妾との酌み酒はできぬか。閻魔の紹介で初めてここに来た頃から、無礼で可愛げの無い面は変わらぬな。とはいえ、傷心の者を相手に説教を垂れるためにわざわざ顕現したわけではない故、妾は黙って差し出された杯に酒を酌み、その露をゆっくりと口内にこぼした。仮初めの体ではあるが、こやつの愛酒が逸品であることはよく分かった。
しばし、互いに一人酒を嗜みながら、夜虫の鳴き声に耳を傾ける。輝美なる月に見合った静麗な奏。酒の味も大切だが、斯くなる風情、要は場の雰囲気もまた酒を楽しむ上では欠かせない。今まさに最高の飲み頃だというのに、鬼の奴は心此処に在らず。風情も何もあったものではない。自棄を起こしているわけではないが、端から見ても不躾な飲み方をしているように見えた。本来ならば、高尚な説法でも聞かせてやるところだが、曲がりなりにもこやつは鬼。神の高説なぞ、五月蝿いだけの小言ぐらいにしか響かんだろう。それにこやつが今欲しているのは、靄を晴らして歩むための標ではなく、共に抜け出す道を探す同伴者。訪れた孤独を埋める何かなのだ。
「宵の月 良い付き合いに 酔い尽きぬ。」
沈黙を破った妾の一句を耳にした鬼は、刹那、横目で妾を見やると、口元を緩めて鼻から息を吐き出した。酒瓶の口を咥え、喉を鳴らすと、腕で露を拭い、天を仰いだ。
「歌を詠むの下手くそだな。西に都があった頃にそんな歌を聞かせたら、追放程度じゃ済まされねえぞ。」
「随分な評価だな。夜の情趣と酒宴の悦を見事に表した名句だと思うが。」
「いや、それっぽく韻を踏んだだけで奥ゆかしさも何もねえよ。素人丸出しじゃねえか。」
鬼の言うように、今詠んだ…詠んだというのもおこがましい歌は、確かに酷い。音の重ねだけで尤もらしい言葉を連ねた寒い駄洒落に過ぎない。しかし、奴の心に触れる糸口にはもってこいの振りだった。
「そこまで言うならば、鬼、お前に一つ歌の極意を教授願おうか。歌の材は十分に揃っているだろうしな。」
どうやら妾の意図を測り得た様で、鬼は観念して一息つくと、妾の戯れに付き合い始めた。
「しょうがねえな。数多の歌人を唸らせた、雅で風流な俺の歌の秘訣、特別に教えてやるよ。…礼にな。」
鬼は酒瓶に残った酒を全て飲み干すと、上機嫌に辺りを見回し、歌を詠み始めた。大口を叩いていただけのことはあり、奴の詠む歌は、古き時代の歌人達を思わせる程に心地よく、心に響くものがあった。
夜が明けるまで、飽くことのない歌詠の会は静かに続いた。
その日以来、妾は月に一度、鬼と共に他愛のないひと時を過ごしている。これまでは、鬼なんぞと馴れ合っても時間の無駄だと思い、神社関係以外の部分では無関心を貫いてきたが、あの坊主が現れ、鬼と触れ合い、奴の鬼らしからぬ一面が見え…気付けば奴を気に掛ける自分が居た。奴も妾を拒む様子が無い故、定期的に顔を出すに至ったというわけだ。…相変わらず小生意気な口を利くがな。奴の孤独が埋まるまでは、いや、その後も奴が望むのであれば、友として歩んで行くとしよう。
神は万物平等に味方する。社の鬼とて例外なく。
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