Age13-4 僕の不安
桜の花が咲き乱れる神社の境内。昼間から花を肴にお酒を飲むおじさんの横で、僕は部活動の入部届けとにらめっこしていた。小学校時代からの友達は、野球部、サッカー部、バスケ部と、校内でも人気の運動部に入部を希望しているようだが、僕は敢えてそれらを候補から除外していた。定員オーバーで、僕のような中途半端な人間はバッサリ切られるのが目に見えていたからだ。一応、部活の見学には一通り行くつもりではあるが、貴重な人生の時間を無駄にしているような気がして、部活動参加自体に気が引けていた。これが強制参加でなければ、迷わず入部届けを破り捨てていただろうに。鼻の下と上唇でペンを挟みながら唸っていると、僕の様子に見かねたおじさんが、声をかけてきた。
「坊主、さっきからしけた顔をしてどうしたんだ?せっかくの花見盛りなんだ。景気よく大笑いしないとな!ははははは!!」
おじさんは、上機嫌で僕の肩に手を回して、酒を飲みながら豪快に笑った。頭がふらつくような酒の匂いに、僕は堪らずおじさんの拘束を解いて、縁側に立ち上がった。
「もう!おじさん、酒臭いよ!僕困っているんだから、おじさん、アドバイスして!」
元々赤い顔を更に赤らめる酔っ払いに、入部届けの紙を手渡す。おじさんは、酒を床に置き、目を擦りながら入部届けをしばらく眺めると、紙の内容が分かったのか、僕に入部届けを返却した。
「部活動、楽しそうじゃねえか。自分で何かやりたいものはねえの?」
「あったら迷わず書いてるよ…。真剣に打ち込めそうなものがないから困ってるんじゃないか。」
僕が不満を言いながら、またおじさんの隣に腰を下ろすと、おじさんは徳利に瓶のお酒を注ぎ足して、一気に喉に流し込んだ。
「どうせ見学に行くんだろ?練習風景を見て、最初はちょっとでも悪くないと思えば、そこに決めて入ればいい。入ってからこと詰めて打ち込んでいけば、自然と部活が楽しくなるもんだ。何事も、やってみなきゃ良さも悪さも見えてこねえからな。」
「やってみなきゃ、ね…。」
確かにそうかもしれない。ゲームだって、CM映像を見ただけでは、本当に面白いかどうかなんてわからない。実際に手に取って、とことんのめり込んで、その作品の面白さに気付く場合がよくある。将棋だってそうだ。最初は、漢字で書かれた駒を見て、古臭くて難しそうって印象を受けたけど、おじさんからルールを教わって実際に遊んでみて、思っていた以上にそれが面白かったと気付かされた。
「文化部もあるんだろ?吹奏楽部とか囲碁部とか…将棋部入ってみたらどうだ?」
「残念ながら文化部って、吹奏楽部と茶道部ぐらいしかないんだよね…。吹奏楽部は、
小学生のときの音楽の成績は悲惨なものだった。歌を歌えば音を悉く外し、リコーダーを吹かせれば、リズム感なんて無いに等しいものだった。おかげで当時の音楽の先生からは、「君はミューズから見放されているかもしれないね。」なんて皮肉を言われる始末。「ミューズ」が何なのかはよく分からなかったが、言葉の意味合いから、僕に音楽の才がないと言いたいのだけは分かった。そういう過去もあって、美紅の誘いに素直に頷けないでいた。
「まっ、何事も触れてみないことには始まらねえからな。見学の時にでも楽器いじらせてもらったらいいんじゃないか。」
おじさんは、空の瓶と徳利を神社内に持っていき、お菓子の袋をいくつか携えて戻ってきた。袋の背中を食べやすいように開くと、僕も手を出せるように、傍らに置いてくれた。僕は入部届けを汚さないように、クリアファイルにしまうと、お菓子を一つつまみ、ゆっくりと口の中に押し入れた。じゃがいもの風味と塩の組み合わせが絶妙な美味しさを醸し出している。
「僕さ、正直中学生活が不安なんだよね。」
大きな音を立ててお菓子を咀嚼するおじさんは、僕の声に反応して、口の動きを止めた。おじさんは、早くも酔いが醒めたみたいで、真剣な表情で僕に顔を向けた。
「部活動のこともあるけど、今まで以上に難しそうな勉強、小学生の時にはさほど意識してなかった上下関係、二年後には高校受験も…。」
中学生になって、ちょっとは大人に近付いたような浮かれた気持ちもあったが、それ以上に新しい環境への不安は拭えきれないでいた。無意識に先輩の癇に障り、学園ドラマのように酷いことをされたらどうしよう。勉強に追いつけなくなって、受験にも失敗したらどうしよう。新しい環境で友達作りが上手くいかなかったらどうしよう。考えれば考えるほど、胸の奥が締め付けられるように苦しくなった。肩を狭めて下を向く僕の頭に、厳つい肌触りの大きな手が乗せられる。その手が頭を撫でる度に、僕の不安が払いのけられていくように感じた。
「マイナス思考でどうする。沈んだ気持ちでスタートしたって、そのまま沈没して海の藻屑になるのがいいオチだ。男なら初めからどっさり構えて前を向いていねえとな。先輩を怒らせちまったら全力でごめんなさいして、次に同じ失敗しないように気合い入れりゃいい。勉強ができなきゃ、できるようになるまで頑張ればいい。受験に失敗したって死ぬわけじゃねえんだから、次の受験に向けて準備を進めればいい。前を向け坊主!そんなへたれた顔してたら、桜の木も呆れて禿げちまうよ!」
おじさんは、僕の頭を掴んで、顔を上げさせた。見上げた景色の中には、美しい薄桃色を呈した桜のカーテンが空に敷き詰められていた。僕は綺麗な彩に心を奪われ、しばし言葉を失った。それから、頬に冷たい感触を感じたところで我に返った。おじさんが、よく冷えたジュースを持って来てくれたのだ。
「さっ、見事な桜への賛美と、坊主の明るい中学生活を祈って、乾杯だ!」
「…うん!」
僕とおじさんは、缶の蓋を開けると、互いの缶を小突き合って乾杯した。ジュースを半分程、一気に飲み干すと、おじさんと顔を合わせて大笑いした。不安は完全にはなくならなかったけど、おじさんにつられて大笑いしていると、どんな悩みもちっぽけに感じて吹き飛んでしまうように思えた。
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