Age11-8 俺の小さな友達

 休日の昼下がり、神社の縁側で販売用の御守りを作っていると、耳慣れした甲高い声が近付いてきた。いつもの坊主だ。将棋盤と駒の入った枡を抱えて、手を動かす俺の横に尻を着き、盤用のスペースを空ける。俺の作業なんぞ知ったこっちゃないといわんばかりに、俺と坊主の間にできたスペースに将棋盤を置き、駒を盤上にぶち撒けて、自分の陣と俺の陣、双方の駒配置を始めた。カチカチと、駒と盤が触れ合う音をしばらく聞いてから、俺は作業を中断して、坊主の方に体を向けた。どうせ納期はまだまだ先だし、別段急ぐ必要はなかった。なにより、坊主に将棋を教えたのは俺だからな。求められれば、応じないわけにはいかねえ。視線が合うと、坊主はあどけない笑顔を見せて、駒並べを続けた。この無垢な笑顔のおかげで、あの日から今日に至るまで、坊主は週一回のペースで、ここに通うようになった。脅し文句の一つでも言ってやれば、寄り付かなくなっただろうが…俺も丸くなったものだと痛感させられる。純真な子供の心を無碍にしたくないと思っちまった。人間社会に馴染みすぎたみたいだな。


 坊主と初めて出会った日の翌日、坊主は再びここにやってきた。「俺のことは今日限りで忘れる」と昨日約束したはずだったが、坊主はそれ自体を忘れている。いや、そもそもそこは意識していなかったのかもしれない。二人分のアイスを手に持って、顔を忙しなく動かし、俺のことを探しているようだった。このまま坊主の前に出て行かなければ、昨日の出来事は夢だったと、子供ながらに思ってくれるかもしれない。とにかく、鬼が実在するなんて世に知れたら、テレビやインターネットのニュースで大々的に取り上げられ、捕獲作戦やら肝試しやらで騒がれ兼ねない。町おこしとしてはありかもしれないが…いやいや、うるさいと神社の神に叱られるのは俺だ。それに下手に暴れて人間を殺めてしまい、冥府で裁かれるのも面倒だし、かといって大人しく捕まって精密検査やら生体実験やら…好き勝手調べられるのは真っ平ごめんだ。とかく現代の人間は、昔以上に文明を発展させ、銃やミサイルといった強力な武器を有し、鬼に対抗し得る力を身に着けている。いくら鬼が丈夫とはいえ、火傷では済まされない。そんなわけで、子供一人とて、存在を知られては不味い。ここは、身を隠し続けて、坊主が諦めるのを待つのが得策だ。俺が姿を現さなければ、坊主も諦めて家に帰るだろう。

「おじさん!アイス一緒に食べよ!おじさーん!」

坊主は、汗を噴き出すアイスの袋を握り締めながら、しきりに大きな声で俺を探して呼ぶ。しかし当然ながら、俺は坊主の声に返事をしない。坊主の動きに合わせて神社の陰を移動しながら、俺は坊主に見つからないように様子を伺った。

「おじさーん!ねえ!いるんでしょ!?おじさん!」

坊主の声が微かに震え始める。表情も曇り空を呈し、雨粒がポツリポツリと澄んだ瞳から零れ落ちた。ああ、これはまずい。心を鬼にして、いやまあ俺は鬼だが、やり過ごさなければいけないというのに、坊主の悲しむ姿を見ていると、良心が針で突かれたように痛む。さながら一寸法師に腹を突かれた鬼のような気分だ。一人で心を痛めているうちに、坊主は限界に達したようで、その場で空を仰ぎながら、大粒の雨を降らせて大きな雷を轟かせた。

「おじさーーーーーーん!!おじさあああああああああーーーーーん!!!」

「はいはい、おじさんならここだよ!」

気付けば、俺は坊主の前に姿を現していた。先に諦めたのは、坊主ではなく俺の方だった。子供の涙に堪えきれずに動いちまうとは、鬼として失格だな…。探し求めていた俺の姿を瞳に捉えると、坊主は俺のほうに駆け寄り、飛びついてきた。それを体で受け止めるように、俺はしゃがんで坊主を胸に迎え入れる。

「おじざん゛!!ア゛イ゛ズーーー!!一゛緒゛に゛ーーーー!!」

「わかったわかった!一緒に食おうな!ありがとな!だから泣くな!な!」

咳き込む坊主の背中を軽く何度も叩きながら、しばし坊主の涙で胸を湿らせた。

 坊主が泣き止んでから、二人で縁側に腰を下ろして、溶けかかったアイスに舌を這わせた。オレンジとミルクの絶妙なバランスが、程よい旨みを引き出していた。坊主はチビチビとアイスを舐めながら、鼻をすすって俺を見た。

「おじさん、何で隠れてたの?僕たち、友達でしょ?友達に意地悪しちゃいけないって、学校や幼稚園で習ったよ?」

「友達、か。」

鬼同士での友情は過去にあったが、人間とそういう関係になるのは初めてだった。やんちゃだった昔は、人間との接し方はあくまで敵対というのが普通だった。人間を襲い、奪い、喰らい、惑わし…当時の鬼の本分は、人間に害をもたらすことにあった。人間に味方する変わった鬼もいたにはいたが、そういう奴らは仲間たちから忌み嫌われ、軽蔑されていた。かくいう俺も、連中を馬鹿にする鬼の一匹だったが、まさか今まさに、俺自身が異端者たちの仲間入りを果たそうとは。といっても、神社の管理やらを任されている関係で、人間に化けながらの人付き合いがないわけではない。しかしそれはあくまで表向きの付き合いだけの話。この坊主のように、友情を結ぶようなことはなかった。

 不安な様子で俺を見つめる坊主。ここで求められた友情を無碍にすれば、坊主はここに寄り付かなくなるかもしれない…とも考えたが、裏のない純真な子供の心を裏切るのは、やはり気が引けた。また泣かせでもして、胸を痛めるのもこりごりだった。俺は小さな頭にそっと手を下ろして、髪がグシャグシャになるぐらい左右に動かした。

「そうだな。友達!隠れてて悪かったな。ちょっと出てくるのが照れくさかったんだよ。まさか今日も来るとは思ってなかったし。」

下手くそな笑顔を作って見せると、坊主は嬉しそうに笑顔を返した。純真な太陽を見て、俺の心はどこか満ち足りていた。

 初めての人間の友達は、俺の心に温かい陽だまりを作った。


「王手、飛車取り!」

「ああっ!おじさんずるい!」

王と飛車を同時に角の射程圏に入れられ、坊主は頭を悩ませる。最初に話したように、友達になって以来、坊主は週一回のペースで俺に会いに来る。最初は、「毎日遊びに来る」と元気に宣言していたのだが、俺との時間を増やしすぎて、本来大切にすべき人間の友達を蔑ろにしてしまったのでは、坊主の人間生活に何かと不都合が生じる。だからこそ、坊主にせめて週一回程度に抑えろと提案したのだが、まるで納得しない様子で睨まれてしまった。仕方なく、坊主に有無を言わさず納得させるために、将棋の勝負を持ちかけたわけだ。俺が勝ったら大人しく週一ペースにする。坊主が勝ったら坊主の好きなようにさせる。ルールを教え、飛車角抜きのハンデ付きで対局開始。結論を言えば、察しの通り、勝ったのは俺だ。ハンデがあるとはいえ、戦術を知らない覚えたての付け焼刃な坊主に負けるわけがない。かくして、坊主は俺との約束を守り、毎週毎週通っているわけだ。

「…参りました。うわーまた負けたー!」

「ははは!でもま、坊主も初めの頃よりは随分上手くなったな。数手先ぐらいは読んでいるみたいだし。」

「えへへ!勝負の後におじさんと、勝負の見直しをしているから、そのおかげもありそうだけどね!」

坊主は照れたように頬を赤く染めながら、盤上の駒を一手前の状態に戻した。対局自体は勿論、試合の反省と別展開の模索もまた将棋の醍醐味だ。

 駒を動かしながら、俺は、小さな友達と共に頭を捻らせる時間に没頭した。盤上ゲームであれ何であれ、友と過ごす時間は一際楽しいものだ。


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