Age20-5 おじさんのお酒

 春の大型連休が終わり、その反動で気だるさや憂鬱感が残る頃、大学の講義もバイトもない僕は、軽快な足取りで昼間の神社に向かった。今日は僕にとって色々と特別な日。この世に生を受けた日であり、そして…。

 境内に着くと、縁側に腰を下ろす大きな体がこちらに手を振った。僕はそれに答えるように手を振り返し、おじさんの隣に座った。僕のいる方とは反対方向に体を曲げ、隣に置かれた袋をガサゴソと漁るおじさん。探していたものが手に収まったようで、満面の笑みを浮かべながら僕の方に向き直り、丁寧に包装された僕の掌大の箱と日本酒の酒瓶を差し出してきた。

「誕生日、そんでもって成人、おめでとう!」

「え!?プレゼント用意してくれたの!?ありがとうおじさん!!」

酒瓶と箱を受け取り、僕も自然と頬が緩む。成人したら初めてのお酒を一緒に飲もうと約束していたため参上した次第だったが、おじさんがプレゼントまで用意してくれているなんて思ってもみなかった。毎年の誕生日だって「プレゼントはやれねえが、盛大に祝ってやる」と豪快に笑って頭を撫でてくれるだけで終わっていたので、今年もお酒を飲み交わしながらそういうやり取りで終わると思っていた。

「プレゼント、開けてみていい?」

「おう。寧ろ開けてくれねえと始まらねえんだが。」

おじさんの言葉の意味が分からずに首を傾げる。もしかして、この箱、びっくり箱なのだろうか?でもそれなら、黙って相槌を打つだけの方が驚かせ易いはず。箱の中身を想像して、少しばかり警戒しながら、結ばれた紐を解き、丁寧に包装紙をはがして、出てきた木製の箱をゆっくりと開けた。中身を見てなるほど、納得がいった。箱の中に収められていたのはお猪口だった。僕が飲みやすい大きさで、一般的なお猪口のように、中には蛇の目の模様が施されている。外側には、注連縄をした大きな杉の木と、橙色の羽を広げた朱雀、アサガオの花も描かれている。他にも水色の小さな五枚の花びらをつけた花や、同じく小さな紫色の可愛らしい花、中央が黄色くピンクの尖った花びらを持つ花など、色鮮やかな花々が描かれていた。水墨画を着色したような画風で、大人の渋さとカラフルな色合いがマッチしていて、不思議と惹かれるものがあった。

「外側は、俺が手描きしてみたんだが、気に入ってくれたか?」

「これおじさんが描いたの!?職人技といっても過言じゃないレベルで上手いよ!」

おじさんは鼻を擦りながら、頬を赤く染めて照れていた。素人目だが、お世辞抜きにもおじさんの絵には人を惹きつける魅力があるように感じた。絵師として食べていけるほどだろう。僕がじっくり半分おじさん製のお猪口を見つめていると、おじさんは僕に渡した酒瓶を手に取り、瓶の口を開けた。ほのかに酒独特の香りが鼻に届く。

「さっ、お猪口鑑賞もいいが、今日の主役は酒だ!」

「今日の本当の主役は僕だけどね。」

おじさんのお酌でお猪口の中に酒が注がれる。初めてということで、一口分だけ注いでもらった。注ぎ終わって瓶を端に置くと、おじさんは自分のお猪口と別の酒瓶を取り出し、瓶の口を開けて僕に手渡した。渡された瓶には、難しい旧字体の漢字が書き連ねてあり、名前や酒の種類が分からなかった。

「酒を酌み交わすのもまた、酒飲みの楽しみよ!つーわけで、坊主のお酌もいただこうか!」

「そういうことね。それじゃあ、はい!」

おじさんのお猪口に瓶を傾ける。おじさんも、初めは僕に合わせるということで、お猪口半分ぐらいで瓶を上げた。僕が注いでもらった酒とは異なり、甘酸っぱいような嗅いだことのない香りがした。僕がもう一度瓶の側面の漢字だらけのラベルを眺めていると、おじさんは瓶の口付近を掴んで取り上げてしまった。

「興味津々なところを悪いが、こいつはお前に飲ませられねえ。特別な鬼の酒だ。坊主には刺激が強すぎて、口に入れた瞬間に死んじまうぞ。」

「それってヨモツヘグイみたいなもの?」

「難しい言葉を知ってるじゃねえか。まぁ大体それと同じようなもんだ。とにかく、今の坊主には早すぎる代物だ。人間は人間に見合った酒で舌を満たせ。」

本能的に誘われるようなあの香りは、人間を惑わす危険な露なのかもしれない。おじさんの警告を肝に銘じて、あの酒のことは忘れることにした。催促するようにおじさんがお猪口を上げて、小さく手を前後させる。僕は笑いながら、自分のお猪口を手に取り、おじさんのお猪口に近付けた。

「それじゃあ、坊主の生誕と成人を祝って…」

    「乾杯!」                    「乾杯!」

お猪口を軽く触れ合わせ、口に酒を流し込む。ごく少量ではあるが、舌先が痺れるような初めての味覚に困惑と感動を覚える。苦辛いような美味いような、自分でも形容しがたい顔をしているのが、飲み終えて分かった。対しておじさんは、飲み干した後も口をもごもごと動かして、口の中に残った余韻を楽しんでいた。

「どうだ、坊主?初めての酒は?日本酒は駄目か?」

「どうだろう?まだよく分からないけど、飲んでいくうちに好きにはなれるかもしれないね。」

「なんだそりゃ!まぁ、酒といっても種類は色々あるから、日本酒で色々飲んでみるもよし、別の種類に手を出してみるもよし、とにかくこれからはどんどん飲め!」

「あはは!僕を酒漬けにする気なの?勘弁してよ!」

と、言いながらも、二杯目を自分で注ぎ始めているのだから、我ながら酒好きの気はあるのかもしれない。これから大学の仲間との飲み会にも参加することになるだろうし、お酒の経験は、求めずとも増えそうだけどね。


 真昼間から始まったおじさんと僕の飲み会は、日本酒の三本目の瓶が空になって、僕が瞼を落として眠りつくまで続いた。暗い夜道、僕を背負いながら、おじさんが家まで送り届けてくれたらしい。僕がつぶれる前には、おじさん専用の酒瓶が15本は転がっていたような気がしたが…。酔い潰れずに鬼の相手をできるようになるまでは、まだまだ時間が掛かりそうに思えた。いや、もしかしたら一生渡り合うのは無理かもしれないね。暇さえあれば瓶を咥えて上機嫌な飲兵衛に、全く勝てる気がしなかった。ははは…。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る